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都会暮らしのSEから里山ゲストハウスオーナーへ。工忠衣里子が感じる「地方移住」の魅力と可能性

都会暮らしのSEから里山ゲストハウスオーナーへ。工忠衣里子が感じる「地方移住」の魅力と可能性

目次

「やりたいことが分からない」
多くの若手が悩んでいます。
一方で、「キャリアの転換点の8割が、本人の予想しない偶然の出来事によるもの」とも言われています。
では、「やりたいこと」を見つけた人たちは、どのような転換点を経て今の道を見つけたのでしょうか?

今回インタビューしたのは、京都府綾部市にて里山ゲストハウス『クチュール』を運営している工忠衣里子さん。

元々は、大阪市内のオフィス街で働くシステムエンジニア(SE)。
プライベートでつらい出来事が続き、一時はネットワークビジネスに引っかかったりと、メンタル面でかなり不安定になったことも...。
"都会暮らし"から、なぜ地方でゲストハウスを開業することになったのか。
工忠さんの人生を変えた「2つの出会い」とは?
これまでのキャリアと、リモートワークの普及により注目される「地方暮らし」の可能性について話を伺いしました。

<インタビュー・文:新宅千尋>

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(Zoomにて、お話をお伺いしました!)

恋人との別れに実家の株式問題...。不安定な「魔の期間」を経験する

ー工忠さんが今いらっしゃる綾部市はどのような所ですか?

京都北部ですが、皆さんの京都のイメージからはかけ離れているかもしれません。
ザ・里山!」という所です。
限界集落(※過疎化や少子高齢化により、住民の半数以上が65歳以上の集落のこと)も多く存在し、私がいる集落の住民はなんと35人。
3歳の息子がダントツ若く、次に若いのが私です(笑)。

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(工忠さんファミリーとスイスからのゲストさん。ゲストハウスの前で)

集落を流れる小川はとても澄んでいて、息子の川遊びにはぴったり。
人もみんな温かくて、気持ちのいい場所ですよ。
昔はお茶づくりも盛んで、ご存じの方も多いあの「綾鷹」というお茶は、実は綾部に由来があるんです。

ー子育てをするにも良い環境そうですね!工忠さんは綾部に移住する前は、SEをされていたんですよね?

はい、新卒で『ニッセイ情報テクノロジー』という、アプリケーション開発やITコンサルなどを行っている会社に入社し、綾部に移住するまでの8年間はがっつりとSEの仕事をしていました。

ー大学でも情報系の学部を専攻されていたんですか?

いえ、専攻は人文社会学だったんですよ。
でも、同じ学部の先輩で、ちらほらとSEになる人がいたんですよね。
就活をする中でそうした話を聞くうちに、「私も手に職をつけたい」と考えるようになったんです。

入社してからは、理系出身の同期に劣等感を抱いたり、難しい案件に手を焼くこともありましたが、周囲の人間関係に恵まれ、楽しく働いていました。
休日も、先輩や同僚と一緒にマラソンやBBQをしたりと、充実していましたね。

ー順調な社会人生活をスタートしたんですね。

ただ、26歳の時に、メンタル的にかなり不安定になる「魔の期間」に突入するんですよ...。
大学時代からの恋人と別れたり、実家が株式で破産しそうになったり、父が急に肺炎になって救急車で運ばれた日に「今夜が山場です」と言われたり。
なんとか仕事には行っていましたが、精神的なストレスが積み重なり、不眠の状態が続いていました。

今思えば、自分でも危ういなあと思うんですが...
「人生を変えるために、今までと異なる世界に行こう!」と思い、いろいろなコミュニティに片足を突っ込むようになったんですね。
結果、ネットワークビジネスやSNS詐欺に引っかかったり...。
精神的に参っているときは本当にまともな判断が出来ないと身をもって学びました。

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(「属するコミュニティで人生が良いようにも悪いようにもなる」と実感されたそう)

ホストマムと今の夫。2人との出会いにより人生が大きく動き出す

ーメンタル的に不安定な状態からはどのように脱したんですか?

2つの出会いのおかげですね。

1つは、ホストマムとの出会い。
会社から40日間の語学研修でイギリスに派遣されたんですよ。
物理的にネットワークビジネスと離れることができたのも大きいですが(笑)、そのホームステイ先の方の生き方や言葉がすごく印象に残っています。
普段は一人暮らしなのですが、何十年もホストマムの仕事をされている70歳くらいの方で、「私には世界中に家族がいるのよ」とおっしゃっていたんです。
日本でも「6人に1人は独居老人」なんて言われていますが、「家族ではないけど一緒に暮らし、支え合う形を日本で模索できないかな」と漠然と考えるようになりました。

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(人生に大きな影響を与えてくれたホストマムと)

2つ目は、グロービスで今の夫と出会ったこと。
前職の会社は、中堅社員になるとグロービス経営大学院の講座を受けさせてくれるんです。
会社から派遣されて『クリティカル・シンキング』講座を受けたのですが、その後「もうちょっと勉強をしたいな...」と思うようになり、単科生になりました。
そこでクラスメイトとして彼と出会い、タイミングとフィーリングが合ったのか、出会って1ヵ月で付き合うことに。

ただ、お付き合いを始めて1ヵ月後のある日、突然彼の会社が倒産したんです。

ーなんと...!

驚きですよね(笑)。
でも、この倒産こそが私たち夫婦の転機となるんですよ。
彼は倒産のことを「わくわくしてる」と言いながら、私に報告してきたんです。
元々大学には行かず、7年ほどバックパッカーをしながら世界を二周した経験がある人なんですけど、「いつか自然豊かな場所でゲストハウスを開業したい」と考えていたそうで。
しがらみのなくなった今こそ、長年の夢の実現に向けて本格的に動き出すことができる!と思ったようです。

「恋人の会社が倒産するなんてとんでもない!」と思う人もいるかもしれませんが、私もイギリスから帰国後、色々模索する中で、母と一緒にカウチサーフィンというサービスを通じて海外からの旅行者を受け入れていたこともあり、その夢をすんなりと受け入れることができました

それからは、2人でゲストハウス開業に向けて準備を進めていきました。

ー2人とも「倒産」をポジティブに受け取られたからこそですね。逆にこの出来事がなかったら、ゲストハウス開業はもっと先になっていたのでしょうか?

実は、「どうなっていたんだろうね?」という話も夫婦間でたまにします。
夫は海外の秘境やニッチな場所へ日本人を連れていくツアー会社で添乗員をしていたのですが、仕事自体は好きだったので、倒産がなかったら続けていたでしょうね。

私は私でSEを続けていたか転職していたかは分かりませんが、都会暮らしのままだったと思います。
企業で働いているとなかなかゆっくりと考える時間や余裕がありません。「いつかは...」と言いつつそのまま時間が過ぎていったような気がするので、「良いきっかけ」だったと思います。

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(「倒産」というまさかの出来事が2人の背中を押してくれたんですね)

会社員・学生・ゲストハウス開業準備。三足のわらじ生活スタート

ーゲストハウス開業に向けては、どのような取り組みをされたんですか?

まずは、移住先を探しました。
長野、岡山、新潟、富山...いろいろな所を見て回りました。
正直、どこも、人も景色もすごく良くてなかなか決められなかったです。地域を絞って就職活動をした結果、彼が「あやべ温泉」という宿泊施設に内定をいただいたので、移住先を京都府綾部市に決めました。

その後、彼のもう一つの夢だった「キリマンジャロ」にふたりで登って山頂でプロポーズされ、帰国してから入籍。
まずは彼だけ単身で移住しました。

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(プロポーズ直後の2人。キリマンジャロの山頂(5,895m)にて)

綾部は日本海にも近く、真冬は凍えるほど寒い所ですが、彼は家なし&車なしの本当に"身一つの状態"で移住しましたね。
私はまだ会社に属しており、グロービスにも通っていたので、結局2年半ほど大阪と綾部を行き来しながら、ゲストハウス開業の手伝いをしていました。

三足のわらじで、なかなかハードな生活でしたが、やりがいもあって楽しかったですね。
ゲストハウスのリノベーションが完了するまでの間にも「何かできないかな?」ということで、グロービスの友人などに「限界集落の現状」を伝えるスタディツアーを企画したりもしていました。

グロービスの恩師のカッキー先生は毎年、自転車部のメンバーと泊まりに来てくださいます。
綾部周辺はツーリングスポットが多く、ロードバイクを乗られる方には最高の場所なんですよ。
最初はまだゲストハウスの営業許可が下りていない時だったので、みんな雑魚寝でした(笑)。

そして、201510月。
29歳の時ですね。ついに、里山ゲストハウス『クチュール』ができあがり、本格的に営業開始ということで、翌年私も退職し綾部へ移住しました。

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(遊びに来たグロービス自転車部のメンバーたちと)

ー『クチュール』という名前はやっぱり...?

「工忠(くちゅう)」からですね(笑)。
ちょっと恥ずかしいですが、グロービスに通っていた時にクラスメイトから私たち夫婦は「クチュール」と「クチュリーナ」と呼ばれていて。
ゲストハウスの名前も仮で「クチュール」にしていたら定着しちゃったので、「もうそれでいくか」ということになりました。

「オートクチュール」は、フランス語で「高級仕立て」という意味なんですが、ゲストに好きなように滞在してほしいという想いもあったので、ちょうどいいかと(笑)。

ー工忠さんはそれまで大阪市内にお住まいで、いわゆる"都会暮らし"でしたが、移住後に戸惑ったことなどはありませんでしたか?

2年半しっかりと時間をかけて「お試し移住」をして慣れていったおかげで、すんなりと暮らし始めることができましたね。
先に移住していた夫がしっかりと地域に入り込み、住民の方と積極的にコミュニケーションをとりながら、草刈りや消防団の活動など地域のことをやってくれていたおかげもあると思います。

結果論ですが、この「お試し移住」は、本当におすすめです!
地方の暮らしに憧れていきなり移住する人もいますが、理想と現実とのギャップに悩み、後悔することも少なくありません。
移住前にできるだけ通って、「いざ移住するぞ!」という段階で友達がたくさんできている、そんな状態が理想ですね。

ー「お試し移住」いいですね!逆に地方ならではのメリットや気づきはありましたか?

大きく2つの気づきがありした。

1つは、「オープンになった者勝ち」ということ。
例えば都会だと、同じマンションの隣人の顔を知らなかったり、カフェで隣に座った人と「私は誰それで~」なんて話したりしませんよね。
でも、綾部では道端にいる人やカフェで出会った人と、自然と会話が始まって、「物件を探してるんです」とか「パソコン(人並みに)使えます」といった話をしたら、「誰それさんが知ってるかも」「ネットがつながらないから見に来て」とか、話しただけ返ってくるんです。
自分が周囲に対してオープンになることで、どんどんコミュニティが大きくなっていくのを感じました。

もう1つの気づきは、「都会で埋もれる人でも、地方では凄いスキルを持った人になれる」ということ。
例えば、私と夫は英語がそこそこ話せますが、都会だとそんな人はたくさんいますよね。
地方では数名いるかいないかなので、驚くほど頼りにされます!
先ほどの話にもつながりますが、受け取ってばかりでは申し訳ないので、私のスキルや経験が役立ちそうな場面では、積極的にお手伝いをするようにしています。
こちらに来て「恩送り」という言葉がとても好きになりました。

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(今まで意識していなかった「自分の強み」に気づくこともできそうです)

住民やゲストを巻き込みながら、新たな取り組みにチャレンジ

ー移住後は、ゲストハウスの運営に集中されたんですか?

もちろんゲストハウスの運営も行っていたのですが、綾部市役所で嘱託職員(※契約社員の一種)としても働くようになったんです。
移住前に、Facebookでスタディツアーや綾部関連のことを発信していたら、当時の課長が見ていてくださったようで、ある日突然「友達申請」が来て(笑)。
とりあえず承認したら、移住するタイミングでお声がけくださったんです。
入所後は、綾部市定住地域政策課に所属し、地域おこしに関する冊子の編集をしたり、綾部の限界集落のサポートをしました。
市役所で務めたのは2年弱、子どもが生まれるまでの間でしたが、編集やライティングスキルを身につけることができ、とても貴重な機会をいただけたと思っています。

そして、もう一つ。
MATA TABI』という旅行会社を立ち上げ、本格的に綾部市のツアー企画を始めました。
国定公園の森トレッキングツアーや、地元のおばあちゃんと一緒に行う餅つき体験、綾部の間伐材を使って自分で作ったぐい飲みを持って巡る酒造ツアーなど、綾部の自然や人の魅力を感じてもらえるようなツアーを組んでいます。
ちなみに、コロナ流行前は、お客さんの半分は海外の方だったんですよ。

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(グロービスの友人たちと、こんにゃく芋からこんにゃく作り体験)

ー綾部は京都の中心地から少し離れた場所に位置していますが、海外の方はどのようにしてクチュールを見つけるのでしょうか?

AirbnbやBooking.com経由が多いですね。
そういった民泊サイトで地図検索をすると、開業当時は京都府の上の方でぽつんと、うちのゲストハウスが出てきたんです。
「どんな宿泊施設だろう?」と評価を見てみると、「けっこういいぞ!」となるんですね。
ありがたいことに、これをきっかけに綾部を訪れてくれる方も多くいらっしゃいます。

私たちの特徴なのですが、ゲストさんがいらっしゃる前にメールでたくさんコミュニケーションをとるようにしています。
やりとりの中で、「差し支えなければ今回いらっしゃる目的を教えてください。」と聞き、もし移住だったら移住関連のツアー、自然を楽しむのであればトレッキングのツアーや川遊びなど、相手に合わせながらご提案しています。

ー「オープンになった者勝ち」とおっしゃられていましたが、ゲストさんとのコミュニケーションでも通ずるものがありそうですね。

そうですね、よく「交換」を意識しています。
私たちはゲストさんとも、スキルや知識など、自分たちが何をもっているか情報を出し合って、もし相手に提供できるものがあれば交換し合う。
そうすることでお互いが幸せになれるような関係がいいなと思っています。

そう思うようになったのにはきっかけがあるんです。
32歳の時に息子が生まれたんですが、あるとき夫の提案で「外国からのゲストさんが絵本を持ってきて、息子に読み聞かせしてくれたら夕食無料」というキャンペーンを実施してみたんです。
すると、これがなかなか好評で。
フランス語、オランダ語、フィンランド語、中国語...日本では簡単に買えないような絵本が集まりました。
長期で旅行をされている方だとできるだけ出費をおさえたいので喜ばれますし、私たちも読み聞かせを聴くのがとっても楽しいんです!
「こういった交渉の仕方もあるんだなあ」と学びました。

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(フィンランドから来たゲストさん。1ヵ月滞在の間に息子さんともすっかり仲良しに)

他にも、宿泊費を割り引く代わりに、芸術家の方だったら離れの壁に絵を描いてもらったり、フランス料理のシェフの方だったら「ふわふわオムライス」の作り方を教わったり。
ゲストさんを巻き込みながらゲストハウスの運営を楽しんでいます。

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(ベーグル屋を営んでいたゲストさんと一緒にベーグル作り)

これまでの経験とスキルを活かし、夫婦で「複業」を実践

ー2020年は新型コロナウイルスが流行し、旅行業界は打撃を受けました。『クチュール』も例外ではないですよね...?

国内外から来られる予定の方、全部キャンセルになりました。
でも、「これはこれで良かったのかも」と思う面もいくつかあって。
ゲストハウスの開業を決めてからずっと走り続けてきたので、初めて家族水いらずでゆっくりできたんですね。
今できることをやろう」と、新しく農業を始めたり、雨水タンクや太陽光発電を取り入れたりと、持続可能な暮らしへシフトする準備を整えていきました。
夫はこの機会に狩猟免許も取得したんですよ。
ゆくゆくは食育ツアーなんかもしたいですね。
食べ物に対する価値観が変わり、何度も「いただきます」と「ごちそうさま」をするようになりました。
現在、捕獲した動物の加工場づくりも検討しているところです。

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(移住者の友人と罠猟で鹿を捕獲)

私は私で、息子が2歳になり子育てが少し落ち着いてきたタイミングだったので、篠山イノベーターズスクール(農村での起業・継業に特化したローカルビジネススクール)で講師をしたりしていました。
また、友人が立ち上げた『team.m』という団体で、子育て中のママたちのチームを組織し、SEの経験を活かしながらリモートで仕事を行っていました。

コロナの流行により、ゲストハウスやツアー業は滞りましたが、「仕事はどんな状況でも作っていくことができるんだな」と実感しました。

ーコロナ自粛中の時間を有効に活用していったんですね。まだコロナ禍は続きそうですが(※インタビュー時:2021年10月)、今はどのような取り組みをされているんですか?

これまでの経験を活かして、夫婦で5~10万円の収入を複数作る「複業」という生き方を実践しています。
元々意識して取り組んでいたわけではなく、「お声がけいただいた仕事を断らない」スタンスを続けていたら、自然とそうなった感じですね。
移住・旅行業関係の講演、綾部の魅力を発信するライティング業、通訳案内士などを行っています。
複数の収入源があるのはリスクヘッジにもなりますし、田舎暮らしにはフィットした働き方だと思います。

また、新しくシェアハウス開業の準備も進めています。
地域の連合会長から「隣の家が空いているから使わない?」と声をかけられたのがきっかけですね。
大阪の工務店にお勤めの元ゲストさんにお手伝いいただきながら、建物の改修をしているところです。

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(友人たちも一緒にリノベーション。「お手伝い大歓迎です!」とのこと)

―最後に、やりたいことが分からず、自身のキャリアに悩む若手にメッセージをいただけますか?

「やりたいこと」って別になくてもいいと思いますよ、最初は。
でも、「面白いこと」はたくさんありますよね。
自分が面白いと思う人やモノに出会いに行く。
そうすることで、だんだんと自分事になっていくんですよね。

「やりたいこと」を全力で楽しみながらやっている人を見つけてくっついていく、というのも1つの手だと思います。
元々ゲストハウス経営は夫の夢でしたが、私も一緒に手伝っていく中で私自身の夢となり、「やりたいことをやっている人の隣にいることで、それがやがて自分のやりたいことになる」ことを実感しました。

あと、やっぱり地方はめちゃくちゃ面白いですよ(笑)。
都会で生活をしていた時は「消費」しかしてこなかったのですが、綾部に来てからは自分たちでできることが本当に多くて、日々「生産」しながら生きていると感じています。
そのような中で、仕事につながることもたくさんありますし、地方は可能性が無限大だと思っています。

少しでも興味があるものを見つけたら、ぜひ動き出してみてください。
人と会う」って大事ですよ。
私たちは、ゲストハウス開業に向けて、多くの先輩移住者やゲストハウスさんを訪ね、お話を伺っていく中で、どんどん「こんな宿にしたい」「こんな生き方をしたい」がイメージアップされていきました。
その経験をもとに今、「天職観光」という様々な生き方をしている人を巡るツアーも企画しています。
好きなことをして生きている人は、みんなイキイキとしています。
ご興味のある方は、ぜひ気軽に綾部に遊びに来てくださいね。

―工忠さん、ありがとうございました!

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著者情報

新宅 千尋(グロービス経営大学院 大阪校 スタッフ)

新宅 千尋(グロービス経営大学院 大阪校 スタッフ)

神戸大学理学部生物学科卒業、京都大学大学院生命科学研究科修士課程修了。幼少期より「思考や感情の発生」に興味があり、独学で心理学や脳科学を学ぶ。一方、「内なるものの表現」にも関心があり、10年ほどアトリエ教室に通う。学士/修士課程では脳の再生の基礎研究に従事。新卒で大手総合通販会社に入社後、Webマーケティングチームに配属。心理学や行動学の知識とアトリエ教室で培った感性を融合させ、売上や購入率向上に貢献。その後、社内から「人の力」で会社を強くしていく人材教育領域に興味を持つようになり、次世代のビジネスリーダー育成と輩出を目指す、グロービスに転職。グロービス経営大学院のコンテンツメディア企画チームに所属し、自身のキャリアに悩んだ経験から、グロービスキャリアノート制作・運営に携わる。

※本記事の肩書きはすべて取材時のものです。

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