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投稿日:2018年09月03日

投稿日:2018年09月03日

800年の歴史を持つ築地本願寺を今なぜ変革するのか?――宗務長・安永雄玄氏に聞く

安永 雄玄
築地本願寺 宗務長

インタビュアー

竹内 秀太郎
グロービス経営大学院ファカルティ本部主席研究員

銀行員やヘッドハンダ―として活躍後、築地本願寺・宗務長(代表役員)となった、異色のキャリアの持ち主・安永雄玄氏。就任後は、これまでの経験を活かし、「新たなご縁づくり」のためカフェやサテライト・テンプルを運営し、さらにCRM(顧客情報管理)システムを導入。職員にはMBO(目標管理)を取り入れるなど、組織の内外で様々な変革を進めています。800年もの歴史がある巨大な組織で変革を進める原動力は一体何なのか、お話を伺いました。

企業経営で培った経験を活かし、歴史ある寺を10年計画で改革

―築地本願寺境内に新しくできた施設が話題になっていますね。カフェなど、お寺の一部とは思えないようなお洒落な雰囲気なので驚きました。

本堂に向かって左側にインフォメーションセンターを新たに建設しました。中にはブックセンターやカフェが入っています。築地本願寺には年間約200万人が訪れていたのですが、より気軽に来てもらえるよう、カジュアルな雰囲気のスペースにしました。また隣には新しい形の合同墓も開設しました。昨年の11月から募集を開始し、すでに2000人以上が申し込まれました。ライフスタイルや家族構成の変化に伴って、お墓に関するニーズも多様化してきています。今回の合同墓は、冥加金(布施)30万円からで、個人単位で生前に申し込める形にしました。複数の遺骨を1つにまとめる合葬には抵抗があるという人にも配慮し、個別のお骨袋に保管します。毎日僧侶がお経をあげるなどの安心感があることも好評を頂けている要因かと思います。

―築地本願寺創建400年の節目の大改革に取り組んでいる真っ最中と聞いていますが。

これらは「築地本願寺首都圏宗務特別開教区伝道推進基本計画」という一大プロジェクトの一環としての取り組みです。2016年にサテライト・テンプルとして、銀座2丁目の「築地本願寺GINZAサロン」をオープンしたのを皮切りに、合同墓など境内施設の建設など、10年間で40億円を投じる計画です。サロンでは、各種講座を受講できる「KOKOROアカデミー」と現役僧侶に無料で悩み相談できる「よろず僧談(そうだん)」といったサービスを提供しています。お寺が街に出ていって、仏教に触れる機会をもってもらおうというコンセプトで、既におよそ5000人の方に利用して頂いています。

―10年計画の初期段階ということですね。ここまでの進捗をどう評価されていますか。

2015年7月に私が宗務長に就いて以来2年半ほどで、ハード面の整備ができたところです。「開かれたお寺」を目指し、新しい施設をつくってきましたが、これからは情報インフラやサービスの拡充を進めていきます。門信徒に限らず、お寺を身近に感じ、つながりを持ってもらうための緩やかな会員組織をつくり、葬儀等の仏事相談はもちろん、相続、遺品整理、自分史作成まで、さまざまな悩みにワンストップで対応できる「人生サポート」サービスを展開していく構想で、2025年までに10万人の会員獲得が目標です。CRM(顧客情報管理)のシステムを整備し、それぞれのスタイルにあったサービスを提案するといったことに着手し始めたということです。

個人の時代に寺はどうあるべきか?

―ビジネスのプロとしてのみならず、お寺の代表として、さらに変革を加速できる土台ができてきたところで、どんな変革ビジョンをお持ちなのでしょう。

お寺の変革も、グロービスで教えている経営につながるところが多くあります。つまり環境変化に合わせ戦略も変えていく必要があるということです。門徒数800万人の浄土真宗は、日本の仏教諸宗の中でも最大の寺院数を擁していますが、ある調査では今後20年でその3割が消える可能性があるとされています。築地本願寺のある首都圏で、浄土真宗を信仰している人は3%しかいません。6割の人はどこの宗教にも帰属意識を持たない無関心層です。

これまで家単位で世襲されながら檀家は維持されてきましたが、これからは個人の時代。伝統仏教に問われているのは、いかに個のニーズに対応し、個人単位での関係を築いていけるか。葬儀、お墓、相続、遺言といった人生のエンディングステージでのサポートはもちろん、シングルマザーやLGBTといった課題や悩みごとのコミュニティもつくっていきたいと考えています。「ご縁をつくる、ご縁をつなぐ」をモットーに、個人の悩みを解決できるソフトを充実させていきたいと考えています。

―「寺離れ」といわれるご時世ですが、これからのお寺のあり方をどうお考えですか。

鎌倉時代にできた浄土真宗は、戦国時代の一向一揆が時の権力者からも恐れられていたように絶大な力を持っていました。当時のお寺は信仰の場というだけでなく、学びの場、交流の場でもあり、まさに生活のすべてと一体化していたと考えられます。お寺がコミュニティの中心にあったのは、お寺が庶民の頼れる存在だったということでしょう。ですから、豊かになった現代において、お寺のめざす姿が、復古主義の原点回帰というほど単純な話ではありません。むしろ現代ならではの人々の悩みにいかに寄り添えるか。一人ひとりの人生観が求められるからこそ、お寺が支えになれることがあると考えています。どのような言葉で、それを伝えるのかは、とても難しいのですが。

ビジネスでの後ろめたさから宗教の道へ

―ビジネスの世界でキャリアを積んでこられた安永さんが宗教組織の変革の旗振りをされているのは、とても珍しいことだと思うのですが、もともと宗教に関わりがあったのですか。

私は若い頃から人間の内面に興味があり、精神科医を目指し医学部進学を考えた時期もありました。実際には経済学部を経て、銀行に就職したのですが、銀行を選んだのも、様々な場所に行き、いろいろな人に会えると思ったからです。10年ぐらい勤めたら独立して貿易商社をやろうという構想もあったのですが、英国赴任となり独立はお預け。さらにケンブリッジ大学への留学のチャンスをもらい、教授たちと宗教についての議論を楽しんでいたこともありました。

宗教との関わりが深まったのは、銀行を辞めた後です。バブル崩壊後の銀行業務は過酷なものでした。かなり厳しい取引を目の当たりにしながらも、組織のためだと自分に言い聞かせる日々でした。ビジネスパーソンは誰もが、多かれ少なかれ、組織の目標と個人の信念の間で、どこかしら後ろめたさを背負っているものだと思います。約20年務めた銀行を辞め、ヘッドハンティングの仕事に転身した後も、そうした後ろめたさは残っており、どう向き合ったらよいのか様々な勉強をし始めたところ、通信教育とスクーリングで浄土真宗について学ぶ学校を知りました。その学校に入った頃は、まだ僧侶になるつもりはなかったのですが、一緒に学んでいた同級生に影響され、卒業後、50歳で得度しました。

―どういった経緯で、築地本願寺の変革に取り組むことになられたのですか。

大学の先輩で実家がお寺という人から声をかけられ、そこのお寺の副住職になりました。週末には、そのお寺の法事を勤めていました。そのうち浄土真宗本願寺派の有識者会議に呼ばれるようになり、2012年、教団の組織改革で設置された3人の社外取締役的な委員の1人に任命されました。同時期に築地本願寺が宗派の直轄寺院になり、首都圏の伝道教化を主導する位置づけとなる中、一緒に委員をやっていた人とサテライト・テンプル構想を提案したところ、自分でやってみろという話になったわけです。

「迷ったら、イエス」、言い続けていることが現実になる

―頼まれた際、迷うことなく引き受けられたのですか。

提案した時は、まさか自分がやるとは思っておらず、やる人は大変だろうと呑気に構えていました。築地本願寺の運営にフルタイムでコミットするとなると、経営していたヘッドハンティングの会社をどうするのか。また早朝や休日にもあるお寺でのお勤めも引き受けながら家族との生活は続けられるのか。そんな簡単に答えの出せる話ではありませんでした。

―何が決断を後押ししたのですか。

「迷ったら、イエス」というスタンスでしょうか。これまでもそう心掛けてきたし、週末に講師をしているグロービス経営大学院でも常々そう語ってきましたから。ビジネススクールで学ぶ受講生に対し「創造と変革の志士たれ」と言っていることが、ブーメランのように自分に戻ってきます。ここで怯んでどうするんだと。

加えて、自分もどこかでやってみたいと思っていたんでしょうね。言い続けているうちに実際にそうなっていく。お寺の変革でも「10年で10万人の会員獲得」とか、現時点では絵空事と感じられようが、リーダーは言い切ることが大事です。

―銀行時代に組織の利益を追求する裏側で個人としての後ろめたさのようなものを抱き、キャリアチェンジを重ね、宗教の道にも入られた安永さんが今、CRMとかMBOとか、ビジネス組織のノウハウを駆使してお寺の変革を推し進めているというのも、不思議な巡り合わせのように感じます。

私のような経歴の人間だからこそやれることがあると思っています。ビジネスのノウハウを駆使するとしても、数字を上げるのが目的ではなく、伝道布教ということが究極の目的なので迷いはありません。環境に合わせて変わっていくことは、どんな組織であろうと必要なことです。伝統仏教の場合、コアの考えは大事にしつつ、価値の伝え方を工夫していかなければいけません。コミュニケーションやアプリケーションをいかに変えていけるか。そうしなければ本来伝えたいことも伝わりません。

宗教者として、教育者として、人生の意味を伝えていきたい

―伝えるということに関して、安永さんが布教をされる際、何か心掛けていることはありますか。

できるだけ相手に合わせて話しの中身を変えていこうと心がけています。たとえば相手が高校生なら、自分が高校時代の頃の話を引き合いに出すと、興味を持って聞いてくれます。フラれた話とか、プライベートなことも話します。ある意味、伝えたいことをしゃべっているということかもしれません。それが何かしら役に立てば幸いです。

―宗教家であり、教育者である安永さんは、これからも多くの人にお話をされる機会があると思いますが、一番伝えていきたいのはどんなことですか。

人生の途上で起こることには個別の良い悪いはありませんし、自分に起こることすべてに意味があります。目の前にある仕事に全力を尽くす。そうしていれば、誰かが見ていて助けてくれます。

―安永さんの半生、そのものですね。本日はありがとうございました。

安永 雄玄

築地本願寺 宗務長

三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に21年間勤務し、大阪、ロンドン、東京、名古屋の各地で現場の法人営業から、本社での経営企画管理や、人事評価企画・研修から、国際業務戦略の立案にいたるまで幅広く担当する。 また、大手鉄道会社において、新規事業の企画開発に従事する一方、人材コンサルタントへの転職前は、ITを活用した消費者金融会社(モビット)の設立、開業を財務・人事管理部門ヘッドとして担当する。現在は、外資系大手エグゼクテブ・サーチ会社(ラッセル・レイノルズ社)を経て独立し、(株)島本パートナーズの代表取締役社長として経営幹部人材のサーチ・コンサルティング業務に従事するとともに、企業経営者や大手企業幹部向けのエグゼクティブ・コーチング活動を展開。現在は築地本願寺宗務長として寺院の経営や、首都圏での新しい伝道活動に従事。早稲田大学商学部元講師。経済同友会会員。

インタビュアー

竹内 秀太郎

グロービス経営大学院ファカルティ本部主席研究員

一橋大学社会学部卒業。London Business School ADP修了。外資系石油会社にて、人事部、財務部、経営企画部等で、経営管理業務を幅広く経験。社団法人日本経済研究センターにて、アジアの成長展望にフォーカスした世界経済長期予測プロジェクトに参画。グロービスでは、法人向け人材開発・組織変革プログラムの企画、コーディネーション、部門経営管理全般および対外発信業務に従事した後、現在グロービス経営大学院ファカルティ本部主席研究員。リーダーシップ領域の講師として、Globis Executive Schoolおよび企業研修を中心に年間約1,000名のビジネスリーダーとのセッションに関与している。Center for Creative Leadership認定360 Feedback Facilitator。共著書に『MBA人材マネジメント』(ダイヤモンド社)がある。