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投稿日:2018年11月06日

投稿日:2018年11月06日

キャリアのミスマッチを考える~仕事と自己はどの次元で不整合なのか?

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人的資源管理の世界でしばしば目にするのが、ミスマッチ[mismatch=不整合、不一致]という言葉です。「人材の需要と供給がミスマッチ状態にある」「本人の能力適性と配属がミスマッチを起こしていて、モチベーションを下げている」などのように使われます。

個人のキャリアにとって、仕事と自己のマッチング(整合性/一致する具合)はとても大きな問題です。ただ、仕事と自己のマッチングと言っても、そこには次元の違いによっていくつかの整合/不整合があります。そこに注意深く目線を入れなければ根本的な解決は見えてきません。本記事では、筆者の経験を材料にしながら、その点を考えていきます。

「どんな創造に喜びを感じるか」が歳とともに変わっていった

下の図は、私が行っている研修事業で使用している「8つの創造性ジャンル」のチャートです。

私が20代~30代半ばのころ、自分が喜びと感じる創造性ジャンルは主に「戦略的」「ゲーム的」「技工的」でした。メーカーで商品開発や出版社でコンテンツ開発の業務に携わり、まさにどう商品を戦略的に練って競合他社に勝っていくか、また、遊び感覚を取り入れた発想でどう奇抜なアイデアを起こすか、そしてそれを最新の技術でどう効果的に仕上げていくか、日々の業務はそうした創造性を楽しみながらやれるものでした。そして当然、組織が私に求める創造性も「戦略的」「技工的」なもので、双方はうまくマッチしていました(下図)。

ところが状況が変わってくるのが30代後半以降です。歳とともに創造性の志向が変わってきたのです。

若いころに喜びを感じていた「戦略的」「技工的」な創造には関心が薄くなっていくのが自覚できました。私はいくつかの大企業で勤務しましたが、おおよそどこも競合との競争に明け暮れ、戦略や戦術、交渉や駆け引き、コストダウンやらスピード化・合理化、そのためのエンジニアリングやシステムづくりといったことへの創造性発揮を強く求めてきます。それ自体悪いことでもなんでもなく、むしろ当然不可欠なことなのですが、私の内側にあるものはそれを遠ざけはじめたのです。

当時、趣味でキャンプや登山、農作業をやり始めたこととも重なります。そこでは、無駄や非効率的、ローテクなことがかえって面白みのある活動なのでした。単線的に上昇することだけを是とするビジネス現場の価値観に少し距離を置いてながめられるようになったからともいえます。

「もっと何か本質的なことを追求したい」「そしてその本質的なことを自分なりの表現で形にしてみたい」……自分の内にむくむくと膨らみはじめた欲求を満たすために、会社員としての本業とは別のところで、哲学的な記事を書いたり、情報の視覚化の勉強会を開いたりしました。「研究的」「芸術的」な創造活動が自分に深い喜び与えることを実感しました。

「何のための創造か?」という自問も大きくなりはじめた

また、「何のための創造か?」という問いも自分の中で大きくなりはじめました。大企業は立派な事業理念を立てますが、それがお題目になっている場合も多く、多くの事業は組織の自己保存のために動かし続けなくてはならないものになっています。

私は何度か新規事業プロジェクトに関わりましたが、企業内の審査で承認が下りるのは「確実に儲かる事業アイデア」であり、必ずしも「やりがいのある事業」ではありません。あるとき、会社にとっても関わる従業員にとってもやりがいがあり、企業理念にもかなった、社会的意義のある事業企画を練りました。もちろん、収支計画は3年後から黒字に転じる絵を描いています。しかし確実的、圧倒的に儲けられる内容ではありません。その計画をみた役員は次のように評価を下しました――「こういう事業は、行政かNPOに任せればいいんだ」。

自分は創造性を何に向けて発揮したいのか? それは会社の自己保存という狭い目的のためではないし、ましてや役員の首を縦に振らせるためでもない。

そんな中、組織は当然、「戦略的」「技工的」な創造性を求めてきます。さらにまた、管理職となった私に「管理的」な創造性も加えてきます。ここでミスマッチが生じてきたわけです(下図)。

「喜びと感じること」と「できること」が異なるという問題

さて、仕事と自己のマッチングを見つめる上で、さらに深い観点を投げかけてみましょう。それが下図です。

これは私が会社員をやめる直前(40歳のころ)の、自分が能力的にできる創造性ジャンルを重ね合わせた図です。この図で重要なのは、「自分が喜びと感じる創造性ジャンル」と「自分が能力的にできる創造性ジャンル」とは異なるものだということです。

40歳になった私は、能力的には「戦略的」「管理的」「技工的」な創造性はあったと思いますし、成果も出していました。その意味で、組織側の要請とはマッチしていたわけです。しかし、心の奥の喜びとはマッチしていない。ここが実に悩ましい点です。能力的にできることを組織の中でどんどんやっていき高く評価されても、自分の内側で深い喜びを感じられない状況は起こりえるのです。

……さて、このときあなたならどうするか? そうした違和には目をつむってがんばり続けるのも一つでしょう。そのとき、ボランティアや趣味活動、副業で本来の自分の創造性の欲求を埋め合わせることが必要になるかもしれません。あるいは、私のように独立して事業を始めるか。雇われない生き方は雇用組織との整合性問題からは解放されますが、どのみち生計を立てていくための苦労は残ります。

もっとも不幸なのは、仕事ができるあまり、組織の要請に応じて悪い形で創造性を発揮してしまうことです。例えば、昨今話題になっているメーカーの品質試験データの改ざんや、省庁の文書改ざん・紛失など。あれだけ巧妙な仕掛けを編み出すには高度な創造性が必要だったでしょうが、不正に手を染めた本人の気持ちはどうだったのでしょうか。有能で真面目な人は、組織から高い評価・承認を受けて、責任を負わされるほど、組織の意思に埋没し、魂を売り渡してしまうリスクが大きくなります。

モノ次元・コト次元・ココロ次元での整合/不整合

このように、仕事と自己のマッチング問題には次元があります。1つには、年収や労働条件など外形的なものがマッチするかどうかという「モノ」次元。もう1つは、能力的な観点でマッチするかどうかという「コト」次元。これらの次元でうまく整合性を獲得していくことは、「成功のキャリア」に通じています。

そして最深部には、「ココロ」次元での整合/不整合があります。これは「在り方」の問題であり、もし違和が生じたなら、それを放置しておけない重大問題でもあります。

人生100年時代を迎え、職を持って働く期間が伸びつつあります。そうした長きキャリアマラソンを完走するためには、仕事と自己が深いところできちんと整合していなくてはなりません。「そんな理想的なことを言っていたら職を探せなくなる」という意見ももちろんあるでしょう。ですが、「処し方」ばかりに振り回されて、心身を壊してしまったら元も子もありません。「在り方」のもとに職や働き方を考え、自分にとって自然体となる「健やか(=well being)なキャリア」実現という目線を忘れてはいけないと思います。

村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。

『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)をはじめ、管理職研修、キャリア開発研修、思考技術研修などの分野で企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

GCC(グロービス・キャリア・クラブ)主催セミナーにて登壇も多数。

1986年慶應義塾大学・経済学部卒業。プラス、日経BP社、ベネッセコーポレーション、NTTデータを経て、03年独立。94-95年イリノイ工科大学大学院「Institute of Design」(米・シカゴ)研究員、07年一橋大学大学院・商学研究科にて経営学修士(MBA)取得。

著書に、『キレの思考・コクの思考』(東洋経済新報社)、『プロセスにこそ価値がある』(メディアファクトリー)、『個と組織を強くする部課長の対話力』『いい仕事ができる人の考え方』(以上、ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。