Interview

個を救う医療から、社会を変える医療へ
変革を実装する力を磨いたMBAの学び

国立がん研究センター中央病院

国際開発部門 部門長/病院長特任補佐
臨床研究支援部門 臨床研究支援責任者

中村 健一さん

グロービス経営大学院 2022年卒業

京都大学医学部を卒業後、京都大学医学部附属病院および関連病院で外科医として手術、診療業務に従事。2006年より国立がん研究センターに勤務。全国約200の医療機関ネットワーク(JCOG)で実施する多施設共同試験の研究支援に長年携わり、多くの臨床試験結果が各種がんの診療ガイドラインに採択されるなど、よりよい標準治療の確立に貢献している。
現在は、臨床研究支援部門の責任者に加えて、臨床試験ネットワークの国際展開を担う国際開発部門の部門長、病院長特任補佐を務め、広島大学と横浜市立大学でも客員教授として教育活動に携わる。グロービス経営大学院2022年卒業(成績優秀修了者)。

肩書き・プロフィールは取材当時の情報です。

外科医としてメスを握った日々から、医療の仕組みそのものを変える道へ。国立がん研究センター中央病院で国際的な臨床試験ネットワークづくりを推進する中村健一さんは、40代でグロービス経営大学院に飛び込みました。患者さんに治療が届かない医療の課題を仕組みごと変えるため、組織の中から新たな取り組みを次々と立ち上げ、社会課題の解決に挑み続けてきた中村さん。その姿は、組織の中で連続的に新たな事業や仕組みを生み出す「シリアルイントレプレナー」であり、社会課題の解決に軸足を置く「ソーシャルイントレプレナー」でもある。グロービス経営大学院 特任副学長の田久保善彦が、その歩みを聞きました。

「やればできる」を身に付けた
学生時代

田久保:最近、グロービスでは医療関係の学生が増えています。医師の方は大学を選んだ段階でほぼ職業も決まる、という意味でかなり特殊なキャリアだと思うのですが、中村さんはそもそもなぜ医師の道を選ばれたのでしょうか。

中村:それほどドラマチックな話はないんです。京都の医師の家系に生まれ、自然と医師の道へ進みました。父を8歳で亡くし、その後母が教育に真剣に向き合ってくれた。最も感謝しているのは、「やればできる」という自己効力感を育ててくれたことです。知識を教えるより、成功体験を通じてグリット(困難に直面しても諦めずにやり抜く力)を育てることが教育の本質だと、今でも思っています。

高校時代は家の近くの書店に毎日立ち寄って、本を読み漁っていました。特に印象に残っているのが、木村敏先生の『異常の構造』という一冊です。「異常」とは相対的な概念にすぎない。「絶対はない」という感覚は、物事を多角的に見る習慣の原点になっています。

大学ではラグビー部のキャプテンを務め、1年間無敗のまま西日本の医学部対抗大会でも優勝しました。勝つためには相手を分析し、チーム全員の意思を統一しないといけない。読書家だった高校生が、身体と頭の両方でチームで戦う喜びを学んだ場所でした。

田久保:中村さんとお話ししていると、主語が「われわれ」「チームで」という言葉がとても多い。その根っこにはラグビーがあるんですね。

中村:そうかもしれません。みんながついてきてくれなければチームプレーは成り立ちませんから。今の仕事も、組織内外の協力なしには前に進まない領域です。ラグビーで身につけたリーダーシップが、今も活きているのかもしれません。

個の治療から、社会全体の医療を変える仕事へ

田久保:外科医として7年間勤められましたが、臨床研究の道に進まれたきっかけは何だったんでしょうか。

中村:外科の手技はかなり標準化されていて、「自分にしかできない仕事をしている」という感覚が薄れてきていたんです。転機になったのは、赴任先の島根の病院で書いた論文でした。胃がんの症例を分析し、がんの病理学的な特徴が患者さんの生存期間に影響することを英文にまとめ、海外のジャーナルに掲載されました。若書きなところもありましたが、一流ジャーナルに認められたことで「NobodyではなくSomebodyになれた」と感じた瞬間が、新しい治療法を科学的に検証する仕事、すなわち臨床研究の道に進むきっかけになりました。

田久保:臨床研究を選ぶ外科医は少ないとも聞きます。そういうことをやっている人がほとんどいないフィールドに、自分でしか出せない価値を見つけたわけですね。

中村:そうですね。目の前の患者さんを治療することに喜びを感じる医師もいれば、臨床試験を通じてより良い治療法を生み出し、将来の多くの患者さんに貢献したいと考える医師もいる。私は典型的に後者で、より大きく社会に貢献したいという感覚がずっとありました。

「2年だけ東京に行こう」と思って国立がん研究センターに移ったら、そのまま20年が経ちました。移って数年後、食道がんの国内臨床試験の方向性を決める会議が開かれました。全国から著名な教授方が集まる中、欧米とは比較せず日本独自の路線で進もうとする空気が漂っていた。当時、日本と欧米の標準治療は全く異なるのに、その違いを無視したまま試験を設計しようとしていたんです。「このままでは日本の研究が世界から孤立してしまう」という危機感から、入所3年目の立場でしたが、黙っていることができませんでした。

田久保:著名な教授方を前に異論を唱えるのは、相当の覚悟が必要だったはずです。

中村:「こうした方が世の中が良くなる」という絵が見えてしまうと、行動せずにはいられない性格なのかなと思います。「それでは日本がガラパゴス化してしまう」と声を上げたら、次々と賛同の声が上がって、結果的に欧米の治療法とも比較する試験が立ち上がりました。その成果は後に世界最高峰のジャーナルに掲載されましたが、欧米と比較するデザインにしていなければ、日本独自の治療法として海外からは無視されていたはずです。自分が動けば、世界をほんの少しよい方向に変えられる。あの瞬間に、初めてその感覚を持てた気がします。

別の言語で世界を読み解く力を得た3年間

田久保:グロービスに入られたのは40代半ば頃でしたよね。中村さんのように医療の世界で確固たる地位を築かれた方が、なぜグロービスで学ぼうと思われたのでしょうか。

中村:ふたつのきっかけがありました。ひとつは、新しい部署の立ち上げを任され、大きな期待が寄せられていたこと。もうひとつは、長年関わってきた全国の臨床試験グループの事務局長として組織改革の必要性を強く感じ、改革タスクフォースを立ち上げたことでした。キャリアを10年以上積んで、いよいよチームをマネジメントしないといけないステージに入っていた。誰もが直面する壁に、ちょうど当たっていた時期だったんです。

あとは、医療の専門知識に全く異なる分野の学びを加えることで、新しい可能性が広がるかもしれないという感覚がありました。たまたま国立がん研究センターにグロービスに通っていた方がいて、「行ったら絶対面白い」と強く勧められたことも大きな理由です。

田久保:実際に学び始めて、印象に残っていることはありますか。

中村:最初の驚きはファイナンスの授業でした。製薬企業が我々の臨床試験の提案をリジェクトする理由が、長年よくわからなかったんです。NPVやIRRを学んで初めて、企業がどのように意思決定しているのかを理解しました。グロービスに行く前の私には、希少がんの治験について「これだけ患者さんが困っているのに」と臨床側から視る視点しかなかった。同じ事象を別の言語で読み解けるようになったことは、決定的な変化でした。

田久保:同じ事象でも、企業側はそういう計算で動いていると知るだけで、その後の交渉や提案の組み立て方が変わってきますね。

中村:最近病院の将来計画にも関わっていて、財務予測を立てて経済合理性を計算するということを実際にやっていますが、グロービスに行く前だったら考えられないですね。

医療の外側での出会いと、自分自身の再発見

田久保:ファイナンス以外でも、印象に残っていることはありましたか。

中村:知識以上に大きかったのは、視野が一気に広がった感覚です。漫画雑誌の編集者、メガバンクの方など、まったく違う世界の人たちと本気で語り合える場が3年間続いた。みんな志を持って通ってきている人ばかりなので、話の深さが違う。「医療の外側にこんな世界があったのか」という驚きは、今も覚えています。

それと、振り返りにもかなり力を入れていました。授業で学んだ概念を一度自分の中に飲み込んで、自分の言葉で書き直すという地道な作業を3年間続けました。「この理論は自分のあのエピソードとつながる」「自分が心を動かされるのはこういう場面なんだ」という気付きを積み重ねていくと、自分の価値観の輪郭が浮かび上がってくる。医学の勉強は専門知識に偏っていて、自分の内面についてアウトプットする経験がほとんどなかったので、本当に新鮮でした。卒業後にその機会が減ったことが物足りなくて、グロービスの同期4人で月1回集まり、半年の振り返りや10年後の自分を語り合う時間を、意図的に作り続けています。

田久保:年齢を重ねると、いろんなことが脊髄反射でこなせるようになって、効率的である一方で刺激や変化が減っていきますよね。意識的にフックを作らないと、新しいものが入ってこなくなる。

中村:まさにそうなんです。グロービスでの振り返りを続ける中で、自分なりのフレームワークも生まれました。「戦略と組織と財務を整合させて、その真ん中にワクワク感を置く」というものです。どんなに精緻な戦略を描いても、組織と財務が整っていても、人が動かなければ事業は前に進まない。中心にあるのがワクワク感だという考えは、グロービスでの学びと自分の経験を重ねて言語化したものです。

妄想を口に出し、
世界を変え続ける

田久保:これからの未来を見据えたとき、この国の医療に残していきたいものや、注力していきたいテーマはありますか。

中村:いくつかありますが、根底にあるのは、あの食道がんの会議のときと変わりません。自分が働きかけることで世の中がほんの少し良い方向に動く。その手応えを、ずっと追い続けています。今まさに動かしているのが、海外で承認された薬が日本に入ってこない「ドラッグロス」を解消する様々な仕掛けです。特に希少がんや小児がんは患者数が少ないため、製薬企業ではなかなか取り扱うことができない。これを何とかするための複数の仕組みを動かし始めています。

田久保:どのように動かしているんですか。

中村:主役は患者さんなのですが、国レベルでの政策にしていくためには、医療機関、患者団体、厚生労働省、議員の先生など、多くの方を巻き込む必要があります。とはいえ、それぞれの方の関心事と内在論理は異なるので、これらをしっかり理解して全員にメリットがあるような仕組みをデザインすることが大事です。議員の先生や官僚の方とは、グロービス医療関係者の会(クラブ活動)を通じて知り合うことができましたし、みんなが「いいね、やろう」となるように組織の壁を超えて動くようなバウンダリー・スパナーとしての振る舞い方を学んだのもグロービスでした。

「こんな仕組みがあれば患者さんに治療が届く」という妄想を口に出して、規制があれば官僚や政治家のみなさんと一緒にルールを変え、新しい仕組みを作る。これがいまの私の仕事の核です。患者さんに治療が届かない「目詰まり」は、医療の現場にまだまだ残っています。これからも、地道に仕組みを作り変えていきたいと思っています。

田久保:シリアルアントレプレナーとして走り続けているグロービスの卒業生がいて、彼がよく言うのは「起業家というのは生き方だ」と。中村さんのお話を伺っていると、シリアルイントレプレナーとして生きることが、生き方そのものになっているように感じます。

中村:本当にそうですね。肩書きが上がっても、社会を直接動かせる仕事ができなくなるなら意味がない。フロントに立ってプロジェクトを回し続ける方が自分らしい。シリアルソーシャルイントレプレナーとして生きることが、自分には合っていると感じています。アジアの臨床試験ネットワークも、今では10カ国を超える規模に成長して、3,000人以上の患者さんに参加いただいています。先週もマレーシアでアジア各国の研究者と会議をしてきました。アジア全体のためのコミュニティを作っていく。これもこれからの10年で、ぜひ形にしていきたいテーマです。

田久保:最後に、これから学ぼうとしている方や在校生・卒業生に向けて、メッセージをお願いします。

中村:グロービスに来る前の自分は、医療の世界の外はほとんど見えていませんでした。 グロービスを経て視野が格段に広がり、自分の可能性を信じられるようになりました。なので、知識を学びに来るというよりも、自分の可能性を広げに来てほしい、と思っています。学んだ知識は時間とともに形を変えていきますが、3年間で棚卸しした価値観や広がった視界・ネットワークは、ずっと残り続けます。来る前と来た後で、違う自分になっているはずです。その変化を信じて、飛び込んでみてほしいですね。

体感するから、気づけることがある。
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