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投稿日:2019年08月23日
投稿日:2019年08月23日
マイキャン・テクノロジーズ宮﨑和雄氏「副業から専業バイオベンチャーへ。起業の道は、行けると自分が思うところまで粘る」
- 難波 美帆
- グロービス経営大学院 教員
グロービス経営大学院が主催するビジネスプランコンテスト、「GLOBIS Venture Challenge(通称G-CHALLENGE)」。2016年度にマラリアの培養に使う幼若細胞の提供事業により大賞を受賞した宮﨑和雄氏は、勤めていた製薬会社を辞し、自らの志のためにマイキャン・テクノロジーズを起業。まだ1人もお客さんがいない製品の開発・普及のため、人生をかけてチャレンジしました。受賞から3年、ついに「大阪大学ベンチャーキャピタル」とグロービスの「GLOBIS Alumni Growth Investment」から追加投資を獲得。宮﨑氏に大きな一歩を踏み出す心境と経緯をうかがいました。
(マイキャン・テクノロジーズ創業者・宮﨑和雄氏)
難波:宮﨑さんは、なぜ会社を辞めて起業しようと思ったのですか?
宮﨑:そもそもグロービス経営大学院に通っていた頃は、製薬企業に所属する研究員で、仕事でマネジメントもしてなければ、どこかの会社を継ぐ予定もありませんでした。自分の会社人生でこのあとスキルが上がるといいなっていうのが入学の動機でした。しかし、グロービスでいろんな人と交わってるうちに、自分もマネジメントをやってみたいなと。
難波:グロービスで学んでいるうちに起業の志が芽生えたと。
宮﨑:はい。学生には中小企業の2代目や、自分で会社を興した方もいたので、刺激になりました。また、オペレーション戦略や経営戦略の授業が面白くて、自分でもなんかやってみようかなって思いました。ですが、そのときは会社を辞めるつもりは全くなくって、実際に会社を作ったのは、卒業してから5年後です。
難波:どんなふうに起業の道に入っていかれたのですか。
宮﨑:初めて起業のネタを考えたのはファイナンスⅡの授業でした。中古不動産を安く買い上げてリノベーションして学生向けにやっていこうみたいなプランで。成績はCでした(笑)。でも、実地調査をやったことが面白かったです。
難波:その次に思いついたのは?
宮﨑:マンゴー農園。インドに赴任中、マンゴーしかおいしくなくって、毎日マンゴー食べてるうちに、これはなんかできるんじゃないかなと思いました。それでいろいろ調べて……、あ、これ言っちゃうと誰かに取られちゃう。取らないか(笑)
場所も考えました。当時年間20万人ぐらいの日本人がインドを訪れていました。その多くはタージ・マハルを見に行くんです。インディラ ガンディー国際空港から高速道路を通って行くんですけど、150キロの道のりに小さなパーキングエリアが3つしかない。そこに作ればあたるだろうって思ったんです。
でも、デリーは北側すぎて、マンゴーが採れる時期が限られてると分かって。あとはインドならではの文化があり、起業にお金が必要なので、これは始めにやるネタじゃないなと思いました。経営戦略的に、自分が知ってる範囲じゃないところで始めても失敗するという定石があるので。じゃぁ身近なところから始めようと思って、その次に考えたのがマラリアだったんです。
難波:マラリアについては詳しかったんですか?
宮﨑:インドで同僚が何人もマラリアになったり、デング熱になったりしていて、マラリア薬をやろうと思いつきました。でも、僕は化学屋なので、薬を創る難しさは知っていました。いきなりベンチャーをつくっても薬はできない。そのとき僕は、再生医療の開発をやっていたので、再生医療の技術を使って血球をつくろうと思ったんです。
難波:血球が薬になるんですか?
宮﨑:最初は鎌形赤血球をつくって輸血すれば、マラリアが治るんじゃないかなって思ったんです。ですが、専門家にヒアリングしたら、難しいって言われました。再生医療はほとんどものになっていませんし、しかもいきなり遺伝子疾患の赤血球をつくるなんて尋常じゃないと。しかし、ヒアリングの中で、研究者から、三日熱マラリアっていう病気があって、これは血球が理由で研究ができなくて困っているという話を聞いたんです。
難波:三日熱マラリアは、現在薬がないということ?
宮﨑:三日熱マラリアの薬は2つあります。化学的には2つとも同じメカニズムです。しかし、見つかったのがいずれも1950年代で、すごく古いんです。副作用もあり、同じ薬をずっと使っているので、薬剤耐性が出ると言われていて、完ぺきな薬じゃない。そこでビジネスチャンスがあるんじゃないかなと思いました。
しかし、僕が作る製品は薬じゃなくて、創薬など研究のための試薬です。製造には、再生医療の技術を利用していますが、難しい技術なんです。なので、再生医療をしたり、自分たちでいきなり薬を作るのではなく、研究者へ提供する試薬の方が始めやすいと考えました。まず、ちゃんと売るものをつくるのが価値かなと思って。
難波:再生医療の技術で、創薬するための細胞を作ろうとしたわけですね。
いきなり起業するのではなく、副業として始める
宮﨑:アイデアは決まりましたと。だけど、実は起業するまでにはすごく時間がかかりました。お金がないので、まずは勤めていた会社の中でやりたいと言ったんです。3回ぐらい言いました。1年間ぐらいかけて。しかし、「試薬は本業から外れるからやりません」と言われました。
難波:つまりお勤めの会社の事業から遠かったってことですね。
宮﨑:はい。なので、会社としてはそこに資金、および資源を投入できないっていうのが結論です。一応会社員の仁義として社長にも何度か説明したけれども、認められないだろうなっていうのは分かっていました。そのころです。2014年ごろから、起業家向けのプログラムが世の中に結構出てきました。
例えば、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)もアントレプレナープログラムをつくっていて、650万円ぐらいまでの人件費を含む3,500万円ぐらいまでの支援を掲げていました。なので、鎌形赤血球で応募したんですけど、1次で落ちました。
懲りずに今のネタに変えて、経産省の同じようなグラントにも応募しました。こちらは無事に通り、その時になって勤めていた会社に「やらせてもらえませんか」って説明したら、「いいよ」っていうことになり、実力行使的に副業を勝ち取りました。
ただ、就業時間の間はやらない、会社の資源は一切使わない、という誓約書を書きました。会社にすごくいい実験室があったんですけど、そこは使っちゃいけなくって。会社は一切責任は持ちませんという形で始めました。
難波:じゃぁ、1人で三日熱マラリアの試薬開発のための細胞培養を始めたんですか。
宮﨑:京都大学に行って、それまで会ったことのない先生に、面白いんですけどやりませんかってお声がけしました。そこの研究室は血球をやってたので、先生がつくっていた技術を貸してくださいとお願いしました。社会的に意味あるかなと先生も思ってくださって、いいですよって言ってくださったんです。
難波:でも、出入りさせてもらえる研究員みたいな感じで、場所は貸してもらえなかったんですよね。
宮﨑:そうです。なので、レンタルラボを探しました。最終的には、僕のプロジェクトがそのレンタルラボを運営する会社に対して研究を委託するような形で始めました。場所を借りて休日に自分が実験したり、そこの会社の人も手伝ってくれました。
難波:G-CHALLENGEに応募しようと思ったのは経産省グラントの後ですか?
宮﨑:そうです。そのときには既にマイキャン・テクノロジーズを設立していました。初めはMIプロジェクトっていう法人化していないプロジェクトとして、京都大学と長崎大学と私個人で研究契約を結んでいたのですが、グラントがなくなったので大学としては個人とは契約継続ができないと言われ、法人をつくりました。しかし、法人としての活動はほとんどありませんでした。私はまだ会社員でしたし。
難波:G-CHALLENGEは大賞受賞者が賞金を得るためには、事業に専念する必要があります。会社を辞めなければなりませんが、決断はどのタイミングで?
宮﨑:こんなこと言って大丈夫かな。実は勤務先の会社が閉じそうだっていうのは、2015年の段階でだいたい分かっていたんです。その時行われていた組織改革がなんとなく中途半端だったんで、3年ぐらい置いて、会社を潰すのではないかとみていました。
難波:それで2016年の11月に大賞を受賞した時に、会社の動向も見つつG-CHALLENGEから出資を受けようと考えた。
宮﨑:はい。最良の条件で辞めるにはどうしたらいいかなって、考えていました。
難波:私は宮﨑さんが大賞を受賞してからの1年間、メンターとして付き合ってみて、起業に関心があるのは感じていたけど、「絶対社長になるぞ」「絶対このビジネスで世界を変えるぞ」っていう情熱家タイプではないなとは思っていました。でも面白いことをしようっていう感じが強かった。
宮﨑:それはありますね。もちろん研究所なので、10年後、20年後の戦略を考えながらやってるじゃないですか。僕としては納得のいかない方向がたくさんあったのは確かです。僕だったらこうするのにっていう。
なぜ資金を出してくれないのか、相性がよい出資元はどこか、理解する
難波:グロービスの出資を受けてからの1年はいかがでしたか?
宮﨑:ラボを作り、器材は辞めた会社からスクラップを買って、研究者を雇いました。少しずつですが企業や大学が試薬を買ってくれるようになりました。
今自分がやっていることは、ほぼお金集めです。これこそ僕はMBAで教えるべきことだと思っています。結局どこからお金を集めようかってなるじゃないですか。セオリーでは、1番始めはエンジェルが出してくれる。じゃぁエンジェルとは誰だろうっていうところから入って、どう声をかけたらいいのか、そのあとのベンチャーキャピタル(以下、VC)はどこにいるんだろうと。とりあえず手探りでいろんな人に会って説明しては、「うーん」って言われて帰ってくる日々でした。
難波:そのとき何が難しいと感じましたか。
宮﨑:そもそも分かってくれる人に会ってなかったのか、説明の仕方がいけなかったのか、内容が悪いのか。どれが悪いのかが初めは分からなかった。
次にやったのは、エンジェルラウンドです。VCからはお金が集まらず、このままだと資金が枯渇する状況になったんです。銀行は「1,000万ぐらい出してもいいよ」って言ってくれたんですけど、それじゃ足りないと。しょうがないので、エンジェルと言われる人たちにもう1回会いに行こうと。
何が難しいかっていうと、日本のVCはバイオがよく分からない。バイオにフォーカスしていないVCもたくさんあるんです。彼らに一生懸命説明していた時期もありました。また、バイオに特化していたとしても、薬もバイオだし、それ以外もバイオだし、一括りにできないくらい細分化されてるんです。
かつVCは償還期間も見据えながらやっているので、そこはうちのテリトリーに入らなかったり。もしくは彼らのファンド規模より、われわれが求めてる額が少なすぎたり。断られる理由は、我々側の問題だけでなく、VCとの相性というものがあるんだというのが分かってきました。
難波:じゃぁ、まだVCは1つも入ってない(※インタビュー実施時はまだVCが入っていませんでした)。
宮﨑:入ってない。なので、政策金融公庫がやっている資本制ローンを借りています。それと京都府のマッチングのグラントをとりました。
難波:入りは分かりました。出るほうの計算はどうなってますか?
宮﨑:バーンレートは、かなり安く抑えています。赤字のスタートアップでは当たり前ですが、私の役員報酬は10万円のままです。あと最先端機材や研究試薬などは事業会社に助けてもらっています。例えば、高級機材などはシスメックスさんのオープンラボや京都リサーチパークを利用させてもらい、研究に必要な培養液は日水製薬さん、精製に必要なフィルターは村田製作所さんからといった感じです。
難波:ボストンには、ウェット(バイオ系)の人のためのスタートアップ・ハブがあり、ラボを貸してくれます。審査が厳しくって、家賃も結構高い。でもそこの運営自体に大企業がかなり投資をしていて、入っている人たちは、数カ月から1年ぐらいしかいられないんだけど、その間に次の投資家が見つかって出て行くっていうサイクルが回っていました。そういうハブみたいなのは、日本にはないですよね。
宮﨑:ない。でも仕方がないです。資金力が違うんだと思います。バイオの評価ができるインベスターはすごく少ないので、リードインベスターを見つけるのは大変です。当たり前ですが技術評価が難しいので、銀行に行ってもフォロワーはなってくれるんですけど、リードインベスターはなってくれないんです。
難波:どういう人がバイオの起業に向いてるんでしょう?
宮﨑:起業の仕方は、グロービスみたいな大学院に通って学べばいいと思います。やっぱり「何かやりたい」と思うことなんじゃないですか。何かやりたいけど会社や大学でできない、さらにそれが「1人でできない」ともっといいんじゃないですか。
難波:研究者が起業するとしたら、修士や博士の学生時代は良いタイミングですか?
宮﨑:いや、学生時代がいいとは思わない。
難波:やっぱりそのあと1回研究室なりどこかに勤めたりしてからがいいと。会社に勤めると、戦略が動く様を見るわけですよね。アイデアを出したらそれが評価されたり、駄目だったりもする。そういうことを経験するなかで、「自分が経営者だったらどうかな」っていう視点で考えるようになってきて、宮﨑さんはそのタイミングでグロービスに来たから、これだったら自分でやってみようって思ったのかな。
宮﨑:この1年間、自分は何も知らないんだなと思いました。研究は分かるけど、営業は結局分かってないし。ファイナンスは勉強したけど、全く分かってないし。やっぱりスキル不足を痛感しました。大学院を卒業してそのまま起業してもいいかもしれないけれども、何が分からないのかが分からなくて戸惑うと思います。あと起業するタイミングは、僕でもやっぱり早かったかなと思います。
難波:起業された時はおいくつでした?
宮﨑:43歳かな。僕としては相当準備をしたつもりだった。2015年に準備を始めて、会社を辞めるまで2年、その間ずっといわば二足のわらじを履きつつ、収入に安定感を持って開発を進められた。その分開発スピードはちょっと遅かった気もするけれども、それでも一応、自分の給料を全部開発費に使っても、別に家賃補償があるから住むところは大丈夫だし。ボーナスがあるから月給は全部研究費に回しても、なんとか生きていけた。
だけど、会社を辞めるとそれができないんです。その時点で覚悟が決まればいいけれども、そんなマインドになるのに1年ぐらいかかりました。いつまでたってもお金が集まんない。サドンデスぐらいになってようやく気づくことがあるので。やるなら副業でやってみて、いけそうだなと自分が思うところまで粘る。これが僕は一番だと思います。
難波:やっぱり二足のわらじの間では分からないこともある。起業すると本当に使ったお金がその分目減りしていって、資金集めに悪戦苦闘してるなかで初めて分かることもあるんですね。大学院で知識は学べるが、アクションしたら何が起きるかは、アクションしてみなきゃ分かんないってことですね。今日は宮﨑さんならではの貴重なご経験のお話、ありがとうございました。
(補足)インタビューの後、8月23日に宮﨑さんはついにVCから資金調達を果たします。バイオが分かる目利きのリードインベスターになってくれたのは、大阪大学ベンチャーキャピタルでした。
難波 美帆
グロービス経営大学院 教員
大学卒業後、講談社に入社し若者向けエンターテインメント小説の編集者を務める。その後、フリーランスとなり主に科学や医療の書籍や雑誌の編集・記事執筆を行う。2005年より北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット特任准教授、早稲田大学大学院政治学研究科准教授、北海道大学URAステーション特任准教授、同高等教育推進機構大学院教育部特任准教授を経て、2016年よりグロービス経営大学院。この間、日本医療政策機構、国立開発研究法人科学技術振興機構、サイエンス・メディア・センターなど、大学やNPO、研究機関など非営利セクターの新規事業の立ち上げをやり続けている。科学技術コミュニケーション、対話によるイノベーション創発のデザインを研究・実践している。