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「やりたいことが分からない」
多くの若手が悩んでいます。
一方で、「キャリアの転換点の8割が、本人の予想しない偶然の出来事によるもの」とも言われています。
では、「やりたいこと」を見つけた人たちは、どのような転換点を経て今の道を見つけたのでしょうか?
今回インタビューしたのは、地元・熊本県山都町にて『BLANCO ICE CREAM』の代表を務める吉山龍弥さん。
医療系の大学を卒業後、作業療法士として『社会福祉法人 夢のみずうみ村』に就職。
そこで、吉山さんの人生に大きな影響を与えた恩師・藤原さんと出会います。
現在は作業療法士だけでなく、『BLANCO ICE CREAM』の経営者でもある吉山さん。
福祉の道を歩み、地元でアイスクリーム事業を展開したきっかけとは...?
<聞き手・文:池田桃香>
(Zoomでお話を伺いました!)
思いもよらなかった医療分野への進学
―「14歳の頃に大きな出来事があった」と伺っておりますが...。
そうですね、その後の人生にも影響を与えた出来事だったと思います。
僕はおじいちゃん子、おばあちゃん子だったんですけど、大好きな二人が熟年離婚をしてしまいまして...。
当時まだ子どもで詳しいことは理解していなかったのですが、どうやらお金のことで揉めているということは分かりました。
そこから「借金ってこわいな」「将来はお金に困らないくらい稼ぎたいな」と思うようになったんです。
―大変な子ども時代を経験されていますね。その後はどんな進路へ?
当時はモノづくりに興味を持っていました。
いろいろ調べる中で、インダストリアルデザイナーという仕事を初めて知ったんです。
そこで将来はモノづくりに関わる仕事をしようと思い、建築系の大学を受験しました。
しかし、受験に失敗し、滑り止めで受けていた医療系の大学に進むことになったんです。
思いもよらない分野への進学となりましたが、特別な思い入れや興味などもなく...。
しかも、自分が想像していた以上に勉強に追われる日々を過ごすことになり...(笑)
思い描いていた大学生活より、かなり大変だったと思います。
―想像以上に大変な大学生活の中で、モチベーションになっていたことはありましたか?
実習での患者さんとの関わりが、一番のモチベーションになっていました。
「作業療法士ってこんなにも必要とされる仕事なんだ」と実感し、そこからこの仕事に興味を持つようになりました。
もともと僕はおじいちゃん子、おばあちゃん子だったので、患者さんから頼られるのは嬉しかったです。
実習が終わったときには、みなさん涙を流しながら別れを惜しんでくれました。
施設にいる患者さんは普段若い人と関わる機会が少ないので、僕のことを本当の孫みたいに接してくださる人もいましたね。
「僕みたいな若者が、自分より歳も経験も重ねてきた人たちにできることがあるんだ」と気付くきっかけでもありました。
(想定外の進路に戸惑いつつも、患者さんとの関わりが福祉の道を歩むきっかけに)
恩師との出会いが、価値観を大きく変えた
―作業療法士の道を歩むきっかけだったんですね。その後は?
大学卒業後は、『社会福祉法人 夢のみずうみ村』に就職しました。
代表の藤原さんを含めたスタッフ全員が、利用者さんファーストを大切にしていましたね。
基本的に「利用者さんのためになるなら、経営は二の次」っていう考えだったので、よい福祉サービスを提供すればするほど、経営が悪化していくという状況に...。
この施設に限った話ではなくて、福祉業界全体がそういう仕組みなんですよね。
そうした業界の現状を目の当たりにして、あらためて「福祉サービスの質と経営、どちらも両立することはできないのだろうか?」と考えるきっかけになりました。
(ユニークな取り組みが支持され、メディアでも多数取り上げられている施設なのだとか)
―代表の藤原さんは、吉山さんにとっての恩師と伺っていますが?
そうですね、同じ作業療法士として藤原さんから受けた影響は大きいです。
入社して初めて藤原さんと話したとき、「作業療法士は、作業療法を捨てるところから始めないとダメだ」って言われたんです。
当時は何を言っているのか、さっぱり分かりませんでした。
それから少し後になって、「作業療法士は社会に出ないといけない。病院や施設でリハビリを行うだけではなく、広い社会に出ていろんなことを経験するのが大切だ。やることなすこと全てが作業療法につながっていく。だからこそ、自分が持っている作業療法の概念を捨てなきゃいけない」とも言われたんですね。
狭い世界の中で作業療法士としての専門性を極めるのではなく、もっと広い視野を持って福祉や経営、社会のことについて考えたいと思ったきっかけでした。
―吉山さんの中で、福祉に対する価値観が変わった言葉だったのですね。
実はもうひとつ、大きな衝撃を受けた言葉があります。
「龍弥はなんで福祉の仕事をしているの?俺は、目の前の困っている人を助けるためにこの仕事をしているわけではない。誰かのためではなく、自分のためにやっている。自分が目の前の方のために走り回ることで、誰かの役に立つことで、生きていてよかったなあと思いたい」という言葉です。
利益度外視で利用者さんのために走り回っていた藤原さんから出た言葉とは思えませんでしたね。
当時、福祉の仕事は利他的精神で行ってこそ、やりがいが得られると思っていました。
そんな僕にとってあまりにも衝撃的な言葉でしたが、同時に「こういう考え方があってもいいんだ」と気付くきっかけにもなりました。
改めて、福祉という世界の中だけでなく、視点を変えて自分の仕事を捉えようと感じた出来事でしたね。
(恩師・藤原さんとの出会いが、吉山さんの価値観を大きく変えたそう)
壁にぶつかり、業界に対する問題意識が生まれた
―そのほかにも印象に残っているエピソードはありますか?
入社した翌年に、施設経営の状況が急激に悪化しました。
赤字で、スタッフに賞与も支給できない。
オンライン会議で、代表の藤原さんが涙を流してスタッフに頭を下げている。
当時はそんな様子を見て、ただただ不甲斐ない気持ちでいっぱいでした。
よい福祉サービスを提供すればするほど、施設の経営状況が苦しくなる。
そんな福祉の制度や仕組みそのものに疑問を持つように。
この経験から「公費に依存せず、経済的に強い福祉の仕組みを作りたい」と考えるようになりました。
―大変な状況を経て、業界に対する問題意識が生まれたのですね。
もちろん大変なことばかりだけでなく、いろいろなことを経験させてもらいました。
例えば、入社して間もない頃に、新規事業の立ち上げに参画しました。
これまでは小学生以上のデイサービスはありましたが、未就学児の発達支援はなくて...。
そこで新規事業を立ち上げることになり、やってみたいと手を挙げたんです。
いざ始めてみると、事業を作っていくことの難しさを痛感しました。
思うように進まず試行錯誤する日々でしたが、それ以上に充実感はありましたね。
その後、新潟に児童発達専門のクリニックを立ち上げることになって、僕も行くことに。
当時は「子育ての経験もない若者が、知らない土地でうまくやっていけるのか?」と不安でした。
しかし、そこで出会った親御さんは、藁をもすがる思いで僕たちを頼ってくれたんです。
「この人たちの力になりたい」という使命感に動かされ、親御さんと一緒に頭を悩ませる日々。
お子さんが階段を1段のぼれるようになったという成長を、一緒になって喜び合うこともありました。
(さまざまな経験を積み重ねるたびに、新たな課題に直面するように)
―利用者さんと二人三脚で、お子さんたちと向き合っていたのですね。
利用者さんに寄り添う福祉の良い面、悪い面どちらも経験した時期だったと思います。
発達障害を持つお子さんの親御さんたちと交流する中で、「子どもが高校を卒業した後、この子が働ける場所ってあるんですか?」という不安な声をたくさん聞きました。
その言葉に僕は、何も返せなかったんですね...。
これまで作業療法士として、発達障害のリハビリに関して頑張ってきたことは確かです。
しかし、「子どもたちが社会に出ていく上では、自分は何も役に立てないのではないか」と感じました。
将来的には、この子たちが働ける場所を社会に作っていきたいと強く思うように。
これをきっかけに、「ゆくゆくは経営の知識が必要なんじゃないか」「どのようにそういった職場を作るのか」を考え始めました。
社会性と経済性、どちらも求める福祉の在り方
―経営の道を考え始めるきっかけでもあったわけですね。
そうですね。
実は僕の人生に影響を与えた藤原さんが、もうひとりいて...(笑)
YouTubeのおすすめに流れてきたGLOBIS 学び放題×知見録の動画で、藤原和博さんを知りました。
動画の中で印象的だったのは、強みとなる軸を2つ持ち、かけ算で考えようというお話。
それを聞いて「福祉という軸だけでなく、経営という2つ目の軸を極めてもいいんだ」と。
その動画を観たことがきっかけとなり、グロービス経営大学院に入学することになりました。
―実際にグロービス経営大学院に入学してみて、どうでしたか?
いろいろな分野で活躍している学生が集まっていて、刺激的でしたね。
「福祉×○○」と新しいことに挑戦してみたいと思っていた僕にとって、貴重な出会いもたくさんありました。
みんな結構すごい肩書きを持っているんですけど、フラットに接してくれて。
よい意味で、グロービスに対する敷居が下がりましたね。
グロービスの授業を通じて、「ソーシャルビジネス」「ソーシャルインパクト」という考え方、それらを支える「社会投資家」の存在を初めて知りました。
まさに自分が実現したいと思っていた、社会性と経済性どちらも求めるビジネスの考え方。
「こういう考え方が世の中にはあるんだ」「社会性だけでなく、経済性も求めていいんだ」と自分の中のモヤモヤが晴れていくような気持ちでした。
(グロービスの卒業式にて)
学生や教員の価値観に触れることで、自分の視野が広がったと思います。ちょうどグロービスに入学した同じころに、LITALICOへ転職をしました。
これまでは利用者さんファーストな施設で学んできたので、今度はソーシャルビジネスで成功している会社で学びたいなと。
障がい者向けの就労支援に精通しており、業界では誰もが知っているようなLITALICOなら、これまでとは違った観点で考えを深められるのではないかと思いました。
―実際に入社してみて、どうでしたか?
会社としての規模が大きい分、社会に対するインパクトが大きいなと実感しました。
事業をスケールするときは、いかに再現性を高め、質の高いサービスを提供できるかが肝になってきます。
どうやってオペレーションでカバーするのか、やることとやらないことの線引きはどこにするのか。
そういったノウハウに、LITALICOが成長した理由が詰まっているんだなと感じました。
一方で、物足りなさも感じていました。
利用者さんファーストな施設で長く働いてきたからこそ、「もっと目の前の利用者さんと深く関わりたい」と思うように。
そういったことは規模が大きな会社ではなかなか難しいのかもしれないというのも、ひとつの気付きでした。
LITALICOでの在籍期間は短かったんですけど、学びは多かったですね。
利用者さんファーストを優先した結果、経営状況が悪化した前職。
それに対して、経営をうまくコントロールしながら、福祉業界において成長を続けるLITALICO。
改めて、自分が思い描く理想と現実のギャップを知る機会になりました。
地元・山都町の未来に向けて、起業を決意
―LITALICOを経て、起業の道へ?
もともと面接時には「3年くらいしたら起業したいです」と伝えていました。
その頃には、事業の構想もある程度思い描いていて、あとはどこでやるかだけでした。
地元である熊本県・山都町でやろうと決めたのは、この地域には課題がたくさんあるなと思ったからなんです。
(九州のほぼ真ん中"九州のへそ"に位置し、山々が連なる自然豊かな町です)
山都町は人口がかなり減少しており、過疎化が深刻な問題になっています。
加えて、高齢化率もかなり高く、人口グラフを見ているとゾッとします。
生産年齢人口や出生率も減っていますが、2030年をピークに高齢者まで減少する見込みです。
「このままでは山都町がなくなるのではないか」と思い、ここでビジネスを始めることにしました。
障がいがあっても稼ぐことができる、高齢になっても社会との接点を持ちいきいきと働ける。
そんな職場を作りたいという想いで立ち上げたのが、『BLANCO ICE CREAM』です。
現状、障がい者の方が働ける場所は、都会でも限られていると思います。
そして任されるのは単純作業や清掃など、限定的な仕事がほとんど。
山都町のような田舎になると、障がい者の方が働ける場所はもっと少なくなります。
そこで、地元の名産品を使ったアイスクリーム事業を立ち上げようと考えたんです。
(阿蘇でのびのびと育てられた乳牛から取れた牛乳や、山都町の特産品が使われています)
また、山都町は高齢者の方も多く、中には時間に余裕のある方もいます。
その人たちの健康寿命の延伸や介護予防も兼ねて、活躍できる場を作っていきたいんです。
―アイスクリーム事業とは別で、現在も作業療法士として活動されていますか?
そうですね、今は経営者と作業療法士、ふたつの仕事をしている状態です。
地元で起業してよかったなと思うのは、親や知り合いが近くにいるのでサポートしてくれるところですね(笑)。
今後も経営者として成長したいですし、自分のライフワークとして作業療法士の仕事も継続し、活躍していきたいと思っています。
あ、でも...作業療法士という職業と経営者という職業を線引きしているこの考え方はいけませんね!
「君が社会のためにやることなすこと全てが作業療法なんだぞ!」っていう恩師の喝が、空から飛んできそうです(笑)
世の中にあるさまざまな課題は、「経営×〇〇」で解決できると思います。
今はまだカギとなる「〇〇」がどこにあるか分からないからこそ、広い視野でさまざまな方向に足を踏み入れておく必要があると感じているんです。
必死で走っていると、いつかきっと結びつく日が来ると信じています。
そして事業が本格的に走り出し、起業前には見えなかった新たな課題も出てきています。
将来的には障がい者・高齢者雇用を促進していきたいのですが、僕たちが手掛けるクラフトアイスは作るのが結構難しいんです。
誰でも同じように作れる仕組みを考えるなど、「再現性」が今後の課題だと思います。
そして山都町全体で見たときに、「移動」も深刻な課題となっています。バスや電車の本数が少なく、山奥で高齢者の方がどう移動するのか。
ここは役場の方と協力しながら、事業として具体化していこうと考えています。
また、障がい者雇用について考える中で、「マジョリティとマイノリティの壁を作っているのは、僕たち支援者なのではないか」と思うように。
多数派である健常者に合わせるための仕組みを作ることは、僕たちの勝手な考えではないのか?
障がい者の方を無理に多数派の中に組み込むことが、果たして本当に幸せなのか?
これに対する明確な答えは、まだ分かりません。
多数派の社会に無理に合わせようとせず、ハンディキャップがあることをあえて謳うことで商品を買ってもらう手法も、それはそれでメリットがたくさんあると思います。
しかし、現時点では「障がい者が作っています」と謳わなくても、世界に通用する商品を作っていくという選択をしてビジネスをしています。
よい商品、よいビジネスを通して、マジョリティとマイノリティの壁を取っ払えるような社会にしていきたいですね。
また、起業だけでなく、プライベートでも自分の考えが変わる出来事がありました。
結婚し、子を持つ親になったことで、「子どもたちが大人になったとき、もっとよい日本・よい山都町であってほしい」と強く思うように。
さまざまな課題を抱えている山都町だからこそ、子どもたちに重たい現実を背負わせたくないなと。
(山都町の甘いイチゴを使ったストロベリークリームチーズも、人気フレーバーのひとつ)
―お子さんへの想いが、地域への取り組みにつながっているのですね。
まさにそうですね。
僕たちがこの事業を通じて目指す最終的な目標は、山都町の未来を少しでも良い方向に変えることです。
山都町は、もしかしたら30年後にはなくなっているかもしれない。
だからこそ、町の変わりゆく風景と真剣に対話しながら、 この土地に合ったペースで事業を少しづつ大きくさせることが重要だと感じています。
時間はかかっても、地元の方とともに歩み、成長していく姿勢を大切にしたいです。
―最後に、やりたいことが分からず、キャリアに悩む方にメッセージをお願いします。
やりたいことが明確にある人って、少ないと思います。
目の前のことを一生懸命やっているうちに、「次こうやりたい」っていうのがきっと出てきます。
そしたら次はそれをやってみて、もっとやりたいことが出てくる...っていう感じに人間はなっているんじゃないかなと。
これは藤原さんにいただいた言葉で、「することがあると、それがするべきことになって、いつの間にかやりたいことになっていく」って本当にそうだなと思います。
とりあえず目の前のことを「一番になる!」という勢いで取り組んでいたら、見えてくるものがあるはずです。
―吉山さん、ありがとうございました!
著者情報
池田 桃香(グロービス経営大学院 大阪校 スタッフ)
愛知県立大学外国語学部卒業。大手人材会社に入社し、コピーライターとして求人広告の制作を担当。多くの企業の採用支援に関わる中で、社会人教育に興味を持つようになり、株式会社グロービスに入社。現在はグロービス経営大学院のコンテンツメディア企画チームに所属し、コンテンツや広告の制作などに従事している。
※本記事の肩書きはすべて取材時のものです。