GLOBIS Articles

  • キャリア
  • 卒業生の活躍

投稿日:2020年01月08日

投稿日:2020年01月08日

SANYO-CYP 山村健司氏「社会から労働災害をなくすために、これからも会社を続けていく」

山村 健司
株式会社SANYO-CYP 代表取締役社長兼CEO/グロービス経営大学院2014年卒業

MBAの真価は取得した学位ではなく、「社会の創造と変革」を目指した現場での活躍にある――。グロービス経営大学院では、合宿型勉強会「あすか会議」の場で年に1回、卒業生の努力・功績を顕彰するために「グロービス アルムナイ・アワード」を授与している(受賞式の様子はこちら)。自社の労災問題を乗り越え、2019年「変革部門」で受賞したSANYO-CYPの山村健司氏に、MBAの学びをどのように活かしたのか聞いた。

「沈みゆく船」にあえて乗り込む

知見録:受賞、おめでとうございます。まずはこれまでの道のりを教えてください。

山村:大学を卒業してからは、大塚商会の関西支社で働いていました。自分で言うのも恥ずかしいですが、当時は順風満帆でした。営業成績は常に上位で、いろんな会社から引き抜きのオファーをもらっていました。給料も新人にしては、かなりいいほうだったと思います。

知見録:なぜ大塚商会を選んだのですか?

山村:家業の創業者である父は、自分の目の届く会社に就職させようとしました。それでケンカになったんです。「お前なんか雇う会社があるか!」と言われたので、こちらもカッとなり「それならこの会社よりデカいところに入ってやる!」と返しました。そう言ってしまった以上、絶対に大手企業に入りたかった。なので、大塚商会から内定をいただいたときは、本当に嬉しかったですね。

知見録:にもかかわらず、大塚商会を辞める決断をされました。

山村:父の会社が東京へ進出することになり、「手伝ってほしい」と頼まれたんです。戻るつもりはなかったのですが、これが苦しい状況を打開する、最後のチャンスだとわかってきました。弊社は印刷工程の中の製版・色校正を手掛けていますが、印刷物の市場は年々、縮小しています。このまま手を打たなければ、船は沈んでしまう。沈んでいく船を外から眺めるか、それとも船に乗ってできる限りのことをするか。悩みましたが、ここで船に乗らなかったら一生後悔すると思い、実家に戻ることを決めました。

「素直な心」が人を動かす

知見録:こうして2002年、SANYO-CYPに入社されます。

山村:当時、力を入れていたのは、UVインキ(紫外線硬化型インキ)という技術でした。「健司さん、大塚商会で営業やっていたんだから、売ってきてよ」と言われ、売り方もよくわからないまま外回りをしていました。そのとき出会ったのが、UVインキでの印刷で日本トップクラスの印刷会社です。

でも、なかなか取引をしていただけない。そこである日、ビルの下で「今から行きます」と電話をして、勝手に乗り込みました。そして、驚いている部長さんに「もう二度と来ませんから、私たちに仕事を出さない理由だけ教えてください」と言ったんです。部長さんは「お前、変わったやつだな。面白い、取引しよう」と言ってくれました。

いざ取引が始まってみると、私が印刷のことを何も知らないので、「そんなやつがよくうちに来たな」とめちゃくちゃ怒られました(笑)。でも、「すみません、知らないので教えてください」とお願いしていたら、やがて手取り足取り教えてくれるようになりました。そこで勉強したことが、自分を大きく成長させてくれましたね。その部長さんにはとても感謝しています。

その後、ある家電メーカーのテレビのオーナメントパネル(外枠)を手がけさせてもらうことになり、2010年から2011年のモデルは、すべてうちで量産しました。そのおかげで、会社の売上は過去最高を記録しました。

知見録:グロービスに入学したのはこの頃ですか?

山村:そうですね。ワールド・モード・ホールディングスの社長、加福真介が「俺たち、バカ息子のままだったら会社潰すぞ。ちゃんと勉強しないか?」と誘ってくれたんです。

知見録:加福さんは、家業を大きく成長させて2015年に同じくアルムナイ・アワードの「変革部門」で受賞されましたね。

山村:彼は大塚商会の同期なんですよ。私は、自分が「バカ息子」だと自覚していました。売上こそ過去最高を記録しましたが、損益計算書も貸借対照表も読めない。営業以外は何もできなかった。やがて会社を経営する立場になったとき、それではやっていけないと思っていました。

ちなみに、履修登録する際のログインパスワードは真介が握っていたので知らないんですよ(笑)。科目選びは全て彼に任せていて。ただ、数字に関わる講座はすべて網羅しようと話していました。それが我々に一番足りないところだと思っていたので。

仲間たちが苦しい日々を支えてくれた

山村:グロービスに通い始めて、1年ほど経ったころでした。いろんな方と出会い、充実した日々を送っていた中、「胆管がん発症問題」の第一報が報じられました。

知見録:印刷機の部品についたインキを拭き取るための洗浄剤が原因物質ではないかと疑われたそうですね。結局解明にはいたらなかったものの、業務起因性があるとして労働災害に認定されたと聞いています。学内で問題について聞かれたりしませんでしたか?

山村:いえ、まったく。「大変だね」とか、そんなことも言われませんでした。グロービスに通っている方は、非常によく勉強されているので、問題のことは当然知っています。知っていながら、あえて触れないでいてくれる。どうやら私のいないところで、大阪校の仲間が、「SANYO-CYPの山村さんと、グロービスに学びにきている山村さんは別だから」と言ってくれていたようです。ありがたかったですね。

知見録:一時はグロービスをやめようと思ったとか。

山村:名刺交換が嫌だったんです。「ああ、あの会社か」と思われてしまうので。グロービスの仲間に、「もうやめたい」と相談しました。するとそれ以来、彼らは何も言わずに、同じテーブルを囲んでくれるようになりました。初対面の受講生と名刺交換をしなくてよいように。そうやって、いつも私を守ってくれたんです。おかげで、卒業までたどり着くことができました。

知見録:グロービスでの学びは、問題の対応にも役立ちましたか?

山村:はい。当時はすべての対応を私が一手に引き受けていました。何から手を付けたらよいか困っていたときに、弁護士の浅井隆先生からこんなことを教わったんです。「先にゴールを考えて、それを達成するための戦略を立ててから、プロセスを考えないとダメだ」と。まさにコンセプチュアル・スキル(概念化能力)ですよね。「労災問題も同じなんですか?」と尋ねたら、「もちろん。そうしないとすぐにブレるぞ」と注意されました。

また、ユニオン(労働組合)との交渉では、ピラミッド・ストラクチャーづくりが役立ちました。論理的思考のもと、抜け、漏れ、ダブリなく説明することで、厳しい追及を受けながらも、最後は相手に納得していただくことができました。

なぜ会社を潰さなかったのか?

知見録:労災問題を解決された山村さんは、2014年、SANYO-CYPの社長に就任されます。

山村:父は「会社を潰してもいい」と言っていました。しかし私は、会社を継続することにしました。理由は4つあります。

1つは、問題が起きたとき、8割の社員が残ってくれたこと。経営が苦しくなり、賞与を出すことができない時期もありました。他社からの引き抜きの電話も、毎日のように鳴っていました。私は「引き抜きに応じてもかまわない」「みんながやめたら、会社を畳むという決断ができるかもしれない」と正直に話しました。ところがみんな、「そんなこと言うの、やめましょうよ」と応援してくれるんです。そんな社員のため、そしてそのご家族のために、会社を続けなければと考えました。

2つ目は、お世話になっているお客さんの存在です。大多数の方が温かく見守ってくださり、「頑張ってね」と応援してくださいました。その方々へ、恩返しをしなければと思いました。

3つ目は、私を助けてくださった先生方の言葉です。以前、胆管がん発症の原因究明に奔走してくださった大阪市立大学の圓藤吟史先生に「何か恩返しがしたい」と申し上げたことがあります。返ってきた言葉はこうでした。

「恩返しなんていらない。その代わり、山村さんには労働災害のことを語り続けてほしい。この問題を風化させたくないし、この世から労働災害をなくすことが私たちの希望だから」「そのためには、SANYO-CYPの社長でいたほうがいい。問題を起こした会社を引き継いで、どのように立て直したのか、再発防止にどのように取り組んでいるのか。それを語ることが刺激になる」と。この言葉を受けて、会社を続けようという意志を固くしました。

知見録:そして4つ目は?

山村:私は大学生のころ、労働災害が起きた現場でアルバイトをしていました。原因となった溶剤を使って、胆管がんで亡くなられた方とも一緒に働いていました。私自身も胆管がんを発症する可能性がありますし、これから発症する社員が出てくる可能性もあります。そのとき会社がなかったら、どうなるか。すでに胆管がんになった方には、会社として補償をさせていただきましたが、それもできなくなります。会社を潰すほうが無責任だと考えました。

知見録:社名を変えようとは思いませんでしたか?

山村:先ほどお伝えしたように、胆管がんで亡くなられた方は、私もよく知っている方たちです。その方たちがいたから、今の会社があることを忘れてはいけないと思っています。もちろん会社を立ち直らせるために、さまざまな改革を行ないました。経営理念、行動規範も変えました。ただ、みんなで話し合って、ひとつだけ変えないと決めたものがあります。それは社名です。胆管がんで亡くなられた方たちが頑張ってくれたおかげで、今の会社がある。だから、社名は残すことにしたんです。

知見録:ホームページの目立つところに、労働災害の教訓が掲載されています。山村さんご自身も、講演活動をしたり、冊子をつくったりと精力的に活動されていますが、そこまでするのはどうしてでしょうか?

山村:起こったことを隠すのではなく、伝えようという思いからです。伝えることで、労働災害をひとつでも減らすことができるかもしれない。また、就職先として弊社を選ぼうとしている学生さん、その親御さんにも、このことを知ったうえで入社してもらいたい。この問題は、決して風化させてはいけないと思っています。

新しい事業に挑戦していきたい

知見録:最後に、今後の展望を教えてください。

山村:過去を忘れない一方で、新しい事業にも挑戦していきたいと思います。とくに力を入れているのは、フォトスタジオです。労災問題で売上が下がったときに、ある社員がプランを練り、立ち上げてくれました。今では「予約の取れないスタジオ」と呼ばれるまでに繁盛しています。将来的には、多店舗展開やホールディングス化ができたらいいですね。

知見録:先ほどお話に出た、加福真介さんともお仕事をされているとか。

山村:あるとき真介から、「パソコンの画面でちゃんと服の色を出すことはできないか?」と聞かれました。たしかに画面上で見た色と実物の色が違うということはよくありますよね。そこでリサーチを重ねたところ、解決する方法が見つかったんです。それで真介と、「True Color」という会社を立ち上げました。社員は、私と真介だけ。給料ももらっていません。うまくいけば服だけでなく、化粧品、自動車、マンションの内装、遠隔治療で身体の赤みを診察するといったことにも使えそうです。

まだ夢ですが、いつか上場したいですね。SANYO-CYPは上場するつもりはありません。というのも、株主のために働きたくないからです。そうではなく、胆管がんになってしまった社員や、お客さんのために働きたい。ところが「True Color」の場合、上場しても誰も困らないし、むしろみんながハッピーになる。それを目指して今、走り回っています。

山村 健司

株式会社SANYO-CYP 代表取締役社長兼CEO/グロービス経営大学院2014年卒業