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「苦難は人生を彩るスパイス」本格ハムソーセージ専⾨店オーナー・井上大輔が語る波乱万丈なキャリア

「苦難は人生を彩るスパイス」本格ハムソーセージ専⾨店オーナー・井上大輔が語る波乱万丈なキャリア

目次

「やりたいことが分からない」
多くの若手が悩んでいます。
一方で、「キャリアの転換点の8割が、本人の予想しない偶然の出来事によるもの」とも言われています。
では、「やりたいこと」を見つけた人たちは、どのような転換点を経て今の道を見つけたのでしょうか?

今回インタビューしたのは、世界コンクールで金賞を受賞した名職人が作る、本格ハムソーセージ専門店『メツゲライ・イノウエ』を運営する、井上大輔さん。

営業の仕事をしながら副業で始めたお店を、どのようにして軌道に載せていったのか。
また、不当解雇や二度の離婚など、"人生のどん底"からどのように這い上がったのか。
「人生はRPGだ!」と豪語する井上さんの波乱万丈なキャリアについてお伺いしました。

<聞き手・文:新宅千尋>

inouesan1.jpg(Zoomにてお伺いしました!)

「外の世界を見よう」営業日本一になるものの入社3年目で退職

ー『メツゲライ・イノウエ』のサイトを拝見しました。お肉が大好きなのでたまらなかったです。

ありがとうございます!
メツゲライ・イノウエは世界トップクラスの技術を持つ、全国から選抜した職⼈に製造⾯を完全外部委託した、恐らく国内唯⼀のセレクト型本格ドイツ製法ハムソーセージ専⾨店です。
食のご提案で食卓を豊かにする」を信条の一つに掲げ、安心・安全・めちゃくちゃ美味しいに「職人さんの人柄の良さ」を選抜ポイントに加え、美味しいワクワクドキドキをお届けしています。

覚王山の熱々ベーコンとECサイト.PNG(左:できたて熱々の覚王山ベーコン 右:見ているだけでヨダレが出てくる商品ラインナップページ)

ー井上さんは新卒でサントリーに入社されたんですよね。入社の経緯は?

「入社したい!」と強く思うようになった最初のきっかけは、「遅刻」です。
一次面接で時間を間違えて、大遅刻しちゃったんですよ。
ダメかなと思ったんですが、受けさせてもらえて。
さらに、面接官の方に謝られたんです。
「最初に君の面接をする予定だったけど、最後に回してごめん」って。
なんじゃこの会社、めちゃくちゃ器がでかいぞ~!と思って。

元々は広告業界に進みたかったんですが、サントリーの面接を受けて行く中で、「もしかしたら自分に合っている会社なのかな」と思い始め、いつのまにか第一志望となり、ありがたいことに内定をいただけて入社しました。

ーまさかの遅刻がきっかけとは(笑)。入社後はどのような仕事をされていたんですか?

花形といわれる営業部に配属されたつもりだったのですが、最初の研修で先輩に「みなさん、ご愁傷様です」と言われたんです。
「どうゆうこと!??」と思ったら、本当にその通りで。
たまたま配属されたのが営業成績で日本一の支店で、めちゃくちゃ厳しい支店長のいる所だったんですね。
求められる成果も厳しく、初っ端から鍛えられました。

そのような中、新規開拓に特化した部署に配属され、新しい上司に「入社1年目で日本一になる社員もいるよ。」と言われたんです。
青臭い人間だったので、その言葉を信じて一生懸命取り組みました。
そうしたら、本当に入社1年目のセールスコンペで、個人・部署の両方で日本一を獲得することができました。

ーすごいですね!どのようにして1位を取ったんですか?

大きく2つの策が上手くいったのかなと思います。

1つ目は、とにかく「多動」だったこと。
営業って顧客と接点を持ったもん勝ちな所があるんですよ。
基本的には、酒屋や飲食店へのルートセールスになるので、日本で一番お客さんに会うことを目標に、いかに効率よく回れるかを考えました。

2つ目は、「これまで暗黙の了解だった常識を変える」。
飲食店って、営業時間内に訪問すると「邪魔だ!」とドヤされるんですよ(笑)。
具体的な方法は伏せますが、ドヤされることなく、こちらの話に進んで耳を傾けてくれる関係性を作っていきました。

ー策が功をなして、順調な滑り出しだったんですね。

そうですね。
日本一獲得後は、周囲の目も変わり、積極的に意見を聞いてくれたりと、ぐっと仕事がしやすくなりました。
ただね、1つ愚痴をこぼすと、報酬がディズニーランドチケット一組だったんですよね...(笑)。

仕事に対する価値観にも、ちょっとずつ変化が出てきました。
ようは、「経営」や「起業」にゆるく興味を持ち始めたんです。
「入社したら一生安泰」と言っているエリートよりも、学歴はないけど、自分の力だけで街場周辺やメディアを賑わす飲食店のオーナーの方が、断然かっこいいと思うようになったんですよね。
さらに、同期の中の大企業の子息や子女と仲良くなり、話す機会が増えたんです。
彼らは将来事業を継ぐことを見据えながら、日々の仕事や勉強をしているんですね。
例えば、リゾート開発やオフィスコーヒー事業などの運営会社の子息の家に遊びに行った時に、部屋に宅建の本があったんです。
「これなんなん?」と尋ねたら、「いや、うち不動産が大きくなってきてるから、不動産の知識も今から入れていかないと」って言われて。
入社1~2年目で、僕なんてまだ仕事に追われて本を読む時間なんて全然とれていなかった時ですよ。
「ええ~!!」と衝撃を受けて。
外の世界をもっと見ないといけない、と思い始めました。

ー価値観の変化は、仕事やキャリアへも影響がありましたか?

25歳の時にサントリーを退職しました。
「もっと勉強する時間がほしい」という気持ちが高まったからです。
勉強時間をしっかりと確保するため、母校である学校法人同志社に事務職員として転職しました。

ーワークライフバランスを重視した転職だったんですね。

完全にそうですね。
プライベートの時間は創業塾に通ったりと、ほとんど勉強に費やしていました。
ただ、仕事の方が全然楽しくなくて(笑)。
これまでのスキルや経験を活かすことができない状態が苦痛になり、1年で退職をしました。

inouesan2.jpg
(仕事は一日の大半を占めるものですからね...)

ー次の方向性は決まっていたんですか?

ペルノ・リカール・ジャパンという、フランスに本社がある酒類専門商社の日本法人に入社しました。
退職前に、たまたまサントリー時代の上司が声をかけてくれたんです。
「またこの人の下で学べるなら」と思ったのと、その方の「独立するなら東京のマーケットは知っておけ」という言葉が響いたんですよね。
でもね、入社して早々、その元上司は退職しちゃったんです(笑)。

一緒に働けることが大きな入社理由だったので、翌々年には僕も退職しました。
28歳、3度目の転職ですね。
当時、海外MBAに興味が出てきて、MBA予備校に通っていたんですよ。
そこに出入りしているヘッドハンターの方に声をかけられて、米系ヘッドハンティングベンチャー企業に入社しました。
人材コンサルタントをしていたのですが、めちゃくちゃ楽しかったですね。

一般的な人材紹介会社と流れがまったく異なっていて、いきなり経営者にアプローチするんですよ。
「あなたの会社は、将来的にこのような人材が必要ですよね」と。
まさにそうだ!となるので、着手金をいただき適した人材を探してきて、採用が決まったらマージンをいただく、簡単にいえばそういった仕事です。
将来的に起業を意識していたので、経営者の方と直接お話ができる機会が豊富にあるのは、とても刺激的でした。

不当解雇に労働審判、スピード離婚。人生のどん底を経験する

ー人材コンサルタントの仕事は、井上さんに合ってたんですね。

ただ、ここから人生で一番どん底の状態になるんです。
インタビューを受けるうえでいろいろと思い返していたんですが、この時期は本当にショックな出来事が立て続けに起こり、記憶があいまいになっています。
気付いたらマンションのベランダから下をのぞいている。
そういったこともありました。

ー一体、何が起こったんですか...?

事の発端は、2008年のリーマンショックですね。
いわゆるアウトソース先の会社だったので、不景気になるとクライアント側から真っ先に切られる対象でした。
景気が悪いときに採用はしないでしょ?
とくに金融系のクライアントからの売上ががくっと落ちて、会社自体の経営が怪しくなってきて。
一方で、僕が担当していた通信業界はいわばライフラインなので、景気に左右されることなく成績も絶好調だったこともあり、おそらく目をつけられたんですよね。

いつものように仕事をしていたら、突然自宅待機を命じられたんです。
「どういうことですか?」と聞いていたら、そのまま不当解雇にされて、損害賠償請求が送られてきました
会社はまともに取り合ってくれないし、給与もインセンティブも指し止め。
まったく意味が分かりませんでした。
生活はしていかないといけないのでハローワークに行ったら、「自己都合で退職されているので失業保険は出ません」と。
出勤日の何日も前に、自己都合で退職したことにされていたんです。

ーなぜ突然そのようなことに...?

「会社がお金を借りているな」というのは、なんとなく分かってたんです。
会社がいよいよ立ち回らなくなって、「こいつを悪者にして切っちゃおう」という発想になったんでしょうね。

それからは、散々ですよ。
10年付き合っていた彼女からは振られる。
友人には「裁判沙汰なんて、お前が悪いんじゃない?」と言われ、いっせいに距離を置かれる。
親には心配させたくないから絶対に言えない。
会社ともめている状態なので、転職活動もできない。
健康体なのに働けない自分が情けない。

どうして良いか分からず、布団を被ったままの寝たきりの生活が始まりました。

ーつらい出来事が立て続けに起こったんですね。

自分の残りの運を誰かに使ってやってくれ、殺してくれ。
そう願う日々ですよ。
「何か自分が悪いことをしたのではないか?」と訳が分からなくなる。
1年に満たない期間でしたが、まさに地獄でした。

inouesan3.jpg(想像を絶する日々です)

ーどのようにして寝たきりの状態から脱したんですか?

貯金額を見て、「来月の家賃支払われへん」って気付いたんです。
そうしたら、ガバッと布団から出ることができました。
根が真面目なんでしょうね。

ホテルの配膳のバイトをはじめ、当時30歳だったんですが、18歳くらいの金髪の女の子の先輩に「ちんたらおせーんだよ!!」と怒られながら必死で働きました(笑)。
超肉体労働でしたが、勤労の大切さと喜びを骨身にしみて感じることができました。
お金をもらえて、ご飯も食べられて、健康体で働ける。
本当にありがたいことだと思いました。

そして、半年ほどバイト生活を送った後、前々職のペルノ・リカール・ジャパンの役員から「何もしていないなら戻ってこないか?」と声をかけられ、出戻りました。

ー無事に社会復帰できたんですね。本当に良かったです!

仕事ができる安心感はすごいですね。
ただ翌年、天国とまた地獄を味わんです(笑)。
ようやく人を信じてもいいかな」と思い始めた頃に、関西の体育会出身者のつながりで知り合った人と結婚をしたんです。
当時は、結婚を前提としてない人とは付き合う気がなかったので、トントン拍子で話が進んで、いわゆる「スピード結婚」だったんですね。
幸せをかみしめていたら、式をして2週間後に「別れたい」と言われて。
(指定されていた)婚約指輪だけでも百万円以上と、すごくお金も使わされていたので結婚詐欺かと思い、また裁判ですよ。
離婚調停を経た後、スピード離婚をしました。
心に強いストレスをうけたせいか、もうここから半年間はまったく笑えませんでしたね。

ー裁判多いですね。ドラマではないですよね?神様、井上さんに対して当たりが強すぎませんか?

ノンフィクションですよ、これはドキュメンタリーです(笑)。
僕はこれからの後半の人生、めちゃくちゃハッピーになると思ってるんですよ。
きっと神様は、生きてから死ぬまでの一人の人間の幸福度のプラスマイナスの値を、全部同じに仕上げる。
なので、「こんなに徳積んでるのに、ええこと起こさせんわけないですよね?」と思ってます。

inouesan4.jpg
(非常に濃い内容ですが、まだ31歳の時までのお話です)

きっかけは突然。「運命のミートローフ」に出会う

ーお仕事の方はいかがでした?

出戻りだったので、「勝手知ったる」という感じで再スタートを切ることができました。
そして、33歳の時にですね。
メツゲライ・イノウエの前身となる、本格ハムソーセージ専門店を副業として始めました
きっかけは、本当に突然です。

本業の方で、「ベンツのオーナー向けのイベント用に、シャンパンをにぎやかしで持ってきて」と依頼があったんですよ。
当日、頼まれた商品を持ってイベント会場に行ったら、同じように呼ばれていたハムソーセージ職人の方がいて。
フリーの時間に食べさせてもらったら、めちゃくちゃおいしかったんです。
今までこんなの食べたことないぞ!」と感動しました。
よくよく聞いたら、世界で銀賞を受賞してるんですよ。
ただ、パッケージをみると「ちょっとださいぞ」という感じで(笑)。
その場で「新しくブランドを作るので、ぜひこちらの商品を売らせてもらえませんか?」とお願いをしました。

全ての始まりはこの黒豚ミートローフでした.jpg(すべての始まりは、この黒豚ミートローフでした)

ー決断と行動が早いですね!

好奇心からの初動が早いのは、もう性格ですね。
自分で商売を始めるためにちょうど商材を探していた、というのもありました。
その職人さんにつないでもらい、すぐに静岡にいる社長のもとへ会いに行きました。
「そんなこと言われたのは初めてだけど、まあ売上が上がるのならやってみて」と。
それが、メツゲライ・イノウエの始まりでした。

メツゲライイノウエ公式サイト.jpg(メツゲライ・イノウエの公式サイト)

ー商材が決まってからは、どのような取り組みをされたんですか?

リスクを考えると、いきなり自分のお店を持つのは怖かったんですよね。
なので、高級スーパーへの卸販売を始めました。
パッケージをリデザインしたり、土日を使って自ら店頭に立って試食販売をしたり。
情報収集のために、ちょっと遠方まで出向いてハムソーセージ関連で有名な専門店を周ったりしていました。

ただ、1つ問題が出てきて。
「品質も良いし、味もおいしい」と、バイヤーはすごく評価してくれる一方で、高めの価格だったこともあり、売り場のスタッフからはお荷物扱いをされるようになったんですね。
それにカチンときて、全部商品を引き上げ、「スーパーでは扱えない商品しか扱わない専門店」を作ることにしました。

35歳の時にですね、ついに実店舗を開業しました。
かかった費用は、およそ1000万円。
「これからは家賃を2倍以上払うんだ」と、物件の不動産賃貸契約をするときに覚悟が決まりました

キャプチャ.PNG
(名古屋の住宅街にある、池本本店。10種類以上のドイツビールとグラスワインも店内で楽しめます)

「これは命を懸ける仕事だ」街の"ドン"を巻き込み、配荷ゼロからトップシェアに

ーまだペルノ・リカール・ジャパンにも勤めていた頃ですよね。そちらはどうでした?

実は、本業の方もけっこう頑張っていたんですよね。
というのも、新しく「福井県」が担当エリアになったんです。
福井県って人口密度に対して、すごく経営者が多いんですよ。
生々しい話なんですが、サラリーマンの場合、ラウンジやクラブに経費を使って飲みに行く際も予算が限られているので、たいていの人はボトルキープして安価で少しずつ消費できるウィスキーや焼酎を飲みます。
それが経営者になった場合、見栄をはりたいのでその日に飲み切るようなお酒をどんどん頼む。
現に、人口密度に対して日本で一番シャンパンの消費量が多い県なんですよ。
そんな「おいしい地域」なのに、当時福井県への配荷がゼロだったんですね。
「ゼロからのスタート」というものに惹かれる性格で、俄然とやる気が出ました。
これは、人生のうち数度巡り合うかどうかの「命を懸ける仕事」だと。

ーいわゆる「特命エリア」の担当になったんですね。

社会人1年目の時と同様に、「どうやったらトップをとれるか」を考えました。
簡略化していえば、すごく成長している酒屋のキーマンと、その飲み屋街で影響力のある『ドン』的な存在をおさえにいって、街全体を動かしていくキャンペーンを1年がかりで行いました。

inouesan5.jpg(ゴッドファーザーのテーマ曲が脳内再生されました)

ードン...?

本当に「ヤクザか否か?」みたいな人ですね。
厳密にいうと違うのですが、街を仕切っているような人なので風格が半端なくて(笑)。
酒屋のキーマンには、「大ちゃん。大事なのは、政治、ヤクザ、宗教だ。この3つをおさえておけばなんでもできるわ」と言われたり(笑)。
所属していた拠点自体は名古屋だったので、福井には月に2回ペースで行っていたのですが、そのたびにシャンパンばかりを深夜2~3時まで飲むんですね。
そんな生活を続けていると、逆流性食道炎になって。

怖い人たちもいるし、緊張感もあるじゃないですか。
おかげで、タバコ量もお酒の量もすごく増える。
シャンパンってふつうのお酒よりも、ダメージが大きいんですよね。
ある時、帯状疱疹が出てきて咳が止まらなくなって。
病院に行ったら、「肝炎の初期になってる。これ以上飲んだら死ぬよ」と言われました。

ードクターストップがかかったんですね。

そこから2年くらい、一滴も飲みませんでした。
仕事のスタイルは変えたくなかったので、周りに合わせて酔ったふりをしてごまかしていましたね。
酒屋のキーマンに、「あれ?それ水だよね?」と、たまにバレたりしながら(笑)。

「なりふり構わず、絶対にものにするぞ!」と体を張って挑んだ仕事でしたが、その甲斐あって、2年で配荷ゼロの状態からトップシェアを獲得することができました。

優秀社員選抜時の社内報.jpg
(優秀社員選抜時の社内報)

ー有言実行ですね!本業は絶好調ですが、副業の方はどうでした?

こちらは苦戦してましたね。
適正価格のままでは、なかなかこだわり商品を手に取ってもらえないのではないかと思い、小売業の平均的な利幅2割だけで事業を継続していました。
それでも客数は上がらず...。
本当に良い商品だと思っているのに買ってもらえない。
つらかったですね。

あらゆる試行錯誤をしていましたが、労力・お金・メンタル、全てにおいて消耗が激しすぎて、効率的ではないなと思い始めました。
そして、経営を体系的に学ぶことでショートカットしようと、グロービス経営大学院に入学しました。

ー28歳の時に海外MBAを検討されていましたが、国内MBAのグロービスにしたんですね。

昔の僕は「海外TOP20以外は、MBAじゃない」くらいの考えだったんですが、国内で商売をするなら、ブランドうんぬんよりも、ビジネスの現場で使える実践力を身につけるべきではと考えるようになりました。
体験クラスに参加したらとても良かったので、そのまま入学しました。

ー副業でグロービスの学びは活かされました?

それが、プライベートでも転機があって。
二度目の結婚をしたんですよ。
奥さんの実家がプロパンガスの小売をしたのですが、衰退している斜陽産業ということもあって売上が落ちていってたんですね。
ペルノ・リカール・ジャパンを退職し、副業の方はギリギリ赤字が出ないくらいで回しながら、事業の再生に尽力しました。
ただ、僕が義理の父である社長に「トライ&エラーしましょう。致命傷じゃなければ大丈夫だから」といろいろと提案しても、「大丈夫」と真剣に向き合ってもらえない状況で。
「本当に大丈夫なら、僕は自分のお店の立て直しに戻りますよ」と、結婚前に住んでいたマンションの方で仕事と生活をするようになったんです。
会社を辞めて一週間後くらいですね、奥さんが離婚届を持ってきて。
また離婚をしました。

固定収入がゼロになり、お店の売上もまだまだ。
怖いけど、1人で立て直すと腹をくくり、休まず働いて40歳の時に法人化しました。

ついに副業から本業に。3店舗目は念願の故郷・京都に出店

ー退職とグロービスの卒業により、三足のわらじが一足に。やっとお店に集中できるようになったんですね。

入学してからも、少しずつお店の売上もよくなってはいたんですが、一本化してからはぐんぐんと伸びていきました
同窓生だけではなく、先生方や事務局の皆さん含め、今もグロービスの皆さんに本当に応援していただいています。

昨年は、「大名古屋ビルヂング」という"名古屋のシンボル"と言ってもよいような商業施設に出店のお声がけをもらいました。
それまでは、ECサイトと住宅街に構えている路面店、この2つをメインに運営していましたが、商業施設だと立ち上げから通常のランニングまで全然違うんですよね。
コロナ禍ということで不安もありましたが、「自分が成長できるまたとない新しい機会だし、冒険しよう」と思い、出店に踏み切りました。

大名古屋ビルヂング店画像 (1).jpg(記念すべき2店舗目、大名古屋ビルヂング店。イートインスペースもあり、その場で温かい食事が楽しめます)

ー軌道に乗ってきたんですね。今後はどのようなことに取り組んでいく予定ですか?

方向性は大きく2つですね。
1つは、2022年5月に京都に路面店を出店する予定で、物件を探したりと準備を進めています。
もう1つは、これまでの起業や店舗運営の知見・ノウハウを活かして、サービスコンサルティング事業や起業・副業支事業を始めようと思っています。

ーこれまでのキャリアは、山あり谷ありの連続でしたが、今はどうですか?

おそらく幸福度MAXに近いですね。
プライベートも充実していますし、新しい仲間と共に新たなチャレンジに向けて日々格闘しながら邁進できています。
この先も山あり谷ありなんでしょうが、お世辞ではなくグロービスで学んだ礎があるというか、僕的には困難の乗り越え方を知っているつもりなので全く怖くないんです。
困難は成長機会でしかないとすら思っていますし、神様が与えてくれた「素直じゃないギフト」っていう感じです(笑)。

―最後に、やりたいことが分からず、自身のキャリアに悩む若手にメッセージをいただけますか?

3店舗目を出そうとしている僕ですが、たった十数年前は太陽も浴びられず寝たきり生活をしていました。
人生はどうなるからわからない。
だから面白い。
苦難は人生を彩るスパイスです。

誠実に一生懸命生きていたら、きっと点が線になり、面になり、空間になる日が来ます。
常識を疑って、体裁なんか捨てて、たった一度の自分だけの人生のRPGを完成させてみませんか?
やりたいことだらけの人生が始まりますよ!

―井上さん、ありがとうございました!

>>「やりたいこと」を見つけるヒント!『私の転換点』一覧は、こちら

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著者情報

新宅 千尋(グロービス経営大学院 大阪校 スタッフ)

新宅 千尋(グロービス経営大学院 大阪校 スタッフ)

神戸大学理学部生物学科卒業、京都大学大学院生命科学研究科修士課程修了。幼少期より「思考や感情の発生」に興味があり、独学で心理学や脳科学を学ぶ。一方、「内なるものの表現」にも関心があり、10年ほどアトリエ教室に通う。学士/修士課程では脳の再生の基礎研究に従事。新卒で大手総合通販会社に入社後、Webマーケティングチームに配属。心理学や行動学の知識とアトリエ教室で培った感性を融合させ、売上や購入率向上に貢献。その後、社内から「人の力」で会社を強くしていく人材教育領域に興味を持つようになり、次世代のビジネスリーダー育成と輩出を目指す、グロービスに転職。グロービス経営大学院のコンテンツメディア企画チームに所属し、自身のキャリアに悩んだ経験から、グロービスキャリアノート制作・運営に携わる。

※本記事の肩書きはすべて取材時のものです。

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