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投稿日:2020年06月17日

投稿日:2020年06月17日

withコロナ時代のトレンド-- “開疎”な未来を考える

安宅 和人
慶應義塾大学 環境情報学部 教授/ヤフー株式会社 CSO( チーフストラテジーオフィサー)

withコロナ時代に起きる生活様式の変容は、おそらく永続的なものになる――そう語るのは、ヤフーCSOの安宅和人氏。変容のキーワードは「開疎」だ。人類史上、5000年続いてきた都市化の流れがまさに変わろうとする今、私たちはどんな未来を思い描き、どう行動すべきなのだろうか。(本記事は、2020年5月1日のインタビューを元に作成しています)

人類は伝染病とともに生きてきた

国内の感染者数は減っており、経済活動が再開されつつあります。とはいえ、深刻な不況下で不安を抱く人が多いようです。

安宅:どんな時代もやるべきことは同じ。「事実をストレートに見る」「都合よく解釈しない」「トレンドが見えたら、その先にある変化をどうやって起こすか考える」です。既存の事業や売上にとらわれずに物事を正確に見極め、トレンドを予測してビジネスをアップデートすればいい。トレンドに逆行するから痛い目にあうのではないかと思います。

現実を直視すると、たしかにCOVID-19は一旦小康状態に入りつつありますが、新型コロナウイルス、SARS-CoV-2、と共存せざるをえない「withコロナ社会」は、今後も当面は続くと思ったほうがいい。日本はともかく、世界規模で起こっている混乱が、あと数カ月で落ち着くということは考えにくい。突然毒性が弱まる可能性は低く、物理的な封じ込めができないとすると、本質的な解決策は2択しか考えられないからです。

  • 集団免疫(herd immunity)を獲得する
  • 特効薬を開発する

前者のシナリオでいけば、ワクチンを開発するか自然感染に任せるしかありません。ワクチンについては現在、開発候補品が100以上あるとされています。米国、中国の企業が開発を急いでいますが、楽観的なシナリオでも実用化は来年のQ1とされています。ここから量産し、日本、中国やOECD諸国に出回って打ち終えるにはプラス1年は見込むべきでしょう。

自然感染にまかせる場合について考えてみましょう。入院が必要な重症化率を2%とし、感染症病床(約3万床)のキャパいっぱいで対応し続け、人口の70%までの免疫形成を図ろうとすると、日本国内だけでも計算上2年はかかります。

実際には現在感染者が劇的に少なくなって、そこまでの勢いで感染者が増えていないために、集団免疫の形成は進んでおらず、このペースでは遥かに長い期間かかります。この状況下において、現在感染爆発が進む中南米、ロシア、さらにインド、アフリカと広がったものがもう一度OECD諸国に戻ってくる可能性に備えておかねばなりません。

2つめの特効薬ですが、アビガンは臨床研究でまだ明確な有効性が示されていない状態。イベルメクチンも薬事承認に向け有効性を検討しているところです。

withコロナ社会がどんな社会なのか、イメージしづらいのですが。

安宅:つい100年前までヨーロッパでは7人に1人は結核で亡くなっていました。日本では1940年代になっても死因の第1位は結核であり、40年ぐらい前までは、日本中に結核隔離病棟がありました。つまり、伝染病とともに生きる社会は突然、誕生したものではないということです。我々は再び病原菌、ウイルスとともに生きる時代に戻ったに過ぎません。

現在でもインドでは水道管と下水管が併走していて、雨が降ると破損部分から双方の水が混ざってしまうことが、少し前まで外務省のページには明示されていました。水道水に入っている様々な菌やウイルスのために日本人がインドに行くとだいたいお腹をこわす。でも、彼らは大丈夫。病原体と生きる術を持っているからです。水道水や生野菜を一切口にしなければやられないと知っている。

また、天然痘、HIV、今回のCOVID-19もそうであるように、感染症の病原体の多くは野生動物を自然宿主としており、細菌、ウイルスの大半がホモサピエンスとは比較にならない長い歴史と多様性を持っています。人間の自然破壊が進み、野生動物との接点が増え続く限り、人類が新種の病原体と遭遇するリスクは増えることはあっても減ることはありません。

もちろん最終的には今回のCOVID-19も克服できるでしょう。人類はあらゆる疫病と戦ってきましたが、最後は勝ってきたからです。致死率が2~5割と極めて高い天然痘だってワクチンの普及に伴い根絶されました。感染者の何割と亡くなったポリオ、麻疹、ペストなどと異なり、今回のコロナウイルスの致死率は、高度医療のキャパさえあれば最大数パーセント程度で落ち着きそうです。

昔の人のように「感染症とともに生きる」という前提で、今後を考えなければいけないわけですね。

安宅:そうですね。afterコロナの前にまず、withコロナ(感染症)の環境を前提に思考し、小康状態のうちにできる限り、これからの時代に即した刷新を図るべきです。

だとするとマクロ的には、

  1. 密閉(closed) ⇒ 開放(open)
  2. 高密度(dense)で人が集まって活動 ⇒ 疎(sparse)に活動
  3. 接触(contact) ⇒ 非接触(non-contact)
  4. モノ以上にヒトが物理的に動く社会 ⇒ ヒトはあまり動かないがモノは物理的に動く社会

の4つの方向性を当面、所与として活動していかなければならないと考えられます。この内、2と3はかなり束ねることができますので、「開放×疎」に向かう、すなわち「開疎化」というかなり強いトレンドが生まれるというのが僕の見立てです。(参考:安宅和人「開疎化がもたらす未来」)

これまでは密閉×密、密密、を前提として様々な仕組みと娯楽、そして価値創造が行われてきました。オフィスもそうですし、通勤電車のような大量輸送装置、各地の繁華街や大型商業ビルや店舗、ライブ会場、映画館のような娯楽施設もそうです。

効率性の視点から見ても単価の視点から見ても当然ですが、このような密密空間に人間の生み出す付加価値の大半が集中していると考えられます。そういう場が大量に集まっている場所がいわゆる都市です。これは東京、大阪などの大都市だけでなく、地方都市、ショッピングモールなども含まれます。

このような都市的な空間に資源と人が集中し、人間は長らくその恩恵を享受してきました。少なくとも5000年はこの密密に向かうマクロトレンドが続いてきたと考えられます。

ただ、これは中世のペストや、100年前の結核やスペイン風邪などの伝染病(感染症)が蔓延していた頃から分かっていたことですが、都市は病原体、特に感染症にはめっぽう弱い。これらの空間の中でも、学校、オフィス、軍隊、昔の工場のような人の集まる場所がとりわけウイルスや細菌の温床となってきました。フィレンツェ、ロンドン、ニューヨーク、東京と言った人口密度の高い都市に適応した病気がパンデミックだということすら言えるでしょう。

密密空間が行き詰ってしまった以上、これからは様々な点で空間を開疎化せざるをえないと考えられます。といっても、長年にわたる都市化の流れがいきなり止まるわけではありません。都市化の上に開疎化のトレンドが乗ってきます。おそらく現在のようなリモートワークが広がっていく中において、都市空間の誇る多くの密密空間を開疎空間につくり替える動きが先んじて起こるでしょう。

withコロナ時代のビジネスオポチュニティ

どんな風につくりかえられるのでしょうか。

安宅:withコロナな時代において、空気はこれまで以上に清浄であることが望ましいことは言うまでもありません。

オフィスでも空気回転率(空気の入れ替え回数/時間)とか単位換気時間(空気と外気の入れ替わり所要時間)などが問われるようになるでしょう。空気循環の代替指標としてのCO2濃度も計測するのが当たり前になるのではと思います。

空気を洗う技術も必要になる。大量の空気から花粉や細菌だけでなくウイルスまで安定的かつ高速に吸着して除去できる技術を生み出せば、驚くほどの富が流れ込んでくるはずです。これがあれば、カラオケのような開放性を高めづらい空間であっても、空気の清浄さはある程度保たれます。

室内のレイアウトも変わる。今の日本のオフィスはたいてい部署ごとにデスクを集める“島”になっていますが、島というのは高密度に人が集まることを実現するための仕組みです。ミーティングの時以外は、席を離したコックピット的な作業空間で作業をする人が増えるでしょう。職住一体型住居も当然増えていくでしょう。

そもそも心身ともに苦痛をともなう通勤ラッシュには誰もが抵抗感を抱いていたわけですが、ここに来てついに衛生的に意味をなさなくなった。ラッシュ時の通勤や島での過密労働を強いるような労働環境は、今後は「コロナ・ブラック」と呼ばれてもおかしくありません。「コロナ・ホワイト」をめざすなら、オフィス自体の開疎化に加え、できる限りのテレワークを定着させるべきでしょう。

オフィスであれ生活空間であれリノベーション需要は相当大きいと思います。

コロナ・ホワイトな場が増えると、ほかにどんなビジネスオポチュニティが生まれますか。

安宅:それは皆さんが考えることですし、これからどうなるかでいくらでも変わることなのですが…。とは言え少し考えてみましょう。

今、テレワークをしている人々の多くが何に困っているかというと、通信環境の不安定さと家にオフィスがないことです。だから、快適な職住一体型、職住近接型の空間づくりにうまく役立つことができたら、巨大なチャンスがめぐってくるはずです。

解の一つとして住宅街から1~2キロ圏内に開疎なシェアオフィス、レンタルオフィスをつくるのもいいかもしれない。郊外の空き家や空きビルを再設計して、開放性の高い作業空間にリノベーションをはかっていくということです。

そのうち会社のオフィスは“神殿”みたいなものになるかもしれません。一人ひとりが帰属意識を確認するための象徴のような場所として、そして特別なときにのみ集う場所に。国会議事堂だって国会会期中以外は神殿みたいなものじゃないですか。あそこで決まったことはまさに“神託”みたいに下りてきますしね。近い将来、大手町の高層ビル群も、西新宿の高層ビル群も”神殿”的な存在になってしまうかもしれない。

開疎化が起こるのは大都市内の空間だけではありません。地方の繁華街、オフィス街、コンパクトシティも都市ですから、あらたに再評価し構築し直す必要がある。

集合住宅も同じです。細胞のように壁で区切られているものの、体積内の人の集まり方、閉ざされ方を考えると、多くが密密ですからね――とこんな具合に、「開疎」というトレンドに沿って考える力が今、私たちに問われているのではないかと思います。

「いつになったら元通りの(≒ 密密の)状態に戻れるのか」「(そこに戻るために)自分たちはどうしたらいいのか」とここのところ毎日のように誰かに聞かれますが、人に聞く前に、こういう筋に沿ってケースバイケースで素直に考えてみてはどうでしょうか。

安宅さんが『シン・ニホンAI×データ時代における日本の再生と人材育成』(NewsPicksパブリッシング)の中で書かれている異人(新しいものごとをつくる人)のように妄想力が必要になりますか。

安宅:本件に関しては、確かに不連続的な部分はありますが、多くは妄想というほどではなく、事実を冷静に受け止めて、その意味やこれから起こることを自分の頭で素直にストレートに考えればいいのではないかと思いますよ。

たしかにストレートに考えれば、密密空間より開疎な空間のほうが快適だろうな、と感じます。

安宅:はい。快・不快感情より強いロジックはありません。嫌なものは嫌じゃないですか。

3年ほど前、未来について色々仕掛ける人が集まる場であるコクリ!プロジェクトの集まりに参加していた時、このままでは太古から人が住んできた自然豊かな土地が捨てられることが続き、都市集中型の未来しかなくなってしまう、テクノロジーの力を使い倒すことによって自然とともにもっと疎な空間で豊かに生きる未来は作れないのだろうか、そういう考えが強く降りてきました。これを周りの友人・知人達に話すと、何人もの方々が賛同してくれ、既に二年半以上に渡って検討をすすめています。

平方キロあたり数十人以下の強烈な疎空間を想定した「風の谷を創る」という運動論です。「風の谷」というのは宮崎駿先生の「風の谷のナウシカ」に出てくる、風が吹くことで毒に覆われた腐海に侵されていない開疎な空間です。

「残すに値する未来」を作ろうということで、第一線の大人たちだけでなく。SFC安宅研の学生も加わり、手弁当で検討をすすめていますが、この活動をすすめる中で「都市セントリックな未来しかないことは受け入れがたい、未来への開疎なオルタナティブを持てないのだろうか」と思うのは人間の生理的な欲求のひとつなのではないかと感じています。

ナイトクラブ、居酒屋などが好きな人もいると思いますが。

安宅:もちろん都市化のニーズ自体は消えないでしょう。それでもそういうふうに生理的欲求レベルで感じる人が一定の割合でいるということです。むしろ問題は、開疎な空間にいる人が密密の人に会うとき、あるいは密密空間の人が開疎の人に会うときなのではないかと思います。その場合はマスクとか浄化――いわゆる「清め」に当たるような防御がどうしても必要になる。

防御が必要な状態はどのくらい続きそうですか。

安宅:先程述べたつもりですが、計算上は少なくともあと2年は続くはずです。アジア太平洋地域は幸い人口あたりのCOVID-19死者数は少ないですが、人種を超えてこうであるところを見ると、単に遺伝的背景や生活習慣の違いと言うより、広がっているウイルス株の違いである可能性は否み難い。

逆に言えば、これからが勝負なんですよ。withコロナ時代に起きる生活様式の変容はおそらく永続的、長く続くものになるでしょうから。

永続的、ですか?

安宅:はい。先程述べた通り、これまでの生活、勤労の習慣がそもそも生理的につらいだけでなく衛生的にmake senseしなくなったことが一つ。

さらに深い理由もあります。withコロナ時代は、ガイア(地球)との衝突の時代でもあります。長い間、「人間にとっての善」は「地球にとっての善」をほとんど意識する必要がありませんでしたが、今や「人間善」と「地球善」をともに満たす線で未来を考えなければ、人類は生き延びられない。拙著『シン・ニホン』で述べているように、SDGsと日本が提唱する未来社会「Society5.0*」の交点を考えなければまずいタイミングに突入しているのです。

Society5.0「デジタル革新と多様な人々の想像・創造力の融合によって、社会の課題を解決し、価値を創造する社会」(経団連「Society 5.0 -ともに創造する未来-」より )

2019年7月に発表された「2100年の天気予報」という環境省の予測では、有効な温暖化対策が取れなかった場合、夏には全国各地で気温が40度を超え、風速90メートル級のスーパー台風がやって来るだろう、と予想されています。風速90メートルって家が倒れる速度ですからね。IPCC勧告通りの抑制に成功しても、荷物を積んだトラックが倒れるレベルの風速70メートルの台風が予測されています。

それだけではありません。あと数十年のうちに北極海の氷は一度は溶けきると考えられますが、さらにシベリアの永久凍土も溶けたら、今まで眠っていたウイルスや細菌が表に出てくる可能性は高い。そのとき我々はもう1回、様々な伝染病の危険にさらされるでしょう。その中には、毎年大陸方向から舞ってきてはじまるインフルエンザのように、空気感染するものもあるでしょう。一過性のつらい時期と考えるのは少々甘いだろうということです。この期に、いずれ来る変化に備えできる限りの刷新を図るべきです。

開疎社会の最大の課題は“カルチャーの創造”

開疎のトレンドが進んだとき、起こりうる問題があるとすれば何でしょうか。

安宅:工事現場や鉱山のように開疎でやることが困難な職場があることに加え、リモート環境下での共同作業、特に知的生産の困難は既に顕在化しています。

次に都市そのものが消えるわけではないですが、オフィスや商業空間を開疎化していく課程で、密密空間の価値基準が大きく揺さぶられ、これに伴い様々な調整とトランジションが見られることになるでしょう。飲食、小売店舗も出店の立地や営業のあり方は大きく変わるでしょう。実は3月ぐらいから路上や公園、海岸などを飲食店やバーなどのために開放したほうがいいと公職の然るべき方々には訴えてきました。

完全に開疎な空間に関して挙げるならば、まずは高すぎるインフラコストと都市に対抗しうる求心力。「業」的に言えば、特に課題が根深いのがヘルスケアと教育ですね。医療は施設産業であり、検査機材や手術などの設備、そこを使いこなすプロフェッショナルを疎空間で維持することは極めて困難です。もう一つの教育については、今、夕張市など過疎化が進んでいる多くの土地では、15歳以下の子どもを合わせても1平方キロあたり1~3人程度しかいません。学校を維持することも非現実的な上、これでは育つために必要な友達との健全なインタラクションが生まれません。

なるほど。もうひとつ気になるのは人との一体感が得られるのかということです。もちろんVRなどのテクノロジーが発達すれば、リアルに一緒にいるような感覚がもたらされるかもしれませんが。

安宅:オンラインのつながりだけでチーム意識を持てればいいですが、なかなか難しいでしょうね。ブレストくらいならある程度できますが、それだって結構やりにくい。やはり人間は人間と交流していないと楽しくないし、意外な出会いがなければ新しい価値を生み出すことは難しい。

歴史を振り返れば、人類はつねに都市、人の集まる場所から文化を生み出し続けてきたわけです。フィレンツェも京都も、人間同士のインタラクションがあったから知恵や材料が交換できて、文化を創造できたわけです。パリのカフェもそうじゃないですか。サルトルとボーヴォワールが、ゴーギャンとゴッホが、お互いふらっと知り合ったことで新しい文化が創造された。開疎な空間において、都市のように計算されていないインタラクションをいかにうまく生み出せるか――これは完全に開疎な空間を立ち上げていくにあたって最大の課題の一つになると僕らは考えています。

一方で、開疎な空間ならではの文化が誕生するという、コペルニクス的展開が起きる可能性もある。隔離こそが進化(evolution)の原動力ですからね。ガラパゴス諸島の生き物は独自の進化を遂げましたが、同じようなことが起こるかもしれない。ニュートンだってペストの流行でケンブリッジにいられなくなり、1年半、田舎に疎開した。その時期に光学の原理や微積分を発見し、万有引力の着想も得たわけですから。

また、ニュートンのような天才が誕生するかもしれない?

安宅:若い才能たちが開疎な空間に疎開するようになれば、そういう可能性はありえますよね。工業社会が到来して以来、人間は協働することで文化を生み出してきましたが、中世までは天才ドリブンな社会でしたからね。

“Revolution”という言葉は、通常は「革命」と訳されていますが、本来の意味は「転回」。開疎な空間で隔離されているうちに新しい何かが創造され、「画期」、つまり歴史にあらたな転回が生じる可能性もある。そのときこそ人類は次の高みへとステージアップできるのでは。あるいは自粛で隔離されていることで、生物学的、社会学的な「ニッチ(生物が生態系の中で占める位置)」空間ができ、今こうしている間にも我々の知らない新しい才能や全く知らない何かが誕生しているかもしれません。

安宅 和人

慶應義塾大学 環境情報学部 教授/ヤフー株式会社 CSO( チーフストラテジーオフィサー)