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投稿日:2018年07月17日

投稿日:2018年07月17日

デジタルコミュニケーションを前提にビジネスをしていますか?

杉山 知之
デジタルハリウッド大学 学長/工学博士

本記事は、5月29日に行われたデジタルハリウッド大学学長・杉山知之のご講演「テクノベート時代のリーダーとは~デジタルハリウッド建学者が描く未来~」の一部を書き起こしたものです。(全3回)

デジタルコミュニケーションを前提にして考える

杉山知之氏(以下、敬称略):僕は現在、1994年にはじめたスクールの事業を会社としてやっています。スタジオ形式で全国19箇所にまで増えていて、そこで一般の方々にデジタルでものを表現するということを教えています。ですからトップエリートをつくるタイプの学校ではなくて、デジタルコミュニケーション時代に対応する人たちを育てていこうという面があります。

僕に1つだけいいところがあるとしたら気が長いこと。たとえば最初にスクールへ来てくれた方々には女性もずいぶんいらっしゃいました。キャリアチェンジのために来る学校でしたから平均年齢は28~29歳ぐらいでしたが、いずれにせよ、その後はお母さんになる人も出てくるわけですね。となると、その方々の子どもさんたちが大学生になる頃に物事も何か変わっていくんじゃないかな、と。そのぐらい(のスパン)で考えています。

もし自分のお母さんが「ファイナルファンタジー」のCGをつくっていたらどうですか?ウェブサイト制作会社の社長が自分のお母さんだったら?そういう状態にすることで、どうしたかったか。僕はそれまで、日本の小学校や中学校、あるいは高校の先生たちがいる現場は、どうしても変わらないと感じていたんです。それなら保護者が変わってしまえば、その方々が勝手に学校へ文句を言いに行くんじゃないかなって(笑)。すごく遠回りに感じますが、そういうことを考えていました。

さて、僕が1990年からずっと言い続けていることは1つ。「21世紀はコンピュータとネットワークが地球のすべてを覆う」です。そして、人類はその上に暮らすことになる。ですから、コンピュータとネットワークがあるというのはもう前提なんですね。

ところが、昭和の時代に教育を受けた人たちはそういう風に頭が切り替わらない。デジタルテクノロジーを「インフラだ」と、一応言ってはいますけれども、インフラどころじゃないんです。環境そのものですから。

そういう未来が今日本で一番ちゃんと見えているのが、落合陽一という30歳のつくば大学准教授だと思います。彼が言う通り、「デジタルネイチャー」なんですね。あるのが当たり前という話になります。

僕が1990年から言い続けているのもそういうことです。「これからはコンピュータとそのネットワークが空気のように存在している新世界になる」と。だからこそ「Re-Designing The Future」という言葉を使い続けていました。それがあることを前提にして、すべてをデザインし直す。この「Design」という言葉を狭義に捉えている方が昔は多かった。しかし今は皆さんも、デザインと言えば「あ、経営もデザインだよね」ということをお分かりいただけていると思います。

当初から「コンピュータとネットワークがあることを前提にして全産業が変わる」と考えたうえで、とりあえず学校ですから、教わったものが何か役に立たないと出だしとしては良くないというわけで、まずCGを教えたりしていました。CGというのは今後、恐らく最も、誰もがきちんと知っているべき技術の1つです。VRを例にとっても分かる通り、CGが分からないと本当は何も分からない。ウェブも同じです。ウェブが分かるということはインターネットが分かるということなので。

だから、その2つを基軸にしてやってきましたが、クリエイターをつくるのが最終目標ではありません。目標はそのあと。その意味でも、デジタルコミュニケーションの環境が活かせるよう、すべてをデザインし直す。その環境があることによって家族との付き合い方も変わるし、教育も絶対に変わらなきゃいけない。会社も変わらなきゃいけない。「そもそも皆が9時-5時で同じ場所に集まらないと会社を運営できないの?」と。

大切なのは、デジタルコミュニケーションがあることを前提にして考えることが本当にできているかどうか。ですから、皆さんへの最初のクエスチョンは、「あなたはデジタルコミュニケーションの存在を前提としてすべての事柄を判断していますか?」です。そのためには今までの経験で得たことを忘れたほうがいいんです。そうして違うところを見れば、「こんなに効率が良くて、こんなにお金がかからず、こんなに人員が減っても大きいことができるんだ」と、分かるはずなんです。

デジタルハリウッド大学ができるまで

なぜ「デジタルハリウッド」という名前なのかというお話も少しさせてください。学校をつくろうと考えたのは1993年頃ですが、それなら名前を付けないといけないですよね。そのとき僕は「その学校の卒業生が21世紀にはどういった仕事の仕方をしているか」と考えました。そして、力がある人は組織に属していない、フリーランスとなっているに違いないと思いました。

さらに、仕事はプロジェクトごとに離合集散するモデルになる。いろいろなプロデューサーが、それぞれに「今回はこういう仕事で、何ヶ月ぐらいかかる予定です。◯円でやりませんか?」と言って、声をかけられた側も「分かりました」と。そうして仕事が終わったら1ヶ月ぐらい休暇を取ったりして、また次の仕事に向かうというモデルです。

そんな風に考えつつ、「これ、どこかでよく聞いた働き方だな」と思っていたんですが、実はハリウッドの働き方だったんですね。1910年頃にできたハリウッドも、戦後すぐまでは、いわゆる5大メジャーみたいなものがあり、全員そのスタジオに属していたんです。監督もプロデューサーも俳優も大道具さんも小道具さんも。劇場も完全に縦の支配関係のなかにありました。

でも、たしか戦後に法律が変わってその縦関係を解消しなければいけなくなって、それもきっかけになって力のあるプロデューサーは皆外に出て、内側は制作サイドという形になったんですね。5大メジャーのなかには潰れるところもありましたが、世界に配給する会社も出てきます。そうした産業の大きな変革とともに現在の働き方も生まれていきました。

そして、この変化にはすごくいいことがあった。それはプロジェクトに最も適した人をどこからでも集められる体制になったことです。「この作品ならこの脚本家にやらせてみよう。監督はこの人じゃないかな」と。そして、監督と相談して「それならキャストはこうだよね」となるわけですね。そこでは、別にアメリカ人である必要もありません。そういうことによってクリエイティビティが失われないようになりました。同じメンバーで同じものを毎回つくるのではなく、いつも適材適所で選ぶことができるからです。

ですからそれを真似しつつ、けれども僕たちは当然ながらデジタルコミュニケーションを使いこなす時代だから、「それをデジタルで実現できる」と考えました。そんな風にして、実は働き方からヒントを得てデジタルハリウッドという名前にしています。

設立を考えた1993年時点で、すでに「21世紀には大学院を設立しよう」とも思っていました。94年10月、神田の淡路町にあるペンシルビルのようなところで開校したんです。ちょうどバブルが弾けたあとで入居者がいなかったこともあり、なんと6ヶ月間もフリーレントで貸してくれました。小さな1フロアではじめたんですが、そのときに朝日新聞かどこかの記者の方が来てくれたので、そこで言ったんです。「21世紀には大学院をつくります」と。

なんとなくできると思ったんですね。21世紀になっても文科省が変わらない、とは思わなかったので。ただ、実際に大学院を設立できるのは2018年の今ごろかなと思っていたぐらいです。でも、皆さんもご存知のように小泉政権ができて、構造改革特区が生まれました。日本の法律ではできないことも、それぞれ管轄省庁がOKと言えば、自治体ごとにできるというのが構造改革特区の分かりやすい説明かと思います。それで大学院をつくることができたわけですね。

そうして1994年にはじめて以来、社会人がキャリアチェンジをするということで半年から1年のコースを出た方は、22年間でおよそ9万人になります。恐らく全国レベルでもコンテンツ制作人材の1/5ぐらいが卒業生だと思います。特にCGが強くて、CGでは1/3から半分ぐらいがうちの卒業生という制作現場はたくさんあります。ゲームに関しても同じ。皆さんもプレイしたことのある知られた日本製ゲームの制作で、うちの卒業生が関わっていないものはないですから。そういう感じで、社会人がキャリアチェンジするということがベースになっています。

また、職種のほうは資料でご覧いただいているような分野が強く、その手のことを教える人がいなかったこともあって、他大学で教員になった卒業生もいます。また、学んでみた結果、デザイナーやプログラマーとしては友だちのほうが強かったけれども、もともとの頭は良かったという人たちもいて、そういう卒業生は起業家になっていたりもします。

それと、最初からCGで押していたこともあり、CGに関しては「将来ハリウッドで働きたい」といって入学する人たちが結構います。その結果、海外の制作会社で働く卒業生も増えました。たとえば、「アバター」や「ハリーポッター」をつくったWETA Digital、「スター・ウォーズ」をつくったILM。このほか、Pixar Animation Studios、DreamWorks SKG、世界最大のオンラインゲーム制作会社であるBlizzard Entertainment、アップル社の広告等を手がけるLogan、「007」シリーズ等を手がけるロンドンのDouble Negative、「アイス・エイジ」等を手がけるニューヨークのBlue Sky Studios、さらにはWalt Disney Animation Studiosで働いている卒業生もいます。

ただ、そのプロセスを見てみると、少し日本的だなと思います。日本では30歳を超えるとクリエイターも管理側に追いやられてしまうんですね。「クリエイターをまとめろ」と。でも、よく考えて欲しいんですけれども、そういうことがあまり好きじゃないからクリエイターになりたいという人も多いんですよね。

ですから、管理側へ異動するよう言われた時点で「これを機会に転職しよう」となります。皆、そういうときが来ることを分かっているから、ひそかに英語を勉強しつつ、自分の仕事をポートフォリオにまとめて、結局は海外に流出してしまう人が多いんですね。ただ、それはそれでいいと思います。あちらに行くと、CGをやっている人はいきなり年収が3倍ぐらいに上がります。なので、初期に海外でトライした子たちは皆、今は立派なお屋敷に住んでいます(笑)。

大学の様子も少し紹介させてください。お茶の水駅前に「御茶ノ水ソラシティ」という施設がありまして、そのビルの右側から入った3階と4階にキャンパスがあります。今は留学生が意外と多いんですよね。僕もクラスを持っていますが、学校ではアクティブラーニングの形をとっています。単純に講義するだけでなく、ワークをやってもらったうえで皆で話し合う。ただ教えるだけなら今はオンラインでもずいぶんできてしまう世の中ですから。あと、僕の授業は英語の資料でやるケースが多いですね。留学生が多いので。

テクノロジーカルチャーをつくる

僕自身に関してお話しすると、最初に見た方はだいたい「アーティストくずれかな」なんて感じたりするようですが、実はエンジニアです。今までの仕事をいくつか挙げると、たとえば1987年には渋谷Bunkamuraにあるオーチャードホール・コクーンホールの建設にあたって、コンピューターシミュレーションによる音響設計を僕が担当しました。それと最近、日大の例の会見に使われたホール。レンガに穴がたくさん空いていますが、あれは吸音用のタイルで、あの部屋の音響設計も僕がやりました。

あと、僕は当時、「吸音するタイル」というものをINAX社と開発していまして、そのとき僕が提案してつくったのが、「バブルボーイ(INAX QX-100)」というスピーカー。これは僕の名前で意匠登録されています。実は音を良くするために計算して角のないフォルムにしたものなんですが、結果的にはそのデザインが認められてフィラデルフィア美術館やニューヨークのMoMAに入っていたりします。

それと1994年の開校前から、ハイビジョンを使ったVRをつくることもすでにやっていました。VR空間にいろいろなものを並べ、それを立体のアイコンにするといったシステムをつくりましたし、VRを使って原子力発電所のなかに潜り込んでいくことも、経産省の仕事でやらせていただいたことがあります。

また、そうしたなかでホリプロの堀(義貴氏:同社代表取締役会長兼社長)さんと知り合って、恐らく世界初の「バーチャルアイドル」もつくりました。「伊達杏子」というキャラクターですね。「DK-96」ということで96年にデビューしました。

ただ、これは大失敗しました。コンセプトは気に入ってもらったんです。当時、僕が何を言っていたかというと「このアイドルはスキャンダルを起こしません」と。CGだから(笑)。それと、21世紀になってネットが発達すれば100万人のファンに人工知能で1対1の対応ができるということもすごいアドバンテージになると考えました。さらに、どこにでも同時に、何百箇所にでも出演できる、と。そういうコンセプトでした。今はそれが「初音ミク」のような形で実現したと思います。いずれにしても、相当フォトリアルなものを精一杯頑張ってつくりました。どれほど精一杯だったかというと、3分のCGをつくるのに6ヶ月かかりました(笑)。

なぜ失敗したかというと、簡単です。芸能界のプロデューサーの方とお仕事をするようになると、「来週までに着替えさせてください」なんて言われたりするんです。当然ですよね。でも、着替えをさせるのにもこちらは「3ヶ月待ってください」と。そういうことで失敗したんですが、とにかく、そんなこともやったりしていました。

あと、僕自身は「テクノロジーカルチャーラボ」というのをやっていまして、今現在もいろいろなことに関わっています。デジタル×ファッション、ドローン、ハイパーソニックエフェクト、360度ムービー×VR、360度ライブストリーム、アート×バーチャルリアリティ等々…。そこで研究員も少し抱えています。研究員と言っても自分の会社を持っているような人ばかり。会社経営のほかに「こういうことをやりたい」という人が夜な夜な集まって、勉強会をしたりしています。年齢もいろいろです。

一方、学校のゼミのほうはすごく多国籍ですね。フランス人、パキスタン人、アメリカ人、イタリア人等々、いろいろな国の人たちがいます。そこで、僕もいまだに年間6科目ぐらいを受け持っていて、一応現役で先生をやっています。

2005年につくった大学院は定員が80人×2で160名。グロービスさんに比べたらすごく小さな大学院ですが、この定員に対して専任19名、客員55名ほどで教えている体制になります。一方、大学は専任41名で客員が114人ほど。学生の数は1000人ほどで、1学年250人です。全体を見ると1/3が留学生で、常に30カ国以上から来ています。累計では40ヶ国を大きく超えました。

もう少し内容を詰めると、僕たちはテクノロジーカルチャーというものが1つのキーだと思っています。「21世紀はテクノロジーがカルチャーをつくっている」と。文化と捉えるとすごく広いわけで、人間活動のすべてという風に捉えていただいてもいいと思います。

そのうえで具体的には、CG、ウェブ、グラフィックデザイン、プログラミング、IoT、ロボティクス、ドローン、VR/AR/MR、さらにはゲームなどについて、技術面を教えているわけですね。ドローンの学部は日本で最初につくりました。このほか、大学として教養科目もあります。教養も重要ですから。

また、研究活動ではEdTechが盛んですね。EdTechでNo.1と言われている佐藤昌宏教授が頑張っています。EdTechに関して言えば、これだけテクノロジーが発展しているのに教育は100年前のまま。特に日本は遅れています。電子教科書が使えるようになったのもつい最近ですよ。アジアのどの国だって、教科書の電子化にあたって「紙じゃなくていいのか?」なんていう議論は出ませんでした。でも、日本だと「教科書は紙であるべきだ」という人たちがすごく強かった。だから、推進したい関係者が「電子教科書にしたい」と言って10年経ってから、やっと法案が通った。遅いですよね。

あと、今はFinTechの先生も来ています。それと、最も大きな研究グループはデジタルヘルスのグループ。今は教える側に2人の医者がいて、大学院の今年の新入生には4人ほど医者がいます。ほかにも薬局の方とか、いろいろいます。たとえば大学病院でやっているような高度先端医療でなく、我々が日々行っているような医院にも大いにイノベーションの余地はあるんですよね。紙とFAXでやっていることが今もめちゃくちゃ多いので。ですから、今は福祉も含めて皆が集まっています。毎回、勉強会には100人以上集まっていて、医療業界でも結構な話題になっているようです。

それとファッションテクノロジーの研究も盛んです。海外で本格的にファッションを勉強してきた方が教員になって、「もっとテクノロジーを入れよう」と。ファッションも特にデジタルテクノロジーが入っていない業界です。ですから、やりようはいくらでもある。あと、当然ながらマーケティングを研究している人もたくさんいます。デジタルコミュニケーションを活用してマーケティングを行えば、もっともっと新しいことができますから。

とにかく、こういった環境ですから、そこからベンチャーも自然に生まれたりします。そうなると僕らも株式会社ですから、「ちょっと手伝おう」と。僕らだって儲かっている会社ではまったくありませんが、たとえば大学生には50万円が用意できないからアイディアを具体化できないという子もいたりします。彼らが自力で50万円を貯めようとすると「半年間バイトを」なんて話になる。「それならその50万円は出そう」と。

あるいは大学院生になると、500万円がないために、いわゆるシードのラウンドに進めないこともある。そういうときも少しだけ。株主として何かを取りたいというのはまったくありません。これが「D ROCKETS」というインキュベーション事業です。まあ、「ゆくゆくはとんとんぐらいになれば」とは思いますが、基本的には損をしても構わないと思ってやっています。

そうした取り組みのなかから、「O2」(オービタル・ツー)という新しいIoT入力デバイスが生まれたこともあります。フォトショップやイラストレーターを使う方は分かると思いますが、右手でペンタブを持って左手でさまざまなファンクションキーを押すという作業は腕に負担がかかって、腱鞘炎になったりするんですね。このデバイスはそれを解決しようということで、イラストレーターの大学院生がゼロからハードを学んでつくりました。これを押したり回したりすることで120のファンクションキーが入力できるため、ほぼキーボードを触らなくても、フォトショップとイラストレーターに関しては全作業が行えます。もうすぐ量産になると思います。

こうしたさまざまな取り組みの結果、今は経産省の「大学発ベンチャー創出数」にもランクインするようになりました。これ、単純な起業数ではありません。会社をつくるだけなら、うちにはCGやウェブの会社をつくった卒業生がごろごろいますが、そういうところは経産省もカウントしていません。オリジナルのプロダクトやサービス、あるいはコンテンツを提供する起業の数です。当初から16位ぐらいにランクインしていて驚いていたんですが、今はさらに順位を上げて、2017年度で10位につけています。

(ランクインしている他大学の)偏差値を見たら、あり得ない。けれども、変わった人が来てくれるから、こういうことが起きるのかなと思います。ただ、それを差し引いても我々は学生数が1300人ほど。東大は3万人ほどですし、早稲田は5万人ほどです。だから学生数あたりの企業数は東大より多いと思います。

杉山 知之

デジタルハリウッド大学 学長/工学博士

1954年東京都生まれ。87年よりMITメディア・ラボ客員研究員として3年間活動。90年国際メディア研究財団・主任研究員、93年 日本大学短期大学部専任講師を経て、94年10月 デジタルハリウッド設立。2004年日本初の株式会社立「デジタルハリウッド大学院」を開学。翌年、「デジタルハリウッド大学」を開学し、現在、同大学・大学院・スクールの学長を務めている。2011年9月、上海音楽学院(中国)との 合作学部「デジタルメディア芸術学院」を設立、同学院の学院長に就任。福岡県Ruby・コンテンツビジネス振興会議会長、内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会委員を務め、また「新日本様式」協議会、CG-ARTS協会、デジタルコンテンツ協会など多くの委員を歴任。99年度デジタルメディア協会AMDアワード・功労賞受賞。著書は「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」(祥伝社)、「クリエイター・スピリットとは何か?」※最新刊(ちくまプリマー新書)ほか。