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投稿日:2018年09月26日
投稿日:2018年09月26日
高崎髙島屋 中川徹氏「質より量、泥くさいリーダーシップで人を動かす」
- 中川 徹
- 株式会社高崎髙島屋 取締役副店長/グロービス経営大学院2017年卒業
MBAの真価は取得した学位ではなく、「社会の創造と変革」を目指した現場での活躍にある――。グロービス経営大学院では、合宿型勉強会「あすか会議」の場で年に1回、卒業生の努力・功績を顕彰するために「グロービス アルムナイ・アワード」を授与している(受賞式の様子はこちら)。2018年、「変革部門」で受賞した高崎髙島屋の中川徹氏(グロービス経営大学院、2017年卒業)に、MBAの学びをどのように活かしたのか聞いた。(聞き手=橋田真弓子、文=石井晶穂)
知見録:受賞、おめでとうございます。
中川:3年前、グロービスに入学したときは、客席から授賞式を眺めていたが、まさか自分がその場所に立つとは思わなかった。歴代の受賞者は、本当に素晴らしい功績を残された方々ばかりなので、自分でよいのかと驚いている。
今回の受賞は、自分の力というより、グロービスの恩師、事務局の方々、そして一緒に勉強してきた仲間が支えてくれたおかげ。みなさんには本当に感謝している。職場のサポートも心強かった。授業のため、定時で職場を出なければならない日もある。そんなときも快く送り出してくれた。これからしっかり恩返しをしていきたいと思っている。
人と人をつなぐ「場づくり」がしたい
知見録:なぜ、百貨店の仕事を志したのか。
中川:「場づくり」に強い興味があった。百貨店は人と人が集まる場であり、人生の節目や晴れの日に思い出をつくる場であり、大切な人を思いながら商品を選ぶ場でもある。さまざまな人の記憶に残る「場」をつくれたらいいなと思って、入社を決めた。
知見録:そこにはご自身の原体験がある?
中川:祖父母が駄菓子屋さんを営んでいて、その光景を小さいころから見ていた。子どもたちが学校帰りに大勢集まってきて、みんなでゲームをしたり、ときにはケンカをしたり。そして数年後、就職したと照れくさそうに挨拶に来てくれたり。単に、お菓子を売っているだけではない。そこはまさに、人と人が出会う場だった。自分も祖父母のように、そんな場をつくれたらと思うようになった。
知見録:そして98年、髙島屋に入社。16年には、港南台店の店長に抜擢された。
中川:店長に就任したのは、グロービスに入学した翌年のことだった。前任は50代の方だったので、まさか自分がと驚いた。港南台店はいわゆる郊外店舗で、立地的に厳しい状況にあった。お客さまが高齢化していたり、沿線にショッピングモールができたり。何か新しいチャレンジをしないと、状況は改善しないと思ったし、逆に言えば、改善の余地はまだまだあると思った。
就任から数日たったとき、あるお客さまから「店長を出してくれ」と言われ、サービス、商品、いろんな部分について厳しいお言葉をいただいた。そして、そのお客さまは最後にこうおっしゃった。「しっかりしてくれ。この店がなくなったら、俺は困るんだ」と。ここまで本気で、我々の店のことを考えてくれているのかと、身が引き締まる思いだった。
このとき、街に百貨店があり続けることの重要性を、改めて実感した。お客さまと従業員との出会い、その地域にしかないお取引先の商品、高島屋があるからここに住むことにしたとおっしゃるお客さまもいた。将来にわたって存在し続けること、お客さまが安心してお買い物を続けられる環境をつくっていくことは、社会的にも意義があると考えている。
自分に合ったリーダーシップとは
知見録:ここまで、順調に経験を積んできたように見えるが、実際は?
中川:入社6年目で、初めてマネージャーになった。先輩から「リーダーは怒らないとダメだ」と言われ、自分自身も強いリーダーに見せたくて、ミスをしたメンバーをみんなの前で怒ったりしていた。知識・経験のある年上のメンバーの意見を尊重しないで、自分がやりたいことを押し通したりもしていた。
当然ながら、現場のメンバーは誰もついてきてくれない。結果的に私はその1年で異動となってしまった。それ以降、「自分に合ったリーダーシップとは?」とか、「人や組織を動かすにはどうしたらよいのか?」といったことを、初めて考えるようになった。それでも、答えはなかなか見つからなかった。
さらに、年次を重ねるにつれてリーダーとして求められる期待と自分の成果とのギャップを強く感じ、精神的にも肉体的にも限界を感じることが多くなった。当時の自分は「人に任せる」ことが苦手で、すべて自分で背負い込んでいた。そうではなく、「チームとしてどう仕事に取り組んでいくか」を考えないといけないと思うようになった。
そんなときに出会ったのが、グロービスだった。当時は自分に対する不安、いら立ちが高まっていた。このままじゃダメだ、なんとかマイナスをゼロにしたい。そんな藁にもすがる気持ちだった。
私が見つけた生涯のミッション
知見録:なぜグロービスを選んだのか。
中川:「クリティカル・シンキング」の体験クラスを受けて、衝撃を受けたからだ。グループ・ディスカッションのレベルが高すぎて、まったくついていけない。自分はこれまで、本当に勉強してこなかったんだなと思った。「3C」とか「7S」とか、基本的な用語も知らないし、相手にロジカルに伝える能力もない。ビジネス・スキルをパーツではなく、体系的、構造的に学ぶ必要があると感じた。加えて、会社の同期がグロービスに通っていたことが大きい。百貨店の仕事は休みが不規則だが、それでも同期は卒業できていたので、ここなら仕事との両立ができると思った。
さらに、仕事を共にした先輩の存在も大きかった。彼女は若くしてリーダーとなり、ベテランのメンバーを率いていた。彼女に会ってお話ししたときには、圧倒的なレベルの違いを感じた。深い知識があり、なおかつ相手にロジカルに伝えることもできる。どうしたらあんなふうになれるんだろうと思っていたところ、別の同僚から、彼女がグロービスで学んでいたことを聞いた。このことが私の背中を押してくれた。
知見録:グロービスに入学してどのように変わったか。
中川:いちばん大きな変化は、自分のマインドだ。かつての私は、「それで自分は何が得られるのか」とか、「自分にどんなメリットがあるのか」といったことばかり考えていた。しかし現在は、「いただいたご恩をどうお返しするか」とか、「人に、地域に、組織に対して、自分は何ができるだろうか」といったことを考えるようになった。生涯のミッションを見つけたような気持ちだ。
コミュニケーションは質より量
知見録:「パワーと影響力」と、「リーダーシップ開発と倫理・価値観」のクラスから、「人を動かす」術を学んだとか。
中川:講師の伊藤羊一さんは「動かしてなんぼ」「洗練されたリーダーシップではなく、泥くさいリーダーシップでよい」とよく言っていた。なかでも店長時代にもっとも実践したのは「コミュニケーションは質より量」という教えだ。自分で決めた「店内を1日3回、巡回する」というルールは、まさに羊一さんからの影響だ。
従業員とのコミュニケーションの接点を、とにかく重視していた。従業員に集まってもらう会議や、資料の作成・配布などは極力、少なくして、そのぶん面と向かって対話することを心がけた。
店内を回っているうちに、いろんな意見が出るようになった。最初のうちは、「ここの電球が切れている」とか「冷房がききすぎて寒い」とか、ごくささいなこと。それをその場で改善するようにしていると、次第に「お客さまがこんな商品を欲しいと言っていた」といったような、貴重な意見が出るようになった。「言ってもどうせムダだ」が、「まず言ってみよう」に変わった。あきらめムードではなく、何か変わるんじゃないかという雰囲気が出てきた。
それまでの港南台店は、すごく自信を失くしているように見えた。だから、「多少の悪いところは目をつぶって、よいところをどんどん見つけていこう」という取り組みを行なった。たとえば、笑顔のよかったメンバーや、挨拶が元気だったメンバーを見つけたら、メッセージを書いたカードを手渡していた。思った以上に効果があり、大げさではなく涙を流して喜んでくれるメンバーもいた。ほめてもらえたのが嬉しいのではなく、気づいてもらえたのが嬉しかったと。「気づく」ことには、こんなにパワーがあるんだなと思った。
知見録:その結果、サービス評定が高島屋全店最下位だった港南台店が、全店2位へと飛躍した。
中川:研究科長の田久保善彦先生にも、折に触れて背中を押してもらった。田久保先生に言われて嬉しかったのが、「中川さんは数年後に役員になりますよ」という言葉。まさかと思いつつも、「もし自分が役員になったら、どんな覚悟で臨まないといけないか」とか、「そのときどんなスキルや経験を持っていなければいけないか」といったことを考えるようになった。そうしたら実際に、数年で高崎髙島屋の役員に就くことになった。心の準備ができていたので、戸惑いなく覚悟を持って職務に臨むことができた。
「企業の理念と社会的価値」は、もっとも記憶に残っているクラスだ。企業で不祥事があったという設定のもと、経営側と、それを追及する側に分かれ、謝罪会見を行なうという内容。私は経営トップの役をやらせてもらった。そのとき学んだのは、「逃げない覚悟」が大切だということ。消費者、株主、マスコミに正面から向き合って、自分たちの落ち度を受け止めながら、今後はこうしていくんだというメッセージを伝える。
実際にはこんなことが起こらないよう祈っているが、ささいなことも含めれば、企業としての失敗に向き合わないといけない場面はこれからも多くあるだろう。その意味で、非常に実践的な学びをいただいたと思っている。
ささいなことでもその場でほめる
知見録:部下のマネジメントにおいて、ほかに重視していることは。
中川:まず、自分の居場所を事務所ではなく、店頭に置くことが基本。そのうえで、できるかぎり権限委譲して、現場でジャッジしてもらうようにしている。百貨店はお客さまとの接点が生命線で、そこではスピードが何よりも大切。現場をいちばん知っているメンバーが、その場でジャッジできるようにすることが、結果的にお客さま満足度を高めることにつながると思う。
個人がジャッジすることによって、ときにはミスも生まれるし、それぞれに悩みや迷いも生まれる。そのサポートをするのが、私の仕事だ。メンバーには、失敗を恐れず、思い切りやってほしいと伝えている。
ただし、どうジャッジするかの方針、ビジョンは共有されている必要がある。そのために、半期ごとに立てられる会社の経営方針を、すべてのメンバーに説明している。マネージャーだけが理解していても意味がない。「ローズスタッフ」と呼ばれる、派遣で働いてくださっている方にも、ちゃんとお伝えする。だから説明会だけで、十数回も開いている。
あとは、メンバーのいいところを見つけたら、できるだけその場でフィードバックすること。挨拶とか、ちょっとした提案とか、あえて指摘しなくてもよさそうなささいなことでも、「すごくいいね」と伝える。このことが、メンバーのモチベーション向上に大きくつながると信じて実践している。
百貨店の未来
知見録:今後の目標について聞かせてほしい。
中川:地域の中で成長し続けられる、地方・郊外型店舗のモデルを描きたいというのがひとつ。いま私が在籍している高崎店は、6期連続増収を達成している。お客さまの数も、前年に比べて30%近く増えている。地方・郊外型店舗とひと口に言っても、地域特性によって事情はまったく異なると実感しているので、店舗ごとにアレンジするべき施策と、全店舗に共通する施策を切り分けることで、再現性を高めていきたい。
もうひとつは、その先を考えたときに、百貨店の業態そのものを今後どうしていくかを模索していきたい。個人的には、百貨店とは「プラットフォーム」だと思っている。この商品を売らなくてはいけない、このサービスを提供しなくてはいけないといった型があるわけではない。だからこそ、時代に合わせて変化していくことが求められる。逆に言えば、商品・サービスを、時代に合わせていかようにも変えられるのが百貨店の強みだと思う。
知見録:髙島屋も初めは呉服商だったとか。
中川:1831年の創業当時は、木綿の古着を扱っていた。いまで言う、いわゆるリサイクルショップのような業態だったと聞いている。やがて貿易商をやったり、戦前には「10銭ストア」という、いまで言う100円ショップのようなことをやったり、いろんな業態をへて現在に至っている。こうして時代に合わせた変化をくり返してきたからこそ、200年近くの歴史が続いてきたのだと思う。
もしかしたら、現在の業態も通過点にすぎないのかもしれない。大きな実店舗というプラットフォームを活かしながら、中身となるコンテンツはECも含め、時代に合わせて柔軟に変えていく。それをやり続けることが、百貨店の未来につながると思っている。
中川 徹
株式会社高崎髙島屋 取締役副店長/グロービス経営大学院2017年卒業