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現在グロービス経営大学院に勤務し、リーダーシップ開発や思考系科目の講師として活躍している中村直太さん。
新卒から一貫して「生き方」に向き合う仕事を選んできたきっかけは、学生時代の就活迷子の経験。
そして今は、正社員からあえて契約社員に雇用形態を変え、パラレルキャリアへの挑戦の第一歩を踏み出そうとしています。
中村さんのこれまでの歩みと展望についてお伺いしていきます。
【中村さんのライフチャート】
1.サッカーの道をあきらめ大学進学
ー中村さんは2001年に慶應義塾大学の理工学部に入学されています。幸福度はとても高い!という感じではありませんね。
サッカーでは食べていけない現実を直視し、大学へ進学したという経緯があります。
新しい環境にワクワクする気持ちはありましたが、大学進学の目的はありませんでした。
「世の中的に良い」といわれる大学を選び、専攻の工学部は「日本は製造業だ」という親世代の価値観の踏襲と「化学と古典どちらが苦手か(今は古典が好き)」という消去法で選んだのが、嘘のない本音です。
2.やりたいことが分からず就活迷子に
ー大学3年時の就活では大きく急降下していますね。なぜでしょうか?
この時初めて、「自分のことを自分で選ぶ」ことに直面し悩みました。
社会や仕事のこともよくわからない、自分のこともよくわからない。
そんな「わからない自分で、わからない選択肢(仕事)を決める」という無茶な活動に、怒りに似た感情を抱いたことを思い出します。
同時に自分にも矢が向き、「社会が良しとする基準」に流されてきた自分やサッカー以外は主体性を放棄し生きてきた事実に気づき、ショックを受けました。
少しでもわかろうと、社名を知っている企業やそうでない企業も含め、会社説明会にも足を運びましたが、ピンと来ませんでした。
そしてちょうど、工学部は大学3年次から研究室に配属されるのですが、研究室に恵まれ、研究の学びと社会のつながりが見える面白さを感じたこともあり、就活は辞め、大学院への進学を決めました。
3.2度目の就活でゼロリセットを決意
ー修士1年目でまた就活フェーズがやってきました。こちらは1回目の就活と打って変わって、幸福度が高いです。
これまでのように一般論や周囲の価値観に流されず、「自分で自分の人生を決めた」ことへの充実感がありました。
同じ専攻の人の多くは、メーカーのエンジニア職を選択されます。
ただ自分にはその道は合わないと直観的に感じたため、今回は自分の気持ちに素直に従ってみようと考え、ゼロリセットで就職に向き合うことにしました。
この決断に至った時、すごく晴れ晴れしたことを覚えています。
ー理系修士から、心機一転の文系就職。企業選びはどのような軸だったのですか?
ゼロリセットということで、企業の規模や業界問わず、フラットに様々な企業をみました。
そのような中で気づいたのは、「最後は自分がその時抱えている課題に興味が向く」ということです。
「働いたことのない、社会について何も分からない学生が、なぜこのタイミングで職を決めなければいけないんだろう」と、就活に対してある種の理不尽さを感じていました。
同時に、就活で人生が決まってしまうのではなく「セカンドチャンスが当たり前の社会」があってもいいのではないかと考えました。
当時は、転職者は「はみ出し者」や「裏切り者」という風潮もありました。
ただこの先、製造業からサービス業へと産業構造がシフトしていくという話や欧米では転職はキャリアデザインの一般的手段だという就業観に触れ、日本でも転職が広がるのではないかという予感はありました。
2回の就職活動を通して「人の生き方や働き方」に興味が湧いたことから、最終的には「前向きな生き方を多方面から支援できる」総合人材サービス企業にお世話になることにしました。社会の基準で生きてきた自分が、自分の基準で意思決定した大きな転換期でした。
著者情報
新宅 千尋(グロービス経営大学院 大阪校 スタッフ)
神戸大学理学部生物学科卒業、京都大学大学院生命科学研究科修士課程修了。幼少期より「思考や感情の発生」に興味があり、独学で心理学や脳科学を学ぶ。一方、「内なるものの表現」にも関心があり、10年ほどアトリエ教室に通う。学士/修士課程では脳の再生の基礎研究に従事。新卒で大手総合通販会社に入社後、Webマーケティングチームに配属。心理学や行動学の知識とアトリエ教室で培った感性を融合させ、売上や購入率向上に貢献。その後、社内から「人の力」で会社を強くしていく人材教育領域に興味を持つようになり、次世代のビジネスリーダー育成と輩出を目指す、グロービスに転職。グロービス経営大学院のコンテンツメディア企画チームに所属し、自身のキャリアに悩んだ経験から、グロービスキャリアノート制作・運営に携わる。
※本記事の肩書きはすべて取材時のものです。