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投稿日:2019年01月10日

投稿日:2019年01月10日

ゴーン氏逮捕で考える、日本の「人質司法」は変わるのか?

金子 浩明
グロービス経営大学院 シニア・ファカルティ・ディレクター/教員

1月8日、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏は勾留理由の開示を求めて東京地裁に出廷し、「誠実に行動し、合法的に日産を支えた」と無罪を主張した。この日は、羽田空港で逮捕されてから約50日ぶりの公の場であった。この2日前、ゴーン氏の息子であるアンソニー・ゴーン氏はフランス日曜紙のインタビューで、日本の司法に対して次のように批判した。「検察は弁護の機会も与えず、勾留を続けるために逮捕容疑を重ねている。私は最悪の敵でさえ、こんな目にはあわせたくない」「世間から完全に隔絶され、自白しか逃れる道がないとすれば、悪夢を脱する道をとるかもしれない」。

欧米メディアからの目線

こうした「長期勾留」と「取り調べに弁護士の同席不可」に対して批判的なのはゴーン氏の関係者だけではない。11月19日の逮捕以来、欧米メディアはゴーン容疑者の扱いに対して、日本の司法に厳しい目線を向け続けてきた。

逮捕された翌週、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナル紙(11/26)は「ゴーン氏への審問」で日本の司法を批判した。「かつて会社の救世主としてもてはやされたCEOは、財務上の不正行為を働いたという内容がメディアを通じて漏れ聞こえてくる中、空港で逮捕され、起訴されることなく何日間も勾留され、弁護士の立会いなしに検察から尋問を受け、地位を追われた。共産主義の中国で起きたことではない。資本主義の日本で起きたことだ」。

ゴーン氏と共に逮捕されたグレッグ・ケリー氏については先に保釈が認められたが、それにもかかわらず、日本の司法に対する批判は止まなかった。そのきっかけは、ウォール・ストリート・ジャーナル誌(12/19のWeb版)がケリー氏の夫人が保釈を嘆願する動画を掲載したことにある。夫人は「夫は取締役会のクーデターの犠牲者」であり、涙ながらに「彼は脊髄の病気を抱えており手術直前だったにもかかわらず、拘置所では常備薬も飲ませてもらえず、このままだと著しい障害を抱えかねない」と訴えた。

フランスのメディアも長期勾留に対しては批判的な記事が目立った。ゴーン氏が3度目の逮捕(12/21)をされた際には、「検察はゴーン容疑者の勾留をできる限り長く維持するため、訴追を“小分け”することを決めたようだ」(仏経済紙レゼコー)、「現在東京の拘置所にある小さな独房に滞在しているカルロス・ゴーンにとって、3段階目の勾留は、日本の司法制度に対する批判を招く危険がある」(仏大衆紙パリジャン)。

日本の司法に対する「人質司法」という批判

このように、長期にわたって身柄を拘束することで自白を得ようとする捜査方法は「人質司法」いわれ、国内外から批判がある。とはいえ、日本における逮捕後の勾留期間の長さ(同一容疑での勾留期間は22日)は世界的にみて平均的である。しかし、日本では別の容疑で逮捕を繰り返すことで勾留期間を延ばす場合があり、結果的に長期勾留が可能になり、この点が問題とされている。

過去の非凶悪犯罪、ホワイトカラー犯罪の事例では、古くはリクルート事件の江副浩正氏が113日、近年ではライブドア事件の堀江貴文氏は94日、鈴木宗男事件の佐藤優氏は512日、郵便不正事件の村木厚子氏は164日、森友学園問題の籠池夫妻は298日勾留された。このうち、村木氏は無罪となり、江副氏のリクルート事件は冤罪(ジャーナリストの田原総一朗氏など)という意見もある。

また、取り調べ中の弁護士の同席については、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスなどで許可されている(ただし、弁護士は尋問を中断することができず、話が終わった後に質問することしかできない)。ちなみに、米国では約50年前の1966年に、連邦最高裁で「取り調べに弁護士の立ち会いは不可欠」だとする判決が出されている。したがって、この点に関して言えば、日本の司法に対する「人権意識が低く、前近代的」という批判は的外れではない。

「人質司法という批判」への批判

こうした批判の一方で、反論もある。フランスの法律に詳しい法社会学者の河合幹雄氏によると、フランスではテロや凶悪犯罪などで犯行の事実が明らかな容疑者に対しては、日本以上に厳しく暴力的な取り調べを受けるという。また、フランスでは1981年に死刑制度が廃止されたものの、凶悪犯罪の容疑で射殺された者の無実が後になって判明するケースが後を絶たない。河合氏は、裁判後に死刑にする日本と、その場で処刑するフランスという対比をしている。この話が事実ならば、凶悪犯罪と非凶悪犯罪を一括りにして論じるのは乱暴である。

言うまでもなく、ゴーン氏やケリー氏はテロリストや凶悪犯ではない。非凶悪犯に絞って論じると、フランスやアメリカではホワイトカラー犯罪に対して、弁護士の立ち合いも許さずに長期勾留をすることはない。この点においては、日本の司法に対する欧米からの批判も的外れではない。

しかし、現代の西欧でもホワイトカラー犯罪に対して起訴前の長期勾留が行われた事例がある。皮肉にも、ゴーン氏と同じ自動車業界の話だ。

昨年、フォルクスワーゲン(VW)傘下のアウディ社CEOであったルパート・スタドラー氏が2018年6月にディーゼル排気ガスのソフトウェアを偽装した容疑で逮捕されたが、その後「捜査を妨害する恐れがある」として、保釈なしで約6ヶ月間拘禁された。では、ゴーン氏の場合はどうか。彼も捜査を妨害する恐れは十分にある。日産の取締役でありルノー会長でもあるので、日産に対する権力を完全に手放したわけではない。会社の金銭を不正に送金した相手と言われているサウジアラビアの富豪と、口裏合わせをする可能性もあるだろう。この事例に限って比較すれば、ホワイトカラー犯罪に対する日本とドイツの司法当局の対応は大差ない。

また、取り調べに弁護士を同席させる権利についても、オランダでは2017年まで認められていなかった。詭弁だが、日本は数年前のオランダと同程度、と言うこともできるだろう。

以上の点を踏まえると、ゴーン氏の長期勾留に対する「(人権軽視の)人質司法」という欧米メディアの批判には賛同しかねる点が残る。もちろん、そうしたことは当のメディアも承知のことだろう。なぜ、それでも批判を続けるのだろうか。

長期勾留への批判の主要因は、容疑の「重さ」か

その可能性として考えられるのは、容疑の「重さ」である。ゴーン氏の最初の2つの容疑(金融商品取引法違反)は「形式犯」である。形式犯とは「法益侵害(危険を含む)が存在しない場合においても、行為の様態が法律で規定されているため、それに当てはまると成立する犯罪」である。例えば、運転免許所の不携帯などがそれに該当する。

形式犯にもかかわらず、検察は「有価証券報告書への報酬の過少記載」を5年分と3年分に分けて2度逮捕した。これは勾留期間を延ばすための策だと考えられ、2度目の逮捕について東京地裁は「前の事件と争点及び証拠が重なる」として勾留延長を却下した(12/20)。

そこで検察は12/21に3度目の逮捕に踏み切った。その容疑は「特別背任容疑」であり、今回は日産に具体的な損失を与えた「実質犯」である。前の2つに比べると、重い犯罪である。

とはいえ、アウディ前CEOの容疑に比べたら、その重さは比較にならない。VWの不正ソフトウェア問題は環境破壊(米国規制値の約40倍のNOxを排出)を引き起こしただけでなく、ドイツの自動車産業および産業界に対して深刻な打撃を与えた。2016年にVWは米国で訴訟和解金や購入者への補償金など、総額147億ドル(約1.5兆円)を支払うことになった。これは米国における訴訟和解金・制裁金としては過去最高(過去はトヨタの12億ドル)であり、VWの年間純利益を吹き飛ばすインパクトがあった。

ゴーン氏の行為は倫理的には問題があるが、VWの不正ソフトウェアのような「社会問題」ではなく「社内問題」であり、日産の再建に貢献したスター経営者を長期勾留するほどの事件なのか疑問が残る。

「人質司法」は外圧で変わるのか

ゴーン氏が徹底抗戦の姿勢を見せている以上、その後の裁判も検察の筋書き通りに進まない可能性がある。検察の捜査に対する「人質司法」という批判も、彼の口から直接メディアに語られるはずだ。そうなると、いっそう欧米から外圧が高まるかもしれない。

しかし、歴史を辿れば日本の司法が近代化したのも外圧がきっかけだった。明治期の法典編纂事業は、安政の五か国条約で日本が欧米列強に対して承認した治外法権の制度の撤廃を、欧米列強に承認させるための政治的な手段であった。明治政府はドイツとフランスの法典を模倣し、明治23年から31年にかけて5大法典(民法・商法・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法)を完成させたが、刑法を除いて基本的な姿勢は現代でも続いている。ゴーン氏を裁こうとしている近代法は西欧からの導入品であり、江戸幕府の法や奉行所による裁きとは完全に断絶したものだ。

法社会学の大家である川島武宜(1909~1992)によると、西欧から法律を導入する以前の日本語には、「権利」という概念がなかったが、ヨーロッパの言語の伝統では、「法」と「権利」は同一の言葉で表現されてきた。こうした歴史的・文化的背景の違いもあり、現代においても「人が自分の権利を擁護することは、西洋では正しいことをしていると是認されるのに、日本では、自己中心主義的な・平和を乱す・不当に政治権力の救済を求める・行為として非難されてしまう」という。

ゴーン氏は自らが高額報酬を得る「権利」を主張し、逮捕された後は家族を巻き込んで被告人の「権利」を主張する。このように自らの「権利」を主張し続ける姿は、日本人にとっては強欲で、厚顔無恥に見えるだろう。しかし、それは西欧の歴史的・文化的背景から誕生した近代の「法」であり「権利」の姿なのだ。

明治における近代法の導入と同じように、外圧が日本の司法を変えるきっかけになるかもしれない。2009年の郵政不正事件で逮捕された村木厚子氏(164日勾留)は無罪になったが、人質司法と指摘される現状は何も変わらなかった。川島の指摘するように、日本人の権利意識が薄弱ということが影響していると思われる。強欲な経営者の肩を持つのは気が引けるかもしれないが、そうした感情を抜きにして、外からの声に耳を傾けることも必要ではなかろうか。

金子 浩明

グロービス経営大学院 シニア・ファカルティ・ディレクター/教員

東京理科大学大学院 総合科学技術経営研究科 修士課程修了

組織人事系コンサルティング会社にて組織風土改革、人事制度の構築、官公庁関連のプロジェクトなどを担当。グロービス入社後は、コーポレート・エデュケーション部門のディレクターとして組織開発のコンサルティングに従事。現在はグロービス経営大学院 シニア・ファカルティー・ディレクターとして、企業研究、教材開発、教員育成などを行う。大学院科目「新日本的経営」、「オペレーション戦略」、「テクノロジー企業経営」の科目責任者。また、企業に対する新規事業立案・新製品開発のアドバイザーとしても活動している。2015年度より、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)プログラムマネージャー(PM)育成・活躍推進プログラムのメンター。