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投稿日:2020年04月14日
投稿日:2020年04月14日
東京オリ・パラの中止を回避せよ――チームによる交渉の進め方の基本
- 大島 一樹
- 書籍・GLOBIS知見録編集部 研究員
今年、東京での開催が予定されていたオリンピック・パラリンピックは、新型コロナウィルス肺炎の世界的流行の影響を受け、来夏へ開催延期となりました。これまでに前例のない延期という決定がなされるまでに、やきもきされた方も多いことでしょう。本コラムでは、今回の延期決定に至るまでのプロセスを一連の「交渉」と捉え、これを題材にとってビジネスにおける交渉のセオリーをご紹介します。
なお、東京オリ・パラに関する情報は広く報道されたもののみに基づいており、個別の行動の妥当性を論評する目的はありません。
筆者がかつて執筆した『交渉術の基本』(ダイヤモンド社)では、交渉の準備から実行に至るプロセスを、以下の4つのステップに分解して捉えています。
- 状況を客観的に捉える――そこにいる人たちは誰で、そこで起こっていることは何か
- 相手の視点で考える――相手は何が見えていて、何を欲しているか
- 自分のミッションを明確化する――自分はどうしたいのか、何を実現したいのか
- 交渉を進め、決着に導く――相手との間で何ができるか
とかく交渉ごとになると「自分のミッション」にばかり関心が行ってしまいがちですが、その前段として「相手の視点で考える」ことが極めて重要です。そして、そもそも「相手」は誰なのか、相手の視点からは何が見えているのかを的確に知るためには「状況を客観的に捉える」ことが必要になるのです。
状況変化と認識の変化のズレを調整しながらの交渉
今回の東京オリ・パラをめぐる交渉では、特にこの「状況を客観的に捉える」ことが非常に難しかったと想像できます。まず利害関係者が多様であること。実行主体となるのは「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」ですが、ここに東京都、JOC(日本オリンピック委員会)が加わり、また政府や近隣自治体、各競技団体も関わってきます。そして交渉の直接の相手方はIOC(国際オリンピック委員会)ですが、当然関係者はそれにとどまらず、スポンサー企業、放映権者、広告代理店、各国のオリンピック委員会等々が控えています。もちろんいわゆる「世論」(とそれに影響を与えるメディア)も無視できません。
通常のビジネスシーンでは、さすがにここまで複雑な利害関係を抱えるケースはまれだと思いますが、利害関係者(ステークホルダー)を洗い出し、それぞれの力関係や誰がキーパーソンなのか等を把握しておくことは、交渉戦略を立てる上の出発点です。
そして今回の交渉で大きなカギを握ったのは、新型コロナウィルスの感染状況という「外部環境の変化」の把握でした。問題が浮上した初期のころは、感染状況では先行して日本に影響が出始め諸外国では「東京の感染状況に照らして、選手や観客らを送っても安全なのか」という懸念が支配的でしたが、徐々に世界的に感染が拡大していき、交渉終盤では「各国が代表選手を決められなかったり、渡航制限を解除できなかったりする状況で、選手や観客が来られるのか」と、懸念の方向が180度変わっていったのは周知のとおりです。
とはいえ、関係者の認識が同時に変わっていくわけではありません。ある人は状況が変わったと思っているが、別の人は元の状況のままだと思っている。そんなズレをいかに埋めていき、客観的な状況認識をしていくかがポイントです。
ビジネスシーンの交渉でも、たとえば「顧客の好みが変わった」「世間の空気が変わった」といった変化によって、交渉の着地点が変わってくることは多々あります。交渉者は常に状況変化に感覚を研ぎ澄まし、機敏に作戦を切り替えていくことが求められます。
チームによる交渉の難しさ
最後にもう一点、今回の東京オリ・パラ交渉が示したのは、チームによる交渉の難しさです。一口に「日本側」と言っても、政府の安倍晋三首相、組織委の森喜朗会長、東京都の小池百合子知事、JOCの山下泰裕会長と、多様な“当事者”がいました。当然、この4名の背後に実務を司る人たちやさまざまなステークホルダーがいます。一方で、IOCと交渉していくには、これらの当事者たちが一致団結して進めて行かなくてはなりません。しかも、今回の場合は交渉当初は「予定通り実行するかどうか」が争点でしたが、前述の状況変化によって予定通りの開催が困難になってくると「中止か延期か」「延期するならいつにするか」と争点がダイナミックに動きました。そんな中にあって日本側として意思を統一することはもちろん、対マスコミも含めて言動においてもチームワークが求められます。
ビジネスシーンの交渉でも、ここまで関係者の地位が多岐にわたりはしないにしても、多かれ少なかれ複数人でチームを組んで交渉を進める場合は多いでしょう。前掲書では、チームで交渉を行う際の主な約束事を以下のように紹介しました。
・交渉構造の理解をチーム内で統一する
何を目標とするか、BATNA(これ以下の条件では相手と合意しない方がよいという、別の選択肢のこと)などについて、どう認識するべきかを統一し、共有しておくこと
・情報管理を明確にする
相手に見せる情報は「どういう順番でどう見せるか」、入手した情報をチームの誰まで共有するか、情報の開示/非開示を誰が決め、運用するかについては、明確なルールを設けておくこと
・役割分担をしておく
どの相手に誰が当たるか、誰が主な情報発信役になるか。またもう少し細かい話として、交渉の一つの場に複数名同席するとしたら誰が会話役で誰が書記役となるかというように、何らかの役割分担を決めておくこと
交渉に一つの「正解」はありませんが、セオリーを理解したうえで実践を重ねることによって、長期的にみて成功率は必ずや高まります。世の中のさまざまな事件も、こうした基本を思い出す契機にしてみましょう。
大島 一樹
書籍・GLOBIS知見録編集部 研究員
東京大学法学部卒業後、金融機関を経てグロービスへ入社し、思考系科目の教材開発、講師などに従事。現在は書籍・GLOBIS知見録編集部にて企画、執筆、編集を担当するとともに、「グロービス学び放題」のコンテンツ開発を行う。共著書に『MBA定量分析と意思決定』、『改訂3版 グロービスMBAクリティカル・シンキング』(以上ダイヤモンド社)など。