Real Growth

40代から
非連続の成長へ 経営再建やDX推進を支えたMBAの学び

株式会社スギ薬局

DX戦略本部長

各務 茂雄さん

グロービス経営大学院 2012年卒業

エンジニアとしてキャリアをスタートし、VMware日本法人で唯一のプロダクトマネジャーを務めた後、楽天、Microsoft、AWSなどで実務経験を積む。2019年にKADOKAWA Connectedを起業。初代代表取締役社長に就任し、KADOKAWAグループ全体のDXをけん引。以降、三菱UFJ銀行 デジタルサービス企画部・経営企画部 部長、GovTech東京 理事CTO、JTB 執行役員CDXOなどを歴任し、業界を横断して数々のDX改革を主導する傍ら、情報経営イノベーション専門職大学 准教授として人材育成にも注力。現在は、スギ薬局にて小売・ヘルスケア領域のDXを推進。
著書に『世界一わかりやすいDX入門 GAFAな働き方を普通の日本の会社でやってみた。』『日本流DX 「人」と「ノウハウ」究極のアナログをデジタルにするDX進化論』がある。
2010年グロービス経営大学院入学、2012年卒業。
2020年、第16回「グロービス アルムナイ・アワード」受賞。

成長し続ける環境で感じた
“見えない壁”

入学する前、当時の仕事やキャリアにおいて、どのような課題を感じていましたか?

VMwareに在籍していた当時、私は日本法人で唯一のプロダクトマネジャーとして、約200名規模の組織運営や売上責任を担っていました。もともとはエンジニアとして入社し、そこからプロダクトマーケティングやプロダクトマネジメントに役割を広げていたところでした。

IT業界という成長著しい市場の中では、求められる成果や自分を取り巻く環境が日々めまぐるしく変わっていきます。その一つひとつに応え続ける毎日で、まさに「成長の最前線にいる」という実感が強かったですね。

一方で、心のどこかで「この先、自分はどこに向かえばいいのだろう」という不安も抱えていました。目の前の仕事に充実感はありましたが、数年先の自分の姿がどうにも思い描けなかったのです。自分が次に目指すべき道が見えず、日本国内には“この人のようになりたい”と思えるようなロールモデルも見当たりませんでした。

振り返ってみれば、あの頃の私は「このままでは、自分の成長が止まってしまうのではないか」と感じ始めていました。仕事の規模も責任も大きくなる一方で、成長の手応えが感じられない。次第に「これまでと同じ延長線上でキャリアを進めてよいのだろうか」という焦燥感が、自分の中で大きくなっていきました。

正しさやロジックだけでは、
人は動かない

キャリアの先行きに焦燥感があったとのことですが、日々の実務の中では、どのような課題を感じていらっしゃいましたか?

当時の私が感じていたのは、「正しいと思うことを伝えても、周囲を動かすことができない」という壁でした。

VMwareでは数百社にも及ぶパートナー企業と連携しながら、ビジネスを展開していました。そうした多くのステークホルダーと関わる中で、「技術的なロジックは通っているのに、相手にうまく伝わらない」というジレンマに直面するようになったのです。

エンジニア同士であれば、思考の構造やロジックの組み立て方が近いため、議論もスムーズに進みます。しかし、営業やマーケティングの方々と話す際には、論点の置き方そのものが根本的に異なることに、戸惑いを感じる場面がありました。「何が意思決定の決め手になるのか」「どこにフォーカスして伝えるべきなのか」が、エンジニア同士のコミュニケーションとはまったく異なっていたのです。

当時の私は、構造的に整理した情報やロジックがあれば、相手も理解し、動いてくれるはずだと考えていました。しかし現実はそうではありません。組織や人を動かすには、正論だけではどうにもならない壁が存在すると気付いたのです。

想像を超える衝撃が、
「学びたい」に
火をつけた

MBAに関心を持ち、グロービスを選んだきっかけは何だったのでしょうか?

外資系企業でキャリアを重ねる中で、グローバル・スタンダードとされる考え方や働き方が、自分の中に自然と根付いていきました。アメリカではMBAが広く浸透しており、マネジメント層を中心に、ビジネスの共通言語として位置付けられています。そうした中で「ビジネスの基盤となる考え方を、MBAで体系的に学びたい」と思うようになったのです。

とはいえ、当時は周囲にMBAホルダーがいたわけでもなく、どこで何を学べばいいのか手探りの状態でした。いくつかの大学院を調べる中で、グロービスが体験クラスを開催していることを知り、「まずは実際に見てみよう」と気軽な気持ちで参加したのです。

そこで受けた「クリティカル・シンキング」の授業は、まさに想像を超えるものでした。論理的な思考にはある程度自信を持っていましたが、体験クラスで触れた考え方のアプローチや問いの立て方は、自分の“当たり前”を根底から揺さぶるようなものでした。「これは、まさに今の自分に必要な学びだ」と直感し、その場で単科生としての受講を決めました。

しかし、いざ学びを始めてみると、自分の力不足を痛感することになりました。自分では論理的に話しているつもりでも、それは自分の中だけで通じる論理に過ぎません。自分の考えを言語化し、相手に分かりやすく伝える力が、圧倒的に足りていなかったのです。周囲のクラスメートが自然にできていることが、自分にはできない。そうした現実を前に、「これはきちんと向き合わなければならない」と強く思いました。

試行錯誤を重ねる中で、少しずつ手応えを感じるようになり、大学院(本科)への進学を決意しました。すでにグロービスで学んでいた仲間たちとの出会いも、その背中を押してくれました。多様な価値観に触れ、自分とは違う思考に触れることで、「ここでなら、もっと成長できる」という実感が、自然と湧いてきたのです。

経営再建からDX推進まで、
時を経ても通用する実践力

在学中、とくに印象に残っている学びはありますか?

強く印象に残っているのは、どの授業も“現場で使える力”に直結していたということです。

例えば、ファイナンスの授業で学んだことは、後の経営の現場で大きな力になりました。ドワンゴで経営再建を担った際、当初はニコニコ動画のインフラ部長として入社したのですが、半年後には事業管理部長も兼務することになり、業績予測など経営数値に関わる業務を任されるようになったのです。グロービスで学んでいたおかげで、CFOや監査法人と対等に議論し、意思決定をリードする場面もありました。

こうした場で自信を持って話せたのは、「数字を読む力」だけでなく、「数字から意味を導く力」が養われていたからです。とくにファイナンスの授業では、基礎から応用まで一貫して学びながら、数字を通じて経営の意図を読み解く思考法が叩き込まれました。

また、現在のDX推進という仕事において、大きな武器になっているのが「戦略の筋を見極める力」です。これは、「イノベーティブ・ストラテジー」という授業の中で、自社の経営課題を題材にしながら、戦略を再構築するプロセスを何度も繰り返したことに由来しています。

B3C(事業環境、競合、自社という3つの視点から企業戦略を分析するフレームワーク)などを使って、仮説を立てて検証し、競争優位となる選択肢を導き出し、さらにその実現可能性まで見極める。この一連のプロセスを体得できたことが、業種や立場が変わっても通用する“戦略的思考の型”となりました。

そして、もうひとつ忘れられないのが、「変革のリーダーシップ」という合宿形式の科目です。この合宿では、ケースに登場する経営者であり、教員でもある冨山和彦さんご本人を前に、プレゼンテーションを行うという非常に実践的な学びが用意されていました。学生は数名ずつチームを組み、1日かけて議論を重ね、翌朝には冨山さんに向けて提案をぶつける。まさに経営の現場さながらの緊張感と密度を体感できる貴重な機会でした。

現在は開講されていない科目です。

この経験を通じて、「即断即決で意思をまとめる力」や、「チームの中で自ら役割を担い、他者に託す力」が鍛えられました。実際のビジネスでは、時間が限られる中で判断を下すことが求められます。まさに経営の“リアル”を疑似体験できたことで、実務における意思決定力にも変化が生まれました。

どの授業も、単なる知識のインプットで終わるものではなく、実践の中で使える力として自分の中に根付きました。グロービスで得たのは、「経営の現場で即戦力となる思考と視点」そのものであり、まさに血肉となって、卒業から10年以上経つ今もビジネスに活き続けています。

ネットワークは、
キャリアの可能性を
広げる生涯の資産

在学中、ほかの学生の方や教員との関わりから得たものについて教えてください。

在学中は、正直なところ仕事と授業で必死でした。空いている時間は学びに充てていたので、仲間との交流も主に勉強会の場でした。だからこそ、勉強会には全て参加するようにしていました。異なる業界や職種の仲間と議論を重ねることで、自分自身の“当たり前”が打ち砕かれ、思考の可動域が一段広がった感覚がありました。

とりわけ印象に残っているのは、自分たちで立ち上げた自主イベント「あすか会」です。「自分たちが直面しているビジネスの課題や問題意識について議論し、発信する場をつくろう」と仲間と声を掛け合い、実施しました。持ち寄ったテーマを真剣に議論し合う場を3年ほど継続したことで、アウトプットの重要性を体感できましたし、その時に出会った仲間とは今でも仕事を共にしています。

また、グロービスの特徴だと思うのは、教員との距離の近さです。「教える/教わる」を超えて、本音でぶつかる“切磋琢磨の関係”が当たり前。授業後に議論を持ち越し、実務の課題にまで踏み込んで意見交換する。教員と学生という関係でありながらも、お互いに本音で対等に議論し、切磋琢磨する関係だったと感じます。その関係は卒業後も続き、出版や経営の相談など、実務の場に直結する形で今も支えていただいています。

こうしたネットワークの価値は、むしろ卒業してからのほうが指数関数的に広がりました。私自身の立場や責任が変わる中で、グロービスで出会った仲間や教員と再び交わり、協働する場が増えていったのです。在学中の勉強会やイベントは、そのネットワークの土台となる経験でした。

制約の中で
「時間をつくる」習慣を
身に付けた

仕事と学びを、どのように両立されていたのでしょうか?

在学中で一番大変だったのは、「時間をつくること」でした。VMwareは急成長のまっただ中にあり、売上は毎年1.7倍ペースで伸びていました。当然、仕事は深夜まで続く日も多く、時間は常に足りませんでした。

それでも、「学ぶと決めたからにはやり切る」と心に決めて、徹底して工夫しました。まず決めたのは、移動時間は全て予習に充てること。通勤電車では常に教材を開き、ケースに目を通す。テレビは一切見ないと決め、余計な情報は断捨離しました。

土日のどちらかは丸1日を東京校で過ごし、授業や勉強会に没頭しました。もちろん、ファイナンスのように電車内ではなかなか予習しにくい科目もありました。その場合は平日の夜に時間を確保するようにしました。

今振り返ると、当時は「時間がない」と嘆くのではなく、「どうすれば時間をひねり出せるか」を考え続けた日々でした。その習慣が身に付いたことで、忙しい環境でも学びを続けられただけでなく、仕事の進め方自体も効率的になったと感じています。

楽天からKADOKAWAへ、MBAを使い倒した
キャリアの挑戦

グロービス卒業後、キャリアにどのような変化がありましたか?

卒業後、私はVMwareを離れ、事業会社へ挑戦する道を選びました。最初の転機となったのは楽天です。エンジニアとしての専門性に加え、グロービスで身に付けた「ビジネスの論点」を武器に、投資計画の策定やチームマネジメントに踏み込みました。

その結果、短期間で成果を上げ、大型イベントの運営でも筋の通った計画を立て、関係者を巻き込みながらやり切ることができました。かつて課題に感じていた「技術とビジネスの間の溝」が実践の中で埋まっていったのを実感しました。

その後、AWSなどを経て、角川グループのDX会社「KADOKAWA Connected」を立ち上げ、社長としてグループ全体の変革を牽引しました。組織設計や人事制度、事業構造の設計からグループ本体との調整に至るまで、大きな裁量を託されました。ここではまさに、グロービスで学んだことを“全て使い倒す”毎日でした。

とくにこだわったのは、グループ内ITをコストセンターにしないこと。サービスに価格をつけ、グループ各社に“有償で”提供する仕組みに変え、さらに外部企業へのアドバイザリーも展開しました。単なる情報システム部門ではなく、利益を生み出すDXの担い手へ。ファイナンス・戦略・組織・リーダーシップを横断して学んだ「経営の型」があったからこそ、この挑戦をやり切れたのだと感じています。

卒業後も「共通言語」と「信頼」
で広がるネットワークの力

卒業後、グロービスのネットワークは、どのように活きていますか?

ネットワークの価値は、卒業後に一気に加速しました。卒業して感じるのは、「グロービスの卒業生」というだけで信頼の土台があることです。

初対面でも共通言語があるので話が早く、自然に仕事に発展していきます。実際、KADOKAWA Connectedでも卒業生を採用し、経営の中核を担ってもらっていました。誰を“船に乗せるか”を考える上で、卒業生は安心して任せられる存在です。

また、卒業後「互援ネット」を10年以上続けています。ここでは、キャリアの悩みや実務課題を率直に語り合い、時には一緒に事業を進めることもあります。

お互いの成長を支え合うことにコミットした卒業生で8名程度のチームになり、3ヶ月ごとに集まり、ビジネスを含む人生全般の課題や展望を共有し、互いの経験をシェアすることを通じて、次のアクションへの示唆を得ることができる場。

さらに、ゴルフコンペをきっかけに他のビジネススクールの学生とも交流が生まれ、ネットワークは大きく広がりました。単なる“人脈”ではなく、学びを共有した仲間だからこそ築ける信頼のネットワークが、キャリアを支える大きな資産になっていると実感しています。

志を行動指針に
落とし込み、
業界変革を加速させる

グロービスでは、経営知識だけでなく、「何を成し遂げたいのか」という自分自身の志を、クラスなどの機会を通じて醸成することを大切にしています。卒業後、各務さんご自身の志に変化はありましたか?

入学当初から抱いていたのは、「IT業界を良くしたい」「ITを使う人も幸せにしたい」という思いでした。その軸は今も変わっていません。ですが、学びを重ねる中で、その実現のためには“根本の課題”に目を向ける必要があると気付きました。

とくに強く意識するようになったのは「ユーザー企業の発注力」の不足です。ITを導入する側に力がなければ、業界全体の健全な成長は難しい。その背景を探っていくうちに、人事制度こそが構造的なボトルネックであると見極めました。そこから2017年頃より、人事制度改革を志の中核に据えるようになったのです。

さらに、組織経営の実践では「自分 as a Service」という考え方を導入しました。自分自身をサービスとして定義し、顧客に提供できる価値を明確化する。部下にも同じ問いを投げかけ、日常業務の中で提供価値を言語化するように促しています。

こうして志は、「業界を良くしたい」という想いから、「人と組織の仕組みを変えることで業界を変革する」という具体的な行動指針へと進化しました。今では志が日々のマネジメントや制度設計にまで織り込まれ、実務の中で生きています。

40代の学びで得たのは、
“未来を切り拓く判断力”

グロービスでの学びは、今の自分にどのような影響を与えていますか?

40代でMBAという新しい挑戦を選んだことが、大きな転機になりました。どんな仕事でも、40歳を過ぎると、それまでの経験や成功体験をもとに仕事を進めることが多くなります。しかし、学ぶことで、その延長線上ではない非連続な成長を描くことができる――過去にしがみつくのではなく、“自分自身に負けない選択”をする覚悟を持てたのです。変化の激しいIT業界では、「これまでの延長線上に未来はない」という現実を思い知らされます。その中で新たな視座と武器を得られたことは、自分にとって大きな財産になりました。

とくに変わったのは「判断の切り口」と「意思決定のスピード」です。社長や副知事、CFOクラスと対等に議論し、複数の選択肢を短時間で整理し合意形成まで導く。数字と事業の両面から論点を立て、関係者の関心に合わせてストーリーで示す――こうした一連のプロセスを実践できるようになったのは、まさにグロービスで鍛えた力です。

年齢を重ねると処理速度は若い頃ほどではなくなります。しかしその分、状況をより高い解像度で捉え、適切な判断軸を選び抜けるようになりました。学びを現場で使い倒すことで“経営の型”が身体に染み込み、どんな場面でも迷わず一歩を踏み出せる。今振り返れば、グロービスでの学びは、自分のキャリアを導く確かな羅針盤になっています。

人生で最も楽しい瞬間は、
“自分を乗り越えること”

今後の展望、そしてこれから学ぼうと考えている方へのメッセージをお願いします。

私の軸にあるのは「自分 as a Service」という考え方です。その思想を個人だけでなくチームや組織に広げていくことが、これからの使命だと考えています。

野中郁次郎氏のSECIモデルやアメーバ経営の知見をベースに、デジタル時代に最適化した新しい組織モデルを「日本流DX」として提唱し、実践していく。そして「日本の文化 × 構造化 × AI」が共存する未来を支える人材を育成し、その知を体系化・普及していくことを目指しています。

SECIモデル:個人の経験やノウハウといった暗黙知を、組織で共有できる形式知へと変換し、新たな知識を生み出すプロセスを示したもの。共同化・表出化・連結化・内面化の4段階を循環させることで、組織の知識創造力を高める。

アメーバ経営:稲盛和夫氏が京セラで確立した経営手法。組織を小さな単位に分け、それぞれが独立採算で運営することで、現場の一人ひとりが経営者意識を持って働く仕組み。

そして、これから学ぼうとする40代の方々に伝えたいのは、「過去の自分に負けない挑戦をしてほしい」ということです。責任やリスクが重くのしかかる年代だからこそ、外の世界に一歩踏み出す勇気が必要になります。新しい環境に飛び込めば、自分の殻を破り、未来を切り拓くきっかけが必ずつかめるはずです。

人生で最も楽しい瞬間は、“自分を乗り越えること”。私自身も、これからさらなる挑戦を重ねていきたいと思います。