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投稿日:2015年07月14日
投稿日:2015年07月14日
7つの知性を磨き上げた先に素晴らしい出会いと成長がある
- 田坂 広志
- 多摩大学大学院 名誉教授/グロービス経営大学院 特別顧問・特任教授/田坂塾 塾長
知性を磨き、使命を知る[3]
戦術思考の次に出てくるのが技術というレベルの知性になる。これには営業力や企画力、あるいはプレゼン能力等々いろいろあるけれども、今日はあえて1つの能力に絞ってお話ししたい。最も重要な力の1つはコミュニケーション能力だ。これ、言葉にすれば誰もが考えていることだと思う。ただ、このコミュニケーション能力と呼ばれるものも、まだまだずいぶん誤解されていると感じる。
たとえば、「コミュニケーション能力というのは話術のことだよね」と言う方がいらっしゃる。間違った言い方ではないけれど、それはコミュニケーション能力の初級課程だ。これに関して、私は以前、『ダボス会議に見る 世界のトップリーダーの話術』(東洋経済新報社)という本を書いた。なぜか。トニー・ブレアやプーチンやメルケルといった世界のトップリーダーの話術をずっと見ていて…、もちろん話自体や言葉遣いも上手なのだけれども、彼らの話の奥にあるものを見たからだ。
どういうことかというと、コミュニケーションの8割はノンバーバル(非言語)ということだ。言語ではない。同じことを語っても、言葉のリズムや間、あるいは姿勢や眼差しがダメなら話もほとんど伝わらない。だから、今この瞬間も私は…、言葉でもお伝えしたいけれど、8割のノンバーバルな部分について修行をさせていただいているつもりだ。皆さんほどの方々の胸を借りて、どれほどものを伝えることができるか、と。
皆さんはそうしたノンバーバルなコミュニケーション能力に関して自己評価をなさったことがあるだろうか。たとえば目力(めぢから)。睨みつけるという意味じゃない。ふと目が合ったとき、何かが伝わってくるようなものをご自身で磨いていらっしゃるだろうか。目も合わせず下を向いて話をするのはコミュニケーションの初級ですらない。あるいは、人間として持っている肚(はら)の座り方もコミュニケーションの根本と言える。
さらに言うと、コミュニケーションというのはすべて「5分」。瞬間的には5秒のときもある。たとえばお客さまに1時間の予定をいただいて商談に行ったとする。そうして、「今日は貴重なお時間をありがとうございます」と言って話をはじめるわけだ。ただ、最初の5分で「あ、面白いね」という気持ちを持っていただけなかったら、本当はもうおしまい。約束したから1時間はとりあえず聞くふりをしてくれるけれども、心のなかでは「次の会議は~」「昼飯は~」と、別のことを考えていて、気持ちは離れている。
そこで、「あ、お客さまの気持ちが今離れたな」と気が付く人はどんどん伸びていく。でも、そこに気付かずだらだらと1時間喋る方もいらっしゃる。だから、コミュニケーションの力を磨くのなら5分の勝負をすること。3時間いただいたとしても、大事なのは最初の5分だ。そこで、「なるほど、面白い」って思っていただけなければ目の前の方は聞く気を失う。これは1人の方が相手でも1000人の聴衆が相手でも同じだ。
で、その5分間、なんとか気持ちを惹きつけることができたら次はどうなるか。残りの55分をしっかり聞いていただけるわけじゃない。さらに次の5分をまた聞いていただけるというだけ。結局、その積み重ねによってコミュニケーションは最高のものになっていく。私自身、そう考えて修行をしている。
また、これは『人は、誰もが「多重人格」 誰も語らなかった「才能開花の技法」』(光文社新書)という本にも書いたけれど、本当にコミュニケーションがうまい方は自分のなかに複数の人格がある。その使い分けが見事だ。で、ある部下がたるんでいたら「ダメじゃないか」と厳しく指摘する一方、部下が辛そうにしていると、たとえば「一緒に歩んできた10年じゃないか」と、心に染みる言葉をかける。これを行っているのは同じ人格じゃない。
そうした多重人格を皆さんは自分のなかで育てているだろうか。経営者の方々とさまざまな仕事をさせていただくなかで私が学んだことの1つは、優れた経営者は誰もが多重人格者であるということだった。意識しているかどうかは人によって違うけれども、どの経営者の方々も状況に応じて見事なまでに異なった人格が出してくる。
優秀な営業マンや企画マンについても同じことが言える。たとえば企画の前半はどちらかというと民主主義で進むから、皆、ゆったりと意見を出すことができる。ただ、終わり頃になると、すっと静かに穏やかに、エレガントに独裁者が出てくる。企画をまとめない限り話にならないからだ。そうした人格の切り替えをする。どんな仕事でも一流のプロフェッショナルは多重人格だと言える。
で、そうした技術の修行をしているうち、必然的に向かう世界がある。それが「人間力」の世界だ。もちろんスキルはとことん磨いたらいい。ただ、たとえば懸命にプレゼンを練習して、「俺はずいぶんプレゼンがうまくなった。パワーポイントのプレゼン資料もうまくつくれるようになったし、喋り方も上達して説得力も出てきた。論理もいい」となっても、プレゼンでお客さまの気持ちがすーっと引いてしまうことがある。
俗にいうスキル倒れという状態だ。で、3回ぐらいそうした失敗をすると先輩や上司がさすがに教えてくれる。「お前のプレゼンはうまいと思うよ。スキルは見事だ。でも、どっか、偉そうなんだよな。上から目線なんだよな。だからお客さんの気持ちが引いていくんだよ」と。それに気付いたときが、人間的成長を遂げる瞬間になる。
「君のプレゼンはなかなかうまいんだけれども、君は売りつけようという気持ちが強過ぎる」といったアドバイスもある。お客さまをなんとか操ろうという操作主義だ。今、書店にはそうした本が溢れている。客を虜にするとか、部下を意のままに操るとか、挙句の果てには上司を意のままに操るとか(会場笑)。操作主義花盛りの時代だと思う。でも、そんなものにかぶれたら、人間の真実の世界はふっとんでしまう。そのことに気付いて、「ああ、自分はどこか自分中心で、客を操ってやろうという気持ちが強かった」と思った瞬間、人間力の学びという世界に突き抜けていく。
苦労や困難こそが自分の可能性を引き出してくれる
今壇上に立っている私自身、そういう時代を超えて、いまだ修行中の身だ。人間としての完成などは遥か彼方。でも、目の前の仕事を通じて自分を磨き続けていけば、歩んだぶんだけは成長させていただけると思っている。64歳になった私はいまだ、そうした成長の道を登り続けていたいと思うし、皆さんにもそうしたメッセージは十分伝わっていると思っている。
今日の巡り合いは一期一会。少し駆け足でお話をさせていただいたけれども、皆さまには今日申し上げた、思想、ビジョン、志、戦略、戦術、技術、そして人間力という7つの知性をしっかりと磨いていただきたい。これは、どれか1つあればいいとか、どれか1つはアウトソーシングでもいいというものでもない。多少の得意不得意はあっても、やっぱり7つの知の力をしっかり身に付け欲しいと思っている。
その努力を続けていけば周りに素晴らしい方々が集まってくると思う。やはり誰もが優れた人と一緒に仕事をしたいと考えているものだ。だからこそ、今は道なかばでも、7つの知性を懸命に磨いていただきたい。給料が高いからというだけで優れた人々が集まるわけじゃない。やっぱり誰もが「高い志や深い使命感を持った人と一緒に歩んでみたい」と考えているんだ。「この人と一緒ならプロフェッショナルとして、人間として、素晴らしい成長ができる」と予感させるような方と一緒に歩んでみたい、と。
私は、同志という言葉も好きだけれど、ときに、「御同行(ごどうぎょう)」という言葉を使いたくなるときがある。これは仏教用語。同じ道を歩む仲間ということだ。人間として成長の道をともに歩んでいこうじゃないか、と。そのなかで、世の中を良きものに変えていくため、7つの知性をしっかり磨いていく。そうした志と使命感を持って歩んでいこうとしている人々の出会いこそ、ご縁と呼ぶべき深い出会いだと私は思う。
皆さんはすでに素晴らしいご縁を得てここにいらっしゃる。今日のこの場自体が素晴らしいご縁だ。13年前、『吾人の任務』という本に書いたその思いで、何もないところからスタートした方がこれほどまでネットワークとご縁を広げられた。そして、そこに集った方々同士がさらに素晴らしい縁を広げて、今、社会や日本あるいは世界を変えようとしている。「10年30年かかっても構わない。目の前の現実を1ミリでもいいから変えよう」と思い定めた瞬間、我々は素晴らしい成長をしていけるのだと思う。
皆さん、このあすか会議で、どのような志と使命感を定めただろうか。私は皆さんのお顔を昨日から拝見しているけれども、もうその質問も必要ないとすら思う。あとは目の前の現実を変えるため、ご自身の成長を大切にしていただきたい。私が若かった1970年代は、若者の誰もが学生運動で「社会、そして世界を変えるんだ」と叫んでいた。けれども、その嵐の季節のなか、私がたった1つ、学んだことがある。「自分を変えられない人間は、世界を変えることはできない」。それが、若い頃、壁に突き当って挫折したときに私が掴んだことだった。そこから民間企業で修行がはじまったわけだ。苦労は多かったと言えば多かったけれども、素晴らしい苦労だったと思う。
そもそも苦労というものは素晴らしいものだと思う。イチロー選手はかつて、ハドソンというアスレチックスのピッチャーに何試合も抑え込まれたとき、こういうことを言っていた。「ハドソンとの対戦は避けたいですか?」と聞かれた彼は、「いえ、ハドソンは私というバッターの可能性を引き出してくれる素晴らしいピッチャーです。だから私も修行して、彼の可能性を引き出すバッターになりたいです」と答えている。
コメントの後半部分はイチローらしい矜持だと思うけれども、前半部分は野球論に収まらない。今、皆さんがなぜ目の前の現実という困難な壁に直面し、苦労をなさっているのか。志が高いからではないか。使命感をお持ちだから、壁に突き当たるのではないか。それは、ラクをして、あるいは避けて通れるものではない。「ああ、この苦労や困難が自分の可能性を引き出してくれるんだ」と信じられるから、そして自分が心に抱く使命感の大切さを信じられるから、今日も明日も、目の前にある現実との格闘を続けていくことができるのではないかと思う。
そういうお姿が、輝いている。素晴らしいお姿だと思う。実際のところ、64まで歩んだ私がそれでも未熟な人間だからかもしれないが、何年~何十年人生を歩んでも人間としての完成は遥か遠い。自分の未熟な部分は自分が一番よく分かっている。でも、やはり1~2年を振り返れば、「ああ、成長させていただいたな」と思える。
皆さんも胸に手を当てて、ご自身が人生のなかでいつ成長してきたか考えてみて欲しい。ラクだったり順風満帆だったり成功していたときだっただろうか。決してそうではない。ため息をつき、夜道を歩き、天を仰ぎ、夜も寝られぬほど胃が痛くなるような苦労や困難あるいは挫折という日々のなか、我々は成長していたことに気付く。
人生は、そうした大いなる逆説のなかにある。何が素晴らしいことで、何が本当にありがたい出来事なのか、実は分からない。私自身、これまでを振り返ってみてもそう思う。私は30歳になるまでは大学院に残ってドクターとなり、研究者の道を歩みたいと思っていた。そういう人間が民間企業の法人営業という凄まじい世界に投げ出され、修行の場を与えられた。最初は逃げ出したかった。でも、その悪戦苦闘のなか、ある日、「ああ、この世界は最高だ」と気付いた。
そのとき心に刻んだ素晴らしい言葉がある。「小賢は山陰に遁し、大賢は市井に遁す」。小さな賢い人間は山に篭って修行をするが、本当に賢い人間は市井の修羅の巷で修行をするというものだ。市井では金も動くし人間の欲も徳も動く。裏切りだってあるかもしれない。でも、そうした人間のエゴがうずめく世界で、それでも1つの思いを貫いて歩んでいくことが修行なのではないかと思う。
だから皆さんも心に抱くその使命感を大切にしていただきたい。山に篭って「私は使命感を持っている」と言うのは簡単だ。でも、人は日々の仕事のなかで悪戦苦闘する。相手も自分も未熟な人間。ときに互いの小さなエゴがぶつかるときもある。でも、それを超えてともに人間的成長を目指し、自身の志や使命感を貫いていく。そういう歩みこそ、皆さんのお姿だと思う。私も、そういう道を皆さんとともに歩みたい。
最後に申し上げたい。人生、100年生きたとしても一瞬だ。私自身、若い思いで「社会や世界を変えてみたい」と考え続けてきて、気が付いたらもう64歳だ。あと何年生かされるかは天の声次第。そうした一瞬の人生を駆け抜けていく。そのなかで、本当に心が触れ合うような巡り会いはそれほど多いわけではない。私自身、これまでを振り返って100人いるかどうか分からないほどだ。ただ、あすか会議はまさにそうした、「ああ、巡り会えて良かった」という出会いの場ではないかと思う。
もちろん、この場以外でも皆さんはいろいろな人々と巡り会っていくと思う。そのときに思い出していただきたい。人間は誰もが、未熟な自身を抱えて小さなエゴに悩まされながら、それでも「良き人生を歩んでみたい」「何か世の中のためになることをしたい」と思って歩んでいる。そうした人間の深いところを見つめることができたら、そこで素晴らしい出会いがはじまり、素晴らしい関係が生まれていくのだと思う。
そして、皆さんには人生における3つの真実を見つめながら歩んでいただきたい。「人は、必ず死ぬ」「人生は、1回しかない」「人は、いつ死ぬか分からない」。だとしたら、皆さんはかけがえのない命を…、必ず終わりがやってくる、1つしかない、いつ終わるか分からないその命を、何に使うだろうか。「使命」とは「命を使うこと」だと、私には読める。皆さんがご自身のかけがえのない命を大切な何かに使われること、心から願っている。今日はかけがえのない人生の45分を私に預けていただいたこと、改めて深く感謝申し上げたい。ありがとうございました(会場拍手)。
※開催日:2015年7月4日~5日
田坂 広志
多摩大学大学院 名誉教授/グロービス経営大学院 特別顧問・特任教授/田坂塾 塾長
東京大学卒業、同大学院修了。工学博士(原子力工学)。1987年、米国シンクタンク・バテル記念研究所客員研究員。1990年、日本総合研究所の設立に参画。現在、同研究所フェロー。2000年、多摩大学大学院教授に就任。社会起業家論を開講。同年、21世紀の知のパラダイム転換をめざすグローバル・シンクタンク、ソフィアバンクを設立。代表に就任。2008年、世界経済フォーラムのグローバル・アジェンダ・カウンシルのメンバーに就任。2010年、4人のノーベル平和賞受賞者が名誉会員を務める世界賢人会議、ブダペストクラブの日本代表に就任。2011年、東日本大震災に伴い、内閣官房参与に就任。2013年、全国から4800名の経営者が集う場、「田坂塾」を開塾。著書は80冊余。