仕組みや商品に変⾰を起こし、組織を成⻑させる

業界に新しい風を吹かせる

企業のサスティナブルな
成長を支えながら
日本にこだわり、
日本をよくする。

株式会社ローランド・ベルガー

プリンシパル

野本 周作さん

グロービス経営大学院2010年卒業

大手電機メーカーでリサーチャー、社長のスピーチライターを務めた後、ローランド・ベルガーへ転職された野本さん。しかしそこで、経営者の力量不足によって産業・事業の持つ本来のポテンシャルが活かされていない現実を目の当たりにした野本さんは一旦離れ、サービス・小売・外食のプロ経営者の道へ。コロナ禍では、上場外食企業で業界に先駆けての一斉休業発表や、矢継ぎ早な施策投下で黒字化を達成するなど、経営者としてさまざまな成果を残してきました。一方で、コロナ禍での経験は自身のキャリアや志にも影響を与え、10年ぶりにローランド・ベルガーへの再入社を決断。積み上げてきたキャリアを活かしながら、もっと広く日本の社会や産業をよくしていきたい。それを実現するための選択が、ローランド・ベルガーに舞い戻ることだったと語る野本さんに、これからのビジョンやそこに懸ける想いを伺いました。

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環境変化の激しい時代、
サスティナブルな成長が
求められている

野本さんは、さまざまなキャリアを経て、ローランド・ベルガーにプリンシパルとして復職されていますが、まずは現在の役割について教えてください。

2013年にローランド・ベルガーを離れてから約10年間、企業の経営者や事業の責任者としてキャリアを重ねてきました。現在は、そこで得たさまざまな経験を活かし、企業変革や事業再生の領域を担当するチームに参画しています。まだ戻ってきてそれほど時間は経っていませんが、実感するのはビジネス環境も働き方も、この10年で大きく変わったということです。クライアントからご依頼いただく案件テーマはほとんどがグローバルやデジタル、サスティナブルなど、当時も存在はしたものの、必ずしも比重が大きくなかったテーマが増えていました。加えて、働き方についても日本以外との連携が密になり、活用するデジタルツールも進化、それもあって働き方もかなりサスティナブルになっており、時代や社会の変化を感じています。また、以前在籍していたときはシニアコンサルタントというマネジャー一歩手前のポジションだったのですが、今回はマネジャーを飛び越えて3階層上のプリンシパルという役職で戻ってきたこともあり、環境の変化だけでなく、ステージの違いなども含めてキャッチアップに苦労しつつも、頑張っている最中です。

ローランド・ベルガーは、業界の中でも戦略コンサルティングファームというカテゴリーに分類されますが、戦略策定だけではなく企業や事業の再生や変革も手掛けており、この領域をRestructuring、Performance Improvement、Transformation の頭文字をとって、RPTと言っています。限られた事業やテーマではなく、企業・事業全体をよくするために必要なことは全てなんでもやりますというのが特徴です。また、ドイツが出自の欧州系ファームなので、持続可能な成長を志向する傾向にあります。戦略系ファームの多くはアメリカに本社が置かれていますが、アメリカ型のドラスティックな経営とドイツをはじめとするヨーロッパ型の経営にはやはり違いがあります。アメリカの株主至上主義に対し、ヨーロッパは株主以外にも自治体やお客様など多様なステークホルダーを大切にしてみんながハッピーになるような成長が必要だよねという考え方。社員やその家族、サプライヤーなどみんなで成長しながら資本主義をサスティナブルにするという考え方がヨーロッパ型の特徴だと思っています。

私が今回ローランド・ベルガーに復職したのも、そのような考え方が強いファームであるというのは大きな要因になっており、その中で、先ほどお話ししたRPTの領域やチームを大きくしていくというのが私の役割になります。

世の中との向き合い方が変わる、大きな転換期

サスティナブルを重視しながら、新たな形の企業変革や事業再生に取り組んでいくというお話がありましたが、ローランド・ベルガーに復職されるきっかけはなんだったのでしょうか。

前の会社(株式会社エー・ピーホールディングス)のCEOを退任してから約5ヶ月間、お世話になった方々へのお礼行脚や社会人になってからはなかなか行く機会がなくなった親との旅行など、かなりゆっくりさせてもらっていました。今どきの言葉でいうと「キャリアブレイク」でしょうか。コロナ禍前の赤字の状況で入社し、なんとか黒字転換させたかと思えばコロナ化が来てCOOとなり、CEOとなり、というように非常に過酷な5年2ヶ月だったので、ずっと全力で走り続けてきたこともあって、いい機会だったというのもあります。その間に、大変光栄ながらもいろいろなお話をいただいたのです。でも、本当に申し訳ないことに心からワクワクできなかった。前の会社は外食企業の中でも年商200億円の規模があり、一次産業から三次産業まで手掛けていて、国内では高級業態から弁当までやっていて、しかも海外もやっている。そしてその会社の業績が芳しくなく、しかもコロナ禍という未曽有の状況で経営をしなくてはならない。そんな状況の最前線にいたこともあり、どのお話にも心が奮い立たなかったのです。そんなときに、前に在籍していた時代からお付き合いが続いている現代表の大橋と食事する機会があり、そこでローランド・ベルガーがRPT領域を拡大していきたいと思っているという話を聞き、僕がやってきた経験が活きるのではないかと思ったことから、国内外の選考プロセスをちゃんと経て、再度入社させてもらうにいたりました。

サスティナブルに関しては、もはや地球に優しいという文脈だけで語られるものではなく、人の生き方や企業のあり方など社会の全てに行きわたっています。また、社会からの要請も強く、サスティナブルな経営をしていかないと企業としてはもはや評価されない時代です。前職のみならず、一度ローランド・ベルガーを飛び出してサービス・小売・外食の業界にいたころにはあまり気付かなかったことですが、戻ってきて改めてこの変化を強く実感しています。

これまではコストをガンガン削ってとりあえず株価を上げて売り抜けてしまえば後のことは知らない、という経営のやり方がある意味主流だったかもしれません。でも、「それは本当にあるべき企業の姿なのだろうか?」というのは、この失われた20年やら30年でこの日本社会が学んできたことでもあります。

これまでとはまた一歩違った環境や人への配慮などの対応含め、社会の変化のスピードはすごく速くなってきていますし、世の中との向き合い方が変わる大きな転換期にあるのだと思います。私たちのような戦略ファームとしては、この変化の激しい時代に企業がどう生き残っていくかは重要なテーマですが、他を押しのけて生き残るのではなく、健全な競争関係の中でどのように共存共栄を図っていくかを模索し実行していくことが、これからの使命だと感じています。

経営の力で、日本の産業はもっと大きくできる

野本さんがビジネスで大切にしている想いや、ご自身の志について教えてください。

私がこれまで向き合ってきた志とは「日本に住む人たちが、生活の中で感じる喜びをもっと増やす」ということでした。その背景には大学生のころ、留年するほどのめりこんだミスタードーナツでのアルバイトやテニススクールのインストラクターの経験があります。その志を実現するために、私はビジネスの軸足をサービス・小売・外食に置いてきました。国内のこれらの企業は年商が100億円を超えると大きな会社といわれるような業界ですが、そのブランドや現場がものを持っているに対し、経営がそのよさを活かせていないという残念な光景を前にローランド・ベルガーに最初に在籍していたころに見てきました。

私が新卒で入った松下電工やお付き合いのあったクライアントをはじめとするメーカーの方々のような二次産業、とくに大きなメーカーには、この瞬間ちゃんと爪を出しているかどうかは別として優秀な人がうなるほどいらっしゃるから大丈夫。一方で、先ほどのような理由でサービス・小売・外食のような業界には経営の力が足りないし、そこを埋めていくことでよい会社になっていく余地が多い。そして、それらの業界を引き上げることで、結果として日本の国力までも上げられるのではないかと考えていました。そんな想いで、「サービス・小売・外食のプロ経営者」を目指しローランド・ベルガーを飛び出して、そこから3社の企業で経営に携わってきました。

日本をもっとよくしていきたい
という新たな志

その志やミッションを実現するのに、どんな困難がありましたか。 また、その困難に直面したときにどのように感じましたか。

どの会社でも多かれ少なかれ困難があったのですが、やはり一番は前職(株式会社エー・ピーホールディングス)ですね。コロナ禍の影響を受けた業界というのは多くあったと思います。ただ、その中でも外食業界、もっと局所的に言うと居酒屋業界はコロナで一番影響を受けたとは言いませんが、一番「振り回された」業界だったとは言えると思います。そのコロナ禍をなんとか乗り越えたときに考えたのです。私たちの生活の中でどれだけサービス・小売・外食で喜びを感じる機会を増やそうとしても、その根底を支える日本という国や経済が崩れてしまっては、それ以前の話になってしまうと。台の上に積み木を載せて楽しもうとしても、そもそもその台がグラグラしていて倒れてしまえば意味がないのと一緒です。

入社直後から担当していたこともあり、シンガポールの動向を常に注視していたのですが、あの国はコロナ禍における行動制限ひとつとっても、常に適格な戦略策定をし、それだけではなくて実行をちゃんとやり切る。この戦略と実行のクオリティーの高さをまじまじと見ていると「日本、大丈夫か!?」と思うことがたくさんありました。例えば、シンガポールでは席と席との間隔を設定するのにも必ず根拠が明確になっている。いざ実行する段階では実際に飲食店を巡回するチームがあり、決められた席間隔を守れていなければ、その場で指導や最悪営業ができなくなってしまうという姿を現地スタッフから聞いていました。

一方で、日本がどうだったかというと、いろんな意見や声が出てくることはよいことではあるのですが、それに振り回されてしまって、なかなか物事が決まらないし、前に進まない。やっと何かが決まったと思ったら、後は現場任せでいつの間にか曖昧に運用されて形骸化してしまう。そんな状況で、正直「この国、やばいな…」と感じたこともありました。日本の中だけしか見てなかったらまだましだったかもしれませんが、やはり他の国と相対的に比較したときには明確に気付いてしまいます。もちろん、国の広さ、人口、体制、歴史、文化などが違うので一概に言えないことは確かですが、そこを差し引いたとしても同じ感想を持っていました。

そんなことをコロナ禍の間、ずっと考えていたのですが、前職のCEOを退任して、次に何をしようと思ったときに「この国のベースが崩れてしまっては、自分のやっていることも結局意味がなくなるのではないか」という考えに行きつきました。すなわち、自分の志が「日本人の喜びを増やす」ことから「日本の国力を上げる」ことへと変わったきっかけになったのです。そうしたときに、これまで積み上げてきたキャリアを活かしながら、もっと広く日本の社会や産業をよくすること、日本の国力を高めることに寄与できると思えたネクストキャリアが、ローランド・ベルガーへの復帰でした。

今の社会はみんながそれぞれいいことを考えていても、それをトータルでインテグレートする人がいない。だからこそ、どうすればみんなが手を取り合えるか考え、戦略を立て、仕組みをつくり、それを実行し、日本がよくなっていく実感を持てる最大公約数を獲れる動きをしていきたいし、それができるのは欧州系の戦略ファームであるローランド・ベルガーなのだと。

もちろん、それは簡単なことではないし、さまざまな困難にも直面すると思います。自分のやりたいことを高みに置けば置くほど、現実と理想にはギャップが出るわけですから。ただ、目標設定を高くできる環境は恵まれていると思います。足元がしっかりしていているからこそ、どのくらい高く目標を設定するかを考えられる。コロナで足元が崩れていく中でなんとか乗り越えてきた経験、これに勝る大変さはなかなかない、そう考えると今は「あのときに比べたら、まだましだよね」と思いながら困難に立ち向かえるようになったかなと思います。

家族や仲間、人に支えられて生きている

コロナ禍では対応も含め、大変なことも多かったと思います。困難や逆境を乗り越える力になったものはなんだったのでしょうか。

それはやっぱり「人」です。具体的には、家族、仲間、友達からの励ましの声です。とても印象的だったことが2つあります。

ひとつはコロナ禍での一斉休業。2020年4月2日、エー・ピーホールディングスは外食大手企業で初めて自主的に一斉休業をしました。4月7日に緊急事態宣言が発令されたので、それより5日前に始めたわけです。検討は3月30日の夜中から翌日31日の朝にかけて、発表は決めた同日にしたのですが、やはり最終決断は当時の社長だったとしても、自分から進言するのはとても勇気がいりました。「会社はどうなるのか」「(当時の)社長はいいと言っているけど、ここで休むという選択は本当に間違っていないのか」「他社がどこもやっていない中、この決断が世の中にどう受け止められるのだろうか」など、発表したその日の夜も不安はつきませんでした。翌朝も不安なまま会社に向かったのですが、私のSNSには「英断です」「その考え方を支持します」「これで世の中を動かしましたね」といったコメントが数多く寄せられていたのです。当時、会社は芝公園駅の近くにあったんですが駅を出てすぐの公園でそのコメントを見てひとりで泣きました。「自分の決断は間違ってなかったんだ」とそのとき初めて思えたのです。

もうひとつは、ローランド・ベルガーに戻るという投稿をSNSにしたときのことです。これは、私が過去にSNSに投稿したもののうち、最も多い「いいね」の数になりました。5ヶ月投稿はしていたものの旅行や家族行事の投稿だけだったので、元気にしているのはわかっていても、「みんな心配してくれていたんだな」と思ったと同時に「頑張らなきゃ!」と奮い立ちました。これだけじゃないのですが、改めて振り返ってみると、やはり人に支えられて生きているのだなというのが改めて分かりますね。

リスクを取って挑戦することが、成長につながる

人との出会いや関わりという点で言えば、野本さんがグロービス経営大学院を通じ得られたものはどのようなものでしょうか。また、MBAの取得はどのように活かされましたか。

あえて言いますが、MBAで学んだことがインスタントに役に立ったことってあまりないです。MBAでの学びというのは基礎体力、または読み書き算盤だと私は思っています。「クラス受けました!」からの「はい、役に立ちました!」みたいにインスタントに効果があるのなら誰も苦労しません。ただ、卒業して14年経って振り返ってみると、卒業してから私が今までにやってきた仕事において読み書き算盤的なことで困ることはありませんでした。ローランド・ベルガーに最初に入ったときも業界や専門分野について分からないことはあっても、ビジネスに関する知識で分からなかったことはありませんでした。それは、その後の事業会社に移り経営を手掛けていた時代もそうでしたね。基礎体力をつけたことがベースとなって、結果として、自分でできることが増やせたのだと思います。

そんな中でも、印象に残っている科目がいくつかあります。1つは「サービス・マネジメント」。この科目で扱ったケース(企業事例)を読むと他の科目と比べて異様にワクワクしました。昔からなんとなく考えていたサービス・小売・外食の分野に軸足を置きたいという気持ちに、明確に気付けたきっかけでしたね。もうひとつは、「ストラテジック・リオーガニゼーション」です。企業や事業の再生戦略についての科目で、当時は5回目と6回目の2回がそれぞれ違うテーマのグループワークでした。1グループ5名程度で与えられたケースに書いてある定性情報・定量情報を使って再生戦略を策定し、プレゼンして順位付けするという授業でしたが、2回とも私がいたチームが1位を獲りました。チームのメンバーから出てくるさまざまなアイデアをアンカーマンとして戦略のストーリーに落とし込んでいく役割を担っていたのですが、改めて、そういうことができることが自分の強みだと認識できました。

教員の方で印象的だったのは廣瀬さんです。今はグロービス経営大学院の研究科長ですが、当時は日本の大企業から外資系の戦略ファームを経て、プロ経営者として活躍されていた真最中に教員として教えに来てくださっていました。とても憧れていましたし、おこがましいながらもいつか彼のようになりたかった。そんな中、クラス後の懇親会でお話ししたときに「君は今の会社にいればそれそれなりのポジションに行くかもしれない。僕があなたの上司だったら使えるやつとして、ずっと手元に置いておくだろう。でも、あなたはリスクを取って外に出ないとこれ以上の成長はない。」と言われ、私はその言葉がきっかけとなり、結果としてそこから1年半後に本当に外に出たわけです。その後、いろいろと大変な目にも遭いましたが、あのとき廣瀬さんの背中を追いかけようとしなければ今の私もないわけで、そこはすごくキーポイントになったのではないかと思います。

日本の国力を上げる一助になりたい

最後に、これからの野本さんのビジョンについて教えてください。

「日本をよくする」「日本の国力を上げる」その一助になるということです。「なぜ日本なんですか?」「世界じゃないんですか?」と聞かれることもありますが、僕にとっては「日本」なんです。

心当たりはいくつかありますが、ひとつは私が佐賀出身だということ。ずっと東京にいると、東京しか見えないしグローバルという目線もできると思いますが、九州の片田舎から出てきて、日本の広さというのを手触り感を持って知っているというのは大きいのかなと思います。また当時、「企業家リーダーシップ」の授業をまだ堀さん(学長)自らが担当されていて、そのとき私は「僕はグローバルには興味がない、日本をもっとよくしたい」といった趣旨の発表をしたのですが、堀さんからもらった講評が「日本をよくするって、いいね!」でした。そのときの「日本をよくしたい」という気持ちに堀さんが「いいね!」をくれたことは、私にとって「あ、いいんだ」と妙に安心したことを覚えています。

私は今46歳なのですが、私の父親は50歳になる直前に病気で他界しています。同じように私にも50歳までしか時間がないとしたときに、残りの時間でフルスイングできるステージは、あと1回くらいと考えて次のキャリアを探していました。しかし、5ヶ月間の充電期間、さっきもいいましたが今どきの言葉でいうところのキャリアブレイクが改めて自分の未来と向き合うきっかけにもなったのです。

これまでは50代に入ってからのことなど先のことは考えたことはありませんでしたが、「これからの人生で何を成すのか」そう考えたときに私は、先ほどお話ししたように「日本をよくしたい」と思ったし、そのためにローランド・ベルガーに帰ってきた。変化も激しく将来の予測が困難な時代だからこそ、私たちが縦横無尽に動き回って、企業や事業のサスティナブルな成長を促していく。まだちょっとビッグワードでもうちょっと輪郭をはっきりさせないといけないけど、新たな志の方向性を胸に、これからの日本社会に貢献するために生きていく。今回このような選択ができたことが、私にとっての進化なのだろうと思っています。

株式会社ローランド・ベルガー

プリンシパル

野本 周作さん

慶應義塾大学理工学部を卒業後、電機メーカーを経て、ローランド・ベルガーに参画。その後、ホスピタリティサービス会社、PEファンド投資先企業を経て、上場外食企業で執行役員・COO・CEOを務めた後、ローランド・ベルガーに復職。上場企業の経営者としてのターンアラウンド経験も活かし、クライアントの真の企業価値向上につながる実効性の高いコンサルティングをモットーとする。グロービス経営大学院2010年卒業。

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