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どんなときでもファイティングポーズを取り続ければ道は開ける

2019年10月11日

  • 卒業生の活躍
  • キャリア
野本 周作 株式会社エー・ピーカンパニー海外・新規事業本部 兼 生産流通統括本部執行役員本部長/グロービス経営大学院 大阪校2010年卒
田久保 善彦 グロービス経営大学院 経営研究科 研究科長

人生100年時代。70代まで働くことを想定した場合、40代、50代はどうキャリアを築いていけばよいのでしょうか。活躍するビジネスパーソンの姿から、そのヒントを探っていきます。今回は、グロービス経営大学院の卒業生で、松下電工を振り出しに紆余曲折を経て、現在はエー・ピーカンパニーで執行役員を務める野本周作さんにお話をうかがいました。(文=荻島央江)

思いがけず社長のスピーチライターに

田久保:キャリアのスタートは、松下電工でしたね。


野本:2001年に新卒で松下電工に入社しました。最初の5年間は経営企画室企画調査グループで、マーケティングリサーチを担当していました。通例ではその後、事業部への異動が多く、僕もそのつもりだったのですが、思いがけず同じ経営企画室内の戦略企画グループに移り、中期計画や年度方針の策定を担当するほか、社長のスピーチライターを務めることになりました。


まだ入社してわずか5年の自分が書いているスピーチが、当時連結で5万人、単体でも1万数千人の社員の行動指針になる。社内に与える影響力を考えると、プレッシャーがすごかった。グロービス経営大学院に通い始めたのは、この頃です。経営に近い立場になったものの、マーケティングの知識と一従業員としての視点しかない。スピーチライターである以上、もっといろんなことを学ばなければいけないと思ったのです。


田久保:なぜビジネススクールに通おうと思ったのですか。


野本:当社の役員研修の講師をされていた一橋ICS(一橋大学のビジネススクール)の一條和生教授から、「若いうちにMBA(経営学修士)を取るといい」というアドバイスを受けたからです。なかでもグロービスを選んだのは、「ここならより実践的なことを学べる」と思ったからです。当時は会社を休むことや辞める気はゼロだったし、純粋に「いい会社をつくり、企業価値を高めよう。そのために何ができるだろうか」と考えていました。


グロービス経営大学院の大阪校に入ったのは30歳のときです。僕の学年は40人強いました。30代半ばから40歳前後の人が多く、私は下から数えて4、5番目。強烈なお兄さん、お姉さんばかりでしたね。


田久保:グロービスではどんな学びがありましたか。


野本:クラスだと企業の再生戦略を学ぶ「ストラテジック・リオーガニゼーション」が印象に残っています。この講座では、チームを作り、実際の再生事例を題材に再生戦略を立て、最後にプレゼンテーションします。僕たちのチームは、2回連続で1位に選ばれました。


このとき、僕の強みは、戦略やストーリーを紡ぎだすことだと気が付きました。経営企画室の仕事で日常的にやっていたことなので、今思えば当たり前なのですが、ずっと同じ会社の中でやってきて外の世界を知らなかったこともあって、「社外でもそこそこ戦えるんだな」と自信が付きました。


また、「サービス・マネジメント講座」で学んで気が付いたことは、僕がケース読んでワクワクするのはやっぱりサービス業だなということ。大学時代のミスタードーナツとテニススクールでのバイトが本当に楽しかったんですよ。だから松下電工でも商品開発に関わりたかったのですが、一番遠い部署になっちゃって。


それでも会社の中枢を担うポジションということもあり、やりがいがありました。ただ2010年、親会社のパナソニックがうちの会社と三洋電機を吸収合併し、事業再編することが決まりました。これに伴い、合併後の後継ドメインとなる社内カンパニーの成長戦略および構造改革プランの策定、そしてそれを含めた最後の年度方針の策定・発表が、僕の最後の仕事になりました。

根拠のある自信ができた

大好きな会社がなくなってしまうことが決まり、正直「もういいや」と思っちゃいましたね。1つ大きな仕事をやり遂げた感もありました。そこで、これからどうしようかと田久保さんに相談したら、「外資系のコンサルに行ってもっと力を付けたらいい」と専門のエージェントを紹介してくれましたよね。それで2011年に戦略コンサルのローランド・ベルガーに転職したのです。


田久保:ローランド・ベルガーでは何を学びましたか。


野本:ここでの2年3カ月がなかったら、今の僕はないでしょうね。「人間とはこんなに働けるものなのか」と思いました(笑)。最初のうちは33歳にして、10歳くらい若い新卒の社員と一緒に2徹、3徹してましたから。


もちろん量的な部分だけではなく、質的な部分でもかなりのショックを受けました。前職のような大きな会社では、みんなのアイデアを1つにまとめてストーリーをつくります。得意な人に得意な分野の仕事を担当してもらい、それをまとめて最後にストーリーなどの形にするのが僕の仕事だと思っていました。


でも戦略コンサルだと、自分で1から10まで考え尽くさないといけない。もちろん助けを求めれば周りの人は助けてくれますが、最後はプロフェッショナルとして自分の担当する部分の論点に対しては自分で答えを出さないといけない。初めは本当にきつかった。ただ、次第に自分1人でできることが増えてきました。このとき、やればできる、どんな業界に行っても何とかなるという「根拠のある自信」ができました。


田久保:この時点で何歳ですか。


野本:33歳です。32歳で大学院を修了し、33歳で会社を辞めて、33歳から36歳手前までがベルガーです。


田久保:ここまでのキャリアは今から振り返れば。40代後半~50代で飛躍するためのしゃがみ込みの時期という感じでしょうか。力を蓄えていたというか。


野本:そうですね。グロービスでの学びはいわば経営の「読み、書き、ソロバン」だと思っています。本番が来るまでの筋トレ。そしてベルガーでは鍛えた筋肉を使って色んな種目をかなりハードにやった、という感じでしょうか。

5つの事業のP/Lを回す

田久保:以前、海外のビジネススクールで学んだ人にインタビューをしたら、一様に「ビジネススクールを終わった瞬間に、学んだものの部品が統合できたとは思えない。事業をやりながら統合されていった」と話していました。野本さんの場合も大学院でパーツを学んで、競技ができるようになってきたのがベルガーというイメージかもしれませんね。


ベルガーで経験を積んだ後、今度はウェディング事業などを手掛けるポジティブドリームパーソンズ(以下、PDP)に転職されています。どんな理由で転職を決めたのですか。


野本:コンサルの仕事は正直大変だったけど楽しかったし、色んな業界・企業の案件を一定期間ごとに携われることもとても刺激的でした。ただ、まだ専門性を深めるポジションでもなかったので、プロジェクトが終わったら二度と関与しないような案件を担当することも少なくありませんでした。同時に、ハードワークなので家族を犠牲にしてしまうことも多い。家族を犠牲にするほどの時間を捧げるなら、その後の人生を賭して関わっていこうと思う分野でした方がいいよね、って思って転職を決めました。


加えて、最終的には経営を担う立場で働きたい、かっこよく言うと、プロ経営者になりたいと思っていたこともあり、40歳になるまでの間にP/Lをせめてひと回しはしたいという思いもありました。P/Lを回したこともないのに、いきなり経営を任せてもらうには、コンサルタントとしても相当昇進しないと無理ですからね。そんなとき、エージェントに紹介されたのがPDPでした。


プロ経営者といってもどんな業種でもよかったわけではなく、BtoCのサービス・小売・外食といった業界のプロ経営者になりたいと思っていました。それは大学時代のアルバイトの経験が大きいです。僕はかつてバイトをしていたミスタードーナツのようなリピートビジネス、大きなドーンという感動でなくても、小さな日々の喜びを積み重ねていくビジネスがやりたかったんですね、ずっと。


だからウェディング事業にはあまり関心がありませんでしたが、よく話を聞くと「ウェディング以外に複数やっているリピートビジネスを伸ばせる人」が欲しいらしい、と。それを聞いてそれらの事業のうちどれか1つくらいは任せてもらえるのでは、と思って、PDPに行くことにしました。


田久保:PDPでは実際にどんな仕事をしたのですか。


野本:いろんな経験をさせてもらいました。最終的には、バンケット(一般宴会)、レストラン、フラワー、韓国、コンサルティングという5つの事業を担当しました。部下は140人ぐらいです。僕は、方針を決め、それを落し込み、追いかけて、軌道修正していくけど、実行するのは部下のみんな。そのみんながやる気になってくれ、頑張ってくれて、結果として事業規模は40億円から60億円と1.5倍に増えました。1つのP/Lを回しにいったのに、3年9カ月で5つも回す羽目になったんです(笑)。

事業の角度を変えるのが仕事

田久保:普通なら10年くらいかかるところ、濃縮された早回しの経験ができた、と。


野本:そうですね。この経験で、伸び悩んだり、落ち込んだりしている事業をグッと引き上げて成長軌道に乗せる、言い換えると「事業の角度を変える」ことが自分の強みなんだと自覚し始めました。


田久保:これまで積み上げてきたものを事業の責任者として使い始めた、まさに経営者としての第一歩を踏み出したのがPDPだったわけですね。


野本:そうなんです。ただ、そうこうするうち、昇進して執行役員になり、その半年後に3カ年の中期計画が終わって、また一仕事終えた感じになってしまいました。会社としては、6~7割を占めるウェディング事業がコア事業であり、僕のところはノンコア事業であることもあって、次の中期計画ではそこまで大きな拡大を求められなかった。


僕の仕事は現状維持ではなく「事業の角度を変える」こと。なので社長にお願いして、新たなチャレンジを違う環境ですべく、PDPを卒業させてもらった。そして17年からウェディングの前撮りサービスなどを展開する企業に移ったというわけです。


田久保:その会社に転身した理由は何ですか。


野本:理由は3つあります。1つは、売上高50億円規模の企業を経験したかったから。PDP時代に「売上高100億円に到達する前は結構カオスだった」という話を聞いたことがあり、サービス業のプロ経営者になるのであればそこを見ておいたほうがいいと考えました。2つ目はファンドの投資案件だったから、3つ目が上場も視野に入れた基盤整備を目指していたからです。創業社長はとてもパワフルな方で、この会社はかなり面白そうだなと。


経営企画のマネージャーとして入社し、バリューアップと各種体制整備を担当することになりました。ただ、事業部長を5つも並行して意思決定してきた人間が、決める側ではなく、決める材料を与えるスタッフ側になるということの意味を、転職して着任するまでわかっていなかった。「経営企画はずっとやってたから問題ない」くらいにしか思ってなかったのですが、自分が意思決定者でないことのストレスが少しずつ溜まっていたのです。


田久保:それで今のエー・ピーカンパニーにつながるわけですね。


野本:前の会社で働いているときに、友人から「大企業の経営企画の責任者だった人が欲しいって」って言われて。自分の過去のキャリアだと期待値に届かないと思って、一度は断ったのですが「話聞きに行くだけでいいから、一度会ってみなよ」と言われて、米山(久)社長に会いに行きました。前に社長の著書を読んだことがあったので、アイドルの握手会に行く感覚で行ってみようかなと。


実際にお会いしてみると社長の話は面白いし、僕の話も面白く聞いてくれて、1時間の面談の予定が1時間半まで延びて終了。「あー楽しかった、また今の仕事を頑張ろう」と思っていたら、5日後に内定の連絡が来ました。どうやらPDPで5つの事業を同時にやっていたことが評価されたようです。


あまりにも急な話に驚きました。しかもその時には経営企画だけでなく、マーケティングも担当することになったばかり。ただ、やっぱり自分の目指す姿に向かうためにも、このチャンスは逃したくなかった。なので、前の会社の社長にも「申し訳ないがチャレンジしたい」とお願いし、残っていた仕事もやり終えて、結局1年2カ月の在籍期間で退社。今の会社に18年8月に執行役員として入社しました。入社した段階では5部門の担当でしたが、今は細かい部門まで含めると15部門まで増えました。

ファイティングポーズをとり続ける

田久保:ここまでキャリアを見てくると、途中で心が折れていても不思議ではないと感じます。何が野本さんを支えたのですか。


野本:折れるなんて考えもしなかったので、「なぜ折れなかったのか」と聞かれると困りますね。「なんか流れが悪いな」というときも、「いつか流れが来る。その時のためにまずは目の前のことを頑張ろう」と思っていました。実績を積み、自分にそれなりに自信が持てるようになれば、そう簡単には折れませんよね。ファイティングポーズをとり続けていれば、必ずいいことがあります。


それにグロービスで一緒に学んだ仲間が「のもっちゃんならできる」「のもっちゃんがんばれ」と応援してくれるんですよ。そういう意味ではFacebookやTwitterなどのSNSってホントありがたい。最初の転職で大阪から東京に出てきたときにも、ちょっとした投稿を見てみんなが励ましてくれる。そういうことが自分を支えてくれました。


もちろん妻や子供の存在もかなり大きいです。特に、妻は人生の岐路でいつも背中を押してくれました。ベルガーに転職するとき、内定が出た瞬間に怯んだんです。戦略コンサルは厳しい世界だから、半年でクビになることもある。会社を辞め、マンションも売って東京に引っ越すのに「大丈夫か」と急に怖くなりました。そうしたら、妻が「私や子供のために諦めるのはやめて。後から『あのとき行けばよかった』と言われても責任取れないし。折角通ったんだから行け」って。おかげで安定した大企業から飛び出すことができました。


田久保:家族の存在も大きかったのですね。


野本:はい。それに僕が常にファイティングポーズをとり続けているのには、もう1つ要因があります。それは父親が49歳で他界しているのですが、もし仮に同じように僕も49歳で人生が終わるなら、あと8年しかない。子供に胸を張って言える何かを残さないと、生きていた価値がない、だから折れてる暇はないんです(笑)


田久保:どう生きるかとどう死ぬかを明確にイメージすることはセットだと思います。期限を意識している人の生き方と、そうでない人の生き方は明確に違います。野本さんのように時間の有限性を本当に意識している人は本当に強い。


野本:時間の有限性に対する意識って大切ですよね。僕がキャリアを積んできたサービスや小売、外食の業界は、現場にはすごくいいものが眠っているのに、経営がイマイチなためにそれを活かし切れていない、ということが往々にしてあります。


そこにずっとハンズオンで入り続ける経営者になれば、もっと日本のGDPは上がると信じて、実際に事業会社に飛び込んだのですが、改善すれば改善するほどどんどん良くなっていく。だからついつい止まらなくなる。時間がもっと欲しいって、止まったらその分良くなるのが遅れるって思う。だからこそ限りある時間をどう使うか、っていう意識はより強くなる。


田久保:そういえば、何年か前のあすか会議で星野リゾートの星野(佳路)さんが「MBAを取ったら、コンサルではなく、田舎や旅館や飲食に行け。誰もMBAなんて持っていないから、教科書どおりに本気でやれば勝てるよ」と話していました。まさにそういうことですよね。


野本:僕のように大きな企業の経営に近いところにいた人でないと見ていない景色があります。大きい企業で普通に回されている仕組みや考え方っていうのには、必ず理由があるし、それを知っている、または見たことがあるというのは、大きな価値なんです。とはいえ、中にいると分からない。松下電工時代、毎日朝会で唱えていた「綱領」「信条」「七精神」も、「なんで毎朝唱えないといけないんだろう」って入社直後は思っていましたが、外に出ると本当に超大切だなと思う。


だから、そういう知っていること、見てきたこと、やってきたことを、その時に携わっている事業や組織にあった形にカスタマイズして落し込んでいるだけ。めちゃくちゃ難しいことをやっているつもりはないけど、実はそのカスタマイズをどうやっていくかは自分でもいつも手探りで、形式知にできていないから毎度大変。ただ少しずつコツはわかってきたので、もうひと頑張りですかね。


エー・ピーカンパニーに入社して1年が経過したところです。まずは、今任せてもらっている結構多めの事業や組織をしっかりと良くしていきたいですね。


田久保:次は、役員として全事業に責任を持つ立場で活躍されることを期待しています。

野本 周作株式会社エー・ピーカンパニー海外・新規事業本部 兼 生産流通統括本部執行役員本部長/グロービス経営大学院 大阪校2010年卒

1978年生まれ。慶應義塾大学理工学部卒業。グロービス経営大学院終了(MBA)。松下電工(現在のパナソニックの社内カンパニー、ライフソリューションズ社)、ローランド・ベルガーを経て、複数のBtoCサービス企業で経営企画や事業責任者を歴任。2018年8月からエー・ピーカンパニー執行役員として手腕を振るう。

田久保 善彦グロービス経営大学院 経営研究科 研究科長

慶應義塾大学理工学部卒業、同大学院理工学研究科修了。スイスIMD PEDコース修了。株式会社三菱総合研究所にて、エネルギー産業、中央省庁(経済産業省、文部科学省他)、自治体などを中心に調査、研究、コンサルティング業務に従事。現在グロービス経営大学院及びグロービス・マネジメント・スクールにて企画・運営業務・研究等を行なう傍ら、グロービス経営大学院及び企業研修におけるリーダーシップ開発系・思考科目の教鞭を執る。経済同友会幹事、経済同友会教育問題委員会副委員長(2012年)、経済同友会教育改革委員会副委員長(2013年度)、ベンチャー企業社外取締役、顧問、NPO法人の理事等も務める。著書に『ビジネス数字力を鍛える』『社内を動かす力』(ダイヤモンド社)、共著に『志を育てる』、『グロービス流 キャリアをつくる技術と戦略』、『27歳からのMBA グロービス流ビジネス基礎力10』、『創業三〇〇年の長寿企業はなぜ栄え続けるのか』(東洋経済新報社)、『日本型「無私」の経営力』(光文社)、『21世紀日本のデザイン』(日本経済新聞社)、『MBAクリティカル・シンキングコミュニケーション編』、『日本の営業2010』『全予測環境&ビジネス』(以上ダイヤモンド社)、『東北発10人の新リーダー 復興にかける志』(河北新報出版センター)、訳書に「信念に生きる~ネルソン・マンデラの行動哲学」(英治出版)等がある。

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