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投稿日:2018年08月15日

投稿日:2018年08月15日

終戦の日に思う、夏の甲子園が灼熱の炎天下で行われる理由

金子 浩明
グロービス経営大学院 シニア・ファカルティ・ディレクター/教員

平成最後の「夏の甲子園」が始まった。夏の甲子園とは、第100回全国高等学校野球選手権記念大会(主催:朝日新聞社、日本高等学校野球連盟)の略称であり、今年は8月5日(日)から17日間、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開催されている。夏の甲子園は日本の夏の風物詩であり、中高年の男性を中心として熱狂的なファンがいる。

しかし、真夏に炎天下で、かつ過密日程で大会を行うことに対する批判も少なくない。特に、今年は7月に猛暑日が続き、甲子園のある近畿地方は平年を2.4度上回った。私も「ナイターで行うとか、ドーム球場に場所を変えるなどの変更はできないのだろうか」と思っていたところ、橋下徹氏による夏の甲子園のあり方を痛烈に批判している記事(ブログ)[i]を目にした。そのポイントを紹介する。

<橋下徹氏による夏の甲子園批判のポイント>
・プレーヤーズ・ファーストの理念から見ると、今の高校野球および甲子園には、非常におかしなところが沢山ある。いまだに「兵士養成プログラム」を引きずっているとしか思えないところが多々ある。
・毎年真夏の炎天下で、あれだけの過密日程で長時間の試合を行うこと自体がありえない。(中略)合理的に考えれば、ドーム球場を使えばいいだけの話だ。甲子園の近くには京セラドームもある。
・灼熱の真夏に、わずか2~3週間で優勝校を決定する方式にする理由は、夏休みという期間を使って、大会を一気に盛り上げようとする運営者側、広報者(メディア)側の都合しか思い浮かばない。

さらに橋本氏は別のメディアで「朝日新聞は戦前の軍とか戦争とかが一番嫌いなはずなのに、行進にしたって何にしたって、どう考えても球児は兵士やんか。こないだ朝日新聞は“炎天下の運動は控えよ“という記事があったが、それならまず甲子園をやめろよと言いたい。」と述べている。[ii]

まさにおっしゃる通りである。選手のことを考えたら、灼熱の夏に炎天下で過密日程を組む理由はない。また、戦中の兵士養成プログラム(軍事教練)を引きずっているという指摘も納得できる。ちなみに、私も同種の指摘をしている(参考:研修の名を借りた「軍隊式の思想コントロール」がなくならない理由)。これに関連して、朝日新聞社の態度にも矛盾があるように感じる。

これだけ非合理なのに、灼熱の夏に炎天下で高校生に過密日程を強いる理由はあるのだろうか。

いろいろと思案しているうちに、私は、橋下氏が指摘する批判している点そのものが、逆に「夏の甲子園の存在理由」なのではないかと考えるようになった。つまり、夏の甲子園が夏の甲子園であるためには、軍事教練の要素がなければならず、炎天下の屋外でなければならず、それも8月初旬から中旬でなければならず、主催は朝日新聞でなければならないのだ。

それはどういうことか。その理由を説明するために、夏の甲子園と春の甲子園の違いから見ていこう。

夏の甲子園と春の甲子園の違い

・開催時期の違い
春は3/23~4/4の13日間、夏は前述したように8/5~8/21の17日間。(平成30年)
・代表チーム選出の方法の違い
春は地区別に選ばれる。北海道、東北、関東、東京、東海、北信越、近畿、中国、四国、九州の10地区から32校(記念大会は36校)が出場する。夏と違って地区予選はなく、前年の秋に行われた地区大会の成績が反映される。同一県内で潰し合いをしなくていいので、1都道府県から4校出場したこともある。夏は都道府県別に代表チームが出場する。なお、今年の100回大会は人口上位9都道府県(北海道、東京、埼玉、神奈川、千葉、愛知、大阪、兵庫、福岡)に限り東西や南北に分かれて2チーム出場できる。
・その他の違い
主催新聞社の違い:春は毎日新聞社、夏は朝日新聞社
入場行進曲の違い:春は毎年前年度の流行歌を入場行進曲に採用(昭和37年から)、夏は「(全国中等野球)大会行進曲」で、第21回大会(昭和10年)から使われている。
NHKの放送内容の違い:夏は試合前に両チームの「ふるさと紹介」がある。

これらの違いは、何を意味するのか。

私の仮説は、夏の甲子園に限って「日本人の中で薄れゆく敗戦の記憶を留めるための役割」を担っているのではないか、というものだ。どういうことか説明しよう。

夏の甲子園と太平洋戦争の関係

夏の甲子園の開催時期は、広島・長崎へ原爆投下された日(8/6・9)の付近から始まり、お盆期間と終戦記念日(8/15)を確実に含む日程になっている。なお、終戦記念日の正午には球場全体で1分間の黙祷が捧げられる。だから、あの戦争のことを重ねずにはいられない。

夏の甲子園の代表チームは、旧日本軍の徴集兵(歩兵)の部隊と似ている。歩兵部隊は同郷をベースに部隊が編成され、各部隊は郷里の代表としての側面を持っていた。夏の甲子園は春のセンバツと異なり、各県・各地域から1校だけ選ばれ、応援も地域色が強い。なお、2代表制の9都道府県でも、東西または南北で「各地域から1校」の原則が守られている。

このように、夏の出場チームは「おらが村の代表」としての意味を持つ。その証拠に、公共放送であるNHKも夏の甲子園では「ふるさと紹介」を欠かさない(この地域は緑が広がるコメの産地で…のように)。しかし、実際には越境の子が多い学校もあり、こうした生徒は地域に対する思いなどないだろう。なぜなら、寮と学校、グラウンドを往復するだけの生活だからだ。にもかかわらずNHKがふるさと紹介を行うのは、夏の甲子園出場チームは「おらが村の代表」という幻想があるためである。同じ理由で、越境の生徒が多いチームは、何となくズルい感じがする。甲子園で公立高校の人気が高いのは、判官びいきだけが理由なのではない。

さらに、昭和10年から変わらない行進曲も戦争を想起させる。この曲の歌詞(作詞 富田砕花)は、サビの部分で「今日ぞ晴れの日 起て男児、掲ぐるほこりに 旭日映えて、球史燦たり 大会旗」を繰り返す。旭日とは朝日のことであり、勢いよく太陽が昇る様子を表している。ご存知の通り大日本帝国陸海軍は軍旗に「旭日旗」を使用しており、この行進曲は軍事教練をイメージさせる。

しかし、どうしても戦争と結びつかないことがある。それは主催が朝日新聞ということである。

不合理な事象の裏側にある、隠れた合理

橋下徹氏が指摘するように、「朝日新聞は戦前の軍とか戦争とかが一番嫌いなはず」である。朝日新聞は憲法9条を堅持する立場であり、戦力の不保持と戦争の放棄を支持している。だから戦前の軍や戦争につながる行為を非常に嫌う。にもかかわらず、なぜ軍事教練の影響を色濃く残す夏の甲子園を支え続けるのか。

しかし、よく考えてみると戦力の不保持と軍事教練的な要素の維持は矛盾しない。それはどういうことか。憲法では戦力を「軍隊および有事の際にそれに転化し得る程度の実力部隊」と定義しており、その実力が自衛力に留まる場合は戦力とされない。したがって、自衛隊は憲法の上では微妙な位置づけになる。しかし、軍事教練という兵士養成プログラムを経た一般人が増えることは自衛力の強化にしかならず、戦力の増強にはならない。つまり、専守防衛だけで国を維持するためには、純粋に自衛力の強化が必要なのである。ゆえに、朝日新聞の一連の主張と、夏の甲子園大会が戦前の軍隊的であることは矛盾しないのだ。

加えて、日本人の中に敗戦の記憶を留めることは、戦争の抑止に有効である。私の記憶に残る夏の甲子園の原風景は、お盆に帰省した父母の実家でのテレビ観戦であり、墓参りと先祖の霊、そして終戦記念日の黙祷、まっさらなユニホームを泥だらけにして懸命にプレーする坊主頭の甲子園球児の姿(まるで少年兵のような)のイメージが入り混じったものだ。

ちなみに、私の祖父は軍隊で貰った賞状を家の一番いい場所に飾り、就寝前にカセットテープで軍歌を聞くような人物だったので、お盆の帰省は否が応でも戦争を身近に感じさせた。さらに、もし親族に戦死者や空襲で亡くなった人がいれば、墓参りの際に戦争を強烈に意識したことだろう(我が家は幸いにも戦死者がいない)。他の日本人も同じような体験をしているとしたら、戦争放棄の主張と夏の甲子園は矛盾しない。ただし、これは祖父母が戦争を直接体験している団塊ジュニア世代までの話かもしれない。

このように、一見不合理な事実が維持されている裏側には、隠れた合理が存在する。

だから、中高年男性のファンは夏の甲子園を変えたくないし、それが単にスポーツの全国大会ではないことを感覚的に分かっている。今年の甲子園でも、2回戦で1人の投手が延長13回184球を1人で投げ抜いた試合があった。選手生命を危険にさらしてまで勝利を目指すエース投手と、それを止めない指導者の姿からは、単なるスポーツとは違う何かが感じられた。しかし、戦後70年以上が経過し、日本人の中から戦争の記憶はかなり薄れている。さらに来年には年号も変わり、戦後生まれの天皇陛下が即位する。ますます、敗戦の存在は遠のいていくだろう。そう考えると、橋下氏の正論が実現する日は近いかもしれない。夏の甲子園にしかない独特の魅力は、消えてしまうけけれども。

[i] (橋下徹の「問題解決の授業」vol.113【緊急提言! 夏の甲子園】猛暑・連戦・丸刈り強制……朝日新聞は高校球児を“甲子園洗脳”から解放せよ)
[ii] 7/26 AbemaTV「橋下徹の即リプ!」

金子 浩明

グロービス経営大学院 シニア・ファカルティ・ディレクター/教員

東京理科大学大学院 総合科学技術経営研究科 修士課程修了

組織人事系コンサルティング会社にて組織風土改革、人事制度の構築、官公庁関連のプロジェクトなどを担当。グロービス入社後は、コーポレート・エデュケーション部門のディレクターとして組織開発のコンサルティングに従事。現在はグロービス経営大学院 シニア・ファカルティー・ディレクターとして、企業研究、教材開発、教員育成などを行う。大学院科目「新日本的経営」、「オペレーション戦略」、「テクノロジー企業経営」の科目責任者。また、企業に対する新規事業立案・新製品開発のアドバイザーとしても活動している。2015年度より、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)プログラムマネージャー(PM)育成・活躍推進プログラムのメンター。