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投稿日:2018年07月20日
投稿日:2018年07月20日
サッカーW杯、日本代表の「パス回し戦略」が僕らに残した余韻の正体
- 金子 浩明
- グロービス経営大学院 シニア・ファカルティ・ディレクター/教員
2018年のW杯が終わった。直前の監督交代やベルギー戦での善戦など多くの話題を提供したが、その中でもポーランド戦終盤の「パス回し戦略」は賛否両論の渦を巻き起こした。
この試合、日本代表は残り10分の時点で1点負けていたにもかかわらず、自陣で延々とボールを回し始め、そのまま試合は終了した。日本はセネガルにフェアプレーポイントで上回り、ベスト16進出を決めた。しかし、欧州メディアは一斉にこの「パス回し戦略」を批判したが、日本メディアは肯定寄りの意見が目立った。日本びいきを差し引いたとして、どちらの意見が妥当なのだろうか。そして、なぜ欧州と日本でこうした違いが生じたのだろうか。
この疑問に答えるために、日本メディアと欧州メディアの論調を比較してみた。
日本メディアによる肯定的意見
・産経新聞 6/30 朝刊 産経抄
リスクはあったとはいえ、日本人が好む潔さや、当たって砕けろの精神を捨てて消極策を選んだのだから、釈然としない人が多いのも分かる。(中略)これまで日本はスポーツでも外交でも、正攻法にこだわり過ぎたきらいがある。その意味では日本社会の成熟の表れとも言えよう。政治学者の櫻田淳さんは、自身のフェイスブックに記していた。「日本も、こういう狡(ずる)いサッカーができるようになったかと思えば、実に感慨深い」。
・朝日新聞 6/30 朝刊 スポーツ欄
批判されるものではない。日本が試合の終盤に選択した、0‐1での敗戦を受け入れた消極的にも見えるパス回しについてだ。(中略)日本に足りないのは「ずる賢さ」―。代表を指揮した外国人監督らから、たびたび指摘されてきた。(中略)2018年のこの日。日本代表は、悪質な反則をしたわけでも、相手への敬意を欠いたわけでもない。着実に目的を達する、成熟した姿をみせたのだ。
SNS上でも日本代表を称賛する意見が多く流された。中でも注目を浴びたのは前大阪市長の橋下徹氏の公式Twitterである。橋下氏は「ポーランド戦の最後のパス回しを批判するのは頭の悪い証拠。緻密な状況分析による最高の戦術。そして指揮官西野監督の勇気と胆力。あそこで勝負するのは太平洋戦争に突入した日本軍と同じ」とコメント。このツイートは7500件以上リツイートされ、「いいね」は27000を超えている(7/3時点)。
欧州メディアによる否定的意見
この試合の特集を組んだBBCの記事(World Cup 2018: Japan go through but final group game ends in 'mind-boggling farce'の英訳版)からコメントを抜粋する。
- 「よその試合がどうなるかに自分の運命すべてを預けてしまうなんて、監督として、あぜんとする。少し日本ひいきになっていたのだが、次の試合でぼろ負けしてもらいたい。」(北アイルランド監督のマイケル・オニール氏)
- 「後味の悪い試合だった。ワールドカップをだめにする、ひどいやり方だ。侮辱だ。今大会はこれまで素晴らしかった。ポーランドと日本のせいで、ワールドカップに少し汚点がついてしまった。」(イングランド代表の元主将テリー・ブッチャー氏)
- 「日本が賭けに出たことで、試合が止まってしまった。セネガルが得点していたら、日本はグループステージに敗退し、費やした全ての時間が無駄になるかもしれなかった。日本はフェアプレイ(ポイント)で勝ちあがったが、これをフェアプレイと言えるだろうか?これが、大会の精神なのだろうか?」(BBCラジオ5ライブのコメンテーター、コナー・マクナマラ氏)
BBC以外のメディアや有識者からも、次のような批判があった。
- 「日本の恥だ」(ロシア「スポルト・エクスプレス」紙)
- 「W杯で最も恥ずべき10分間」(ドイツ「ビルト」紙)
- 「失望した。アンチ・スポーツ精神だ」(イタリア・メディアセットTV)
- 「リードされている日本代表が自ら負けを選んだ。こんな試合は初めてだ」、「試合とは呼べない内容だった」(ポーランドサッカー協会のボニエク会長)
肯定的意見と否定的意見、どちらの方が筋が通っているのだろうか。
「欧州メディアによる批判」を批判する
私はSNSで「パス回し戦略」に批判的な記事を紹介したところ、いくつかの反論意見が集まった。それは以下のような内容である。
・時間稼ぎはどのチームでもやっていること。日本だけがズルいわけではない。
・予選リーグのイングランド対ベルギー戦も無気力試合との批判がある(互いに一次リーグ突破が決まっており、1位通過するとベスト8で強豪ブラジルと対戦する可能性があった)。戦略的に消極プレーを選択したのは日本だけではない。BBCに言われる筋合いはない。
決して日本だけが時間稼ぎをしているわけではなさそうだ。それなのに、なぜここまで批判を受けねばならないのか。結局のところ、欧州メディアによる日本叩きじゃないかと思いたくなる。実際、過去に他のスポーツで欧州による日本叩き、日本外しの実例があるから、なおさらである。例えば、モーターレースのF1ではホンダのターボエンジン全盛期にターボエンジンが禁止になったり、スキーのノルディック複合で荻原健司と日本勢が圧倒的な強さを誇っていた時代、長野五輪の直前に、日本勢が不利になるようにルールが変更されたりした。ヨーロッパ発祥のスポーツには、こうした懸念が付きまとう。
しかし、今回のパス回し戦略に対する批判を「いつもの日本叩き」と断ずるのは早いかもしれない。あの日のサムライブルーが選択したのは、単なる時間稼ぎではない。「負け試合での時間稼ぎ」である。これは前代未聞の出来事だ。さらに「自軍の命運を意図的に他チームの試合に委ねた」ことも異例である。無気力試合との批判があったイングランド対ベルギーの試合にしても、自軍の命運を他チームの試合に委ねてはいない。欧州メディアが最も批判している点は、結果的に日本とポーランドが共謀してセネガルを一次リーグ敗退に導いたように見えたことである。
もちろん、事前にそうした共謀はなかったはずだ。しかし、一次リーグ敗退が決まっていたポーランドは、無理して日本を攻める理由がなかった。ポーランドはこの時点まで2018年W杯は未勝利で、この試合を勝利で終えたかった。日本が何もする気がないなら、ポーランドにとって1点リードのまま試合を終わらせた方がよかった。なぜなら、もし日本に同点に追いつかれたら、未勝利で国に帰らねばならなくなるからだ。そのためには、下手に相手を刺激しないのが一番である。こうして、両チームの思惑が一致し、10分間の無気力プレーがピッチ上で展開された。欧州メディアは単に時間稼ぎや消極プレーだけを批判しているわけではないのだ。パス回し批判に対する反論意見には、この視点が欠けている。
では、なぜこうした視点が欠けてしまうのか。あるいは、分かっていたとしても、取るに足らないことだとして無視してしまうのか。欧州メディアはこの点を最も批判しているにもかかわらず、である。
ここで一本の補助線を引いてみよう。「サッカーとナショナリズム」である。この補助線を引くと、その理由が見えてくる。
サッカーとナショナリズムの関係
まず、「国」という単位で戦っていることは否応なくナショナリズムを刺激する。サッカー中継を行っている飲食店や渋谷のスクランブル交差点のような場所では、日本がゴールを入れたら見知らぬ人同士がハイタッチして喜ぶ光景が見られる。こうした光景は平和そのものだが、海外では時に物騒な雰囲気になる。特に戦火を交えたことのある相手との試合はナショナリズムが剥き出しになる。
有名なのは1986年の準々決勝のアルゼンチン対イングランドの試合だ。両国は大会4年前にフォークランド紛争を戦っていた。主将のマラドーナは試合前のインタビューでこう語っている。「イギリス人がマルビナス諸島(フォークランド諸島)で、大勢のアルゼンチン人を殺したことは事実だ。あいつらは、小鳥を殺すように俺たちの同胞を殺した。いくらスポーツと戦争は別物だといっても、これは復讐以外の何物でもないんだ」。マラドーナはこの試合で2ゴールを挙げ、試合は2対1でアルゼンチンが勝利した。マラドーナが今でもアルゼンチンの国民的英雄なのは、優れたテクニックやキャラクターよりも、アルゼンチン国民の恨みを晴らしたからである。
では、あのパス回し戦略とナショナリズムはどのように結びつけられるのか。
エマニュエル・トッドによる日本への提言
唐突だが、ここで現代世界最高の知性とも評される歴史人口学者のエマニュエル・トッドの発言を引き合いに出して、専守防衛に徹したサムライブルーについて考えてみたい。トッドは2018年5月に東京で開かれた「国家基本問題研究所」のシンポジウムで、日本が今後取るべき道について次のように述べた。
・「米国の非合理的で突発的な行動は旧世界に混乱をまき散らしています。日本にとって米国との同盟は、オバマの時代なら容易な選択でした。しかしあまり合理的でない同盟国に頼るのは、もはや合理的な選択とはいえません。核武装が本質的な問題になってきていると思います」
・「フランス人にとって核兵器とは戦争の反対で、戦争を不可能にするものです。核兵器はただ自国のためだけに使うものです。ドイツを守るためにフランスが核を使うことがないように、米国の核の傘なんて私はジョークだと思っています」
・「私はフランス人の左派かつ平和主義者で、戦争は嫌いです。しかし私が日本の核武装について考えてほしいと提言するのは、別に強国になれということではなく、(国家間の)力の問題から解放されるからです」
ユダヤ系フランス人のトッドの考えでは、平和主義者であれば「日本は核武装すべき」という結論に至る。この意見には「自国の命運は他国の気まぐれに任せてはならない」という大前提がある。そして、これはトッドだけに限らない。欧州の知識人たちは、彼らの国や民族が辿ってきた歴史的な経緯からそれを理解している。
ここまでの話でお察しになった方も多いだろう。サッカーのワールドカップはナショナリズムが発露する場だとしたら、あの「0対1という負け試合を維持」しようとし、「ベスト16進出の最後の望みを、他チームに委ね(他力本願)」、「思惑が一致した対戦相手と、結果的に第三者を敗退させる」ことは、現代日本の国防に関する姿勢を無関係でない可能性がある。どういうことか説明しよう。
パス回し戦略と、日本の国防との類似点
あの日のサムライブルーの専守防衛と日本の国防に対する姿勢は、以下の点で似ている。
・日本は「太平洋戦争で負けた状態を維持し(米軍が常駐し、横田空域は米軍が管理)」、「戦争のための戦力を放棄」し、「交戦権を放棄」ている。※横田空域とは、新潟県から東京西部、伊豆半島、長野県まで広がり、約3,700m~最高約7,000m高度にわたる空域である。米軍が管制業務を行っており、日本の飛行機は飛ぶことが禁止されている。
・日本は、自国の安全保障を他国(アメリカ)に頼っているが、それは米中、米露の関係において米国の国益にかなう限りにおいて有効である。あの試合でいえば、コロンビアはコロンビアのためにセネガルを倒し、ポーランドはポーランドのために日本のパス回し戦略を受け入れた。(例えば、アメリカにとって北朝鮮との友好が国益にプラスだと判断すれば、同盟国である日本の拉致問題が解決していなくても、北朝鮮との友好に舵を切る。)
戦後生まれで戦後を生きる多くの日本人にとっては、こうしたことは日常になっている。憲法9条堅守で非戦・反戦を掲げる朝日新聞と右寄りの産経新聞が、あのパス回し戦略に関しては同意見なのはこうした理由かもしれない。
うがった見方かもしれないが、西野監督によるパス回し戦略は、日本の国防に関する姿勢を映す鏡のように見える。それは、「不本意だが、戦略的に選択した」という西野監督のコメントにも表れている。太平洋戦争における日本に例えれば、「忍び難きを忍び、耐えがたきを耐え、それをもって日本サッカーの未来、将来世代のために、ベスト8への一歩を踏み出した」ということなのだ。つまり、不本意ながら生き残るためにあの戦略を選択したのである。あくまでも監督や選手の本意ではない。日本国内における「パス回し戦略」に対する違和感の少なさは、こうした事情が影響しているのではなかろうか。
もちろん、日本国内でもパス回し戦略に対しては批判もあった。特に試合直後は賛否が真っ二つに割れており、多くのスポーツ紙は、賛否の両方を掲載した。
パス回し戦略への賛否と、憲法9条改正への賛否の比較
Yahoo!では「ポーランド戦の終盤の『パス回し』戦略、評価する?」と題してアンケートを集計している(実施期間:2018/6/29〜7/9)。ポーランド戦直後の集計では、(29日14時の時点)53,612票中、「評価しない」49.4%(26,463票)、「評価する」46.7%(25,031票)、「わからない/どちらとも言えない」3.9%(2,118票)と、評価は真っ二つに分かれた。最終的には「評価する」が半数を超えたのだが、それはベルギー戦での善戦が影響していると思われる。
唐突だが、ここで憲法9条に対する賛否と比較してみたい。もしサッカー日本代表戦と国防意識が関連するならば、何かしらの類似性があるはずだからだ。
憲法9条改正に関する賛否のデータとNHKの世論調査(2018年)では、電話調査に応じた1891人中、改憲は「必要」とした人が29%、「不要」は27%、「どちらともいえない」は39%だった。サッカーの話題よりも難しいため「どちらともいえない」が多くなる。ただ、意見が割れていることは確かである。やや強引だが、パス回し戦術に関するポーランド戦直後(正しくは、ベルギー戦で善戦する前)の調査結果と似ている。
この2つを結びつけるものとして、パス回し戦略についての安倍首相のコメントが興味深い。ポーランド戦の翌日、安倍首相は麻生太郎副総理との会話中に試合に触れ、「あんなに長く時間を潰すとは思わなかった。あれじゃ観客怒るよ」と発言した(ただし、後日の会見では「様々なことを考えた上での戦略」という肯定とも否定ともつかないコメント)。ご存知の通り、安倍首相は憲法9条第2項の修正を掲げており、戦力(現在の自衛隊)の保持を憲法で明文化しようとしている。そんな首相だから、当初はパス回し戦略を評価していなかった。
一方、前大阪市長の橋下徹氏は「僕の持論は、戦力の不保持と交戦権の否認を掲げ、自衛隊に必要最小限度という過度な制約を課す根拠となっている9条第2項の削除だ」と述べている。交戦権を保持するというのは、安倍首相よりも踏み込んだ主張である。しかし、続けて橋本氏は「(現状の日本では)9条第2項の削除は極めて危ないと思う」と発言している。つまり、不本意ながらも現時点では「専守防衛に徹する」のが賢い判断であると言っているに等しい。あのパス回し戦略は、相手が攻めて来ない状況で行われたため、防衛するための戦力も使っていない。まさに「戦力の不保持」であり、「交戦権の放棄」である。そして、橋下氏の憲法9条第2項に対する態度はパス回し戦略に対する態度とほぼ同じだ。
パス回し戦略に批判寄りの立場を取ったダウンタウンの松本人志氏は、集団的自衛権や安保法案への賛成を表明している。首相や前大阪市長と比べるのが適切かどうかわからないが、橋下氏と同じように国防に対する態度とパス回し戦略に対する態度が似ている。
これらは偶然の一致なのだろうか。
パス回し戦略が私に気づかせてくれたこと
さて、そろそろ話をまとめよう。ここまで、西野監督のパス回し戦略を題材に、「なぜ欧州では批判一色だったのに、日本では賛否両論だったのか?」という疑問について考えてきた。「サッカーとナショナリズム」という補助線を引くことで、日本人の国防に対する独特の態度(不本意ながらも、負けている状況を維持するための「戦略的な」専守防衛)と、サッカーのパス回し戦略の構造的な類似性を指摘した。欧州で日本と同様の国防をしている国はない。だから日本では賛成意見が多くなり(それも、批判的な意見に対して「理解できない」とか「ありえない」などの強いトーンが多い)、欧州では否定的な意見が大半を占めるのではないか、という仮説を導いた。
このあたりで、私のパス回し戦略に対する態度を明らかにしよう。西野監督率いるサムライブルーは一時はベスト8進出の夢を見せてくれた。あのパス回し戦略のおかげである。ただし、パス回し戦略を称賛する意見や、あの日の西野監督の胆力や決断力を称賛する意見には賛同しかねる。しかし、西野監督には共感している。あれは彼自身が述べているように不本意だった。だが、あの状況で勝ち進むためには仕方がなかった。それ以上でも以下でもない。
単なるひとりのファンの戯言ではあるが、次の日本代表には、あの戦略に対して開き直ることなく、事実から目をそらすことなく、不本意ながらの戦略的な判断だったことを忘れないでほしいと願っている(もちろん、そんなこと百も承知だと思うが)。そして、それは国防も同じことが言えるかもしれない(そんなことは、到底承知し難いかもしれないが)。
金子 浩明
グロービス経営大学院 シニア・ファカルティ・ディレクター/教員
東京理科大学大学院 総合科学技術経営研究科 修士課程修了
組織人事系コンサルティング会社にて組織風土改革、人事制度の構築、官公庁関連のプロジェクトなどを担当。グロービス入社後は、コーポレート・エデュケーション部門のディレクターとして組織開発のコンサルティングに従事。現在はグロービス経営大学院 シニア・ファカルティー・ディレクターとして、企業研究、教材開発、教員育成などを行う。大学院科目「新日本的経営」、「オペレーション戦略」、「テクノロジー企業経営」の科目責任者。また、企業に対する新規事業立案・新製品開発のアドバイザーとしても活動している。2015年度より、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)プログラムマネージャー(PM)育成・活躍推進プログラムのメンター。