仕組みや商品に変⾰を起こし、組織を成⻑させる

企業の新たな柱となる、新規事業を起こす

「志」あれば、
絶対に道は拓ける。
沖縄から、卓球で世界へ。

琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社

代表取締役会長

早川 周作さん

グロービス経営大学院2020年卒業

2018年、Tリーグ立ち上げとともに参戦する沖縄発のチーム「琉球アスティーダ」。その運営会社の代表である早川さんは、琉球アスティーダをプロスポーツチームとして日本初の上場(東京プロマーケット市場)へと導きました。卓球にあまり関心がなかった中で、アスティーダを立ち上げたのは、「弱い地域や弱いものに光をあてる社会をつくりたい」という「志」に合致したから。学生時代の体験から生まれた「志」を胸に、恩師から頂いた「有志有途」を座右の銘として、現状にとどまることなく次々と想いをカタチにしてきました。琉球アスティーダは「世界を獲りいくよ。」をスローガンに、卓球という競技でもビジネスでも世界を狙い、その姿を通して、誰もが夢をあきらめない社会をつくっていこうとしています。

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地方でも、
マイナースポーツでも、
経営はできる

これまで多数のベンチャー企業の⽀援を⾏なってきたと聞いています。なぜ、卓球というスポーツを支援し、プロチームとして沖縄から発足させることになったのでしょうか。

琉球アスティーダは、Tリーグ設立3年目となる2021年にリーグ優勝するとともに、プロスポーツチームとして日本初の上場を果たしました。僕はその代表を務めていますが、もともと卓球に興味があった訳でもなく、スポーツビジネスの経験もありませんでした。きっかけは、2018年に卓球のプロリーグを立ち上げるということで、ある関係者から「卓球のプロチームに興味はありませんか」と打診されたことでした。

卓球は5歳で初めてラケットを握っても、15歳でメダルを取れる可能性があり、貧富の差、性別の差、体格の差が勝敗に響きにくいスポーツだと。「そんなスポーツが他にありますか」とその人は言いました。

僕は東日本大震災を機に東京から沖縄へ移住しましたが、沖縄は貧困率が全国の2倍と言われています。貧富の差が拡大する中で、卓球は人々がお金をかけずしてチャンスをつかめるスポーツ。詳細は後でお話ししますが、僕が10代20代の経験を通して掲げてきた「弱い地域や、弱いものに光を当てる社会をつくる」という僕の「志」にぴったりとはまり、話を聞いてから30分で引き受けることを決めました。

一方で、大都市圏のプロスポーツがこれまでやってきたようなチケット販売やスポンサー収入に頼るやり方は、不安定要素が多く、地方やマイナースポーツでは成立しにくいはず。プロスポーツチームの経営をするにあたり、私はやり方を根本から変えていこうと思いました。

現在、我々は沖縄を中心にスポーツバルや卓球場などスポーツを基軸とした実業も展開しています。たとえばスポンサーには、それらをPRの場として活用いただくなど「スポーツ×マーケティング」で協賛以上の価値を提供。現在180社を超えるスポンサーにご支援いただいています。弱い地域やマイナースポーツでも、持続可能なビジネスとして成立できるようにする。一度きりの人生、そんなことができれば面白いじゃないですか。

家業の倒産と、
父の蒸発。
不合理な世の中を
変えたい

「弱い地域や、弱いものに光を当てる社会をつくる」という「志」は、10代の体験から生まれたというお話ですが、どのような人生を過ごされてきたのでしょうか。

秋田出身の僕は、親元を離れて千葉県の高校に通っていました。ちょうど大学受験のタイミングで母親から連絡があり、家業が倒産した上に、父が蒸発してしまったと。困り果てた母親とともに行政に相談に行きましたが、その対応は本当に冷たいものでした。社会とはこうも弱いものに冷たいのか。絶望しかけたとき、力になってくれたのが幼馴染みから紹介された弁護士の先生でした。法人破産の手続きなど利益も取らずに行っていただき、本当に感謝しました。

僕も困った人の力になれる人間になりたい。だから弁護士になろうと、一番学費の安かった明治大学の夜間で法律を学ぶことに。大学1年生のときだったでしょうか。縁あって著名な法律事務所で働けることになりました。困りごとの相談を受ける中で、目の当たりにする社会制度の矛盾や不合理。あの倒産したときの絶望が思い出され、「強いものや強い地域のみに有利に働く社会を変えたい」という想いが日増しに強くなってきたのです。それが「弱い地域や、弱いものに光を当てる社会をつくる」という「志」の原点です。

その頃、仕事の関係ではじめて国会議員と会ったこともきっかけとなり、不合理な世の中を変えるために20代で選挙に出ると決めました。弁護士として目の前の人の力になることは大切です。しかし、法律から変えなければ根本的な解決にならないと考え、政治家になろうと思ったのです。

政治家への道から、
ベンチャー支援へ

政治家を⽬指しながら、学⽣時代に起業も経験したと聞いています。30歳で経営者コミュニティーをつくり、ベンチャー企業を支援した背景について教えてください。

選挙に出るにはお金も必要です。21歳の時に、弁護士事務所をサポートしていた投資家から「君はサラリーマンに向いてないね。5000万円を預けるから不動産事業をやってみなさい」と言われて、選挙の資金作りも考えて起業に挑みました。朝6時から夜10時までお客さまを訪問しながら取引先を増やし、3年ほどで200数十名の事業会社に成長。しかし、このままでは社長として成功しても、「志」は成し遂げられないという危機感から、被選挙権を得た25歳で会社を離れ、政治家になるためにスタートを切りました。

政治家になると決めたとき、周りは誰もが「何を言ってんだ」と笑いましたが、「志」があれば行動あるのみ。首相経験のある政治家の元へ出向き「僕を政治家にしてください!」と直談判しました。秘書として2年半ほど学んだ後、2005年、28歳で何の縁もない鳥取県から衆議院選に出馬しました。月に3000件は訪問してこつこつと支援者を増やし、約5万票を集めましたが、残念ながら落選。しかし、5万近くもの人が1票を投じてくれたと思うと、もっと日本をよくしていきたいという想いは強くなりましたね。

その後、30歳で東京に戻ると、起業した頃の仲間たちからベンチャー企業の経営アドバイザーをして欲しいという話がいくつも舞い込んできました。

日本は失敗すれば再起が難しい印象があり、ベンチャーが育ちにくいと言われています。そこで日本最大級のベンチャーコミュニティーを立ち上げ、約90社の顧問として成長支援やIPO支援を実施。僕にとってベンチャーを育てることは、「弱いものに光を当てる」という「志」そのものなのです。

ただ自分自身は、経営を感覚的にやってきたので、学問として勉強してきませんでした。次の世代を育成するにあたり、いちどきちんと論理的なフレームを身につけようと思い立って、40歳でグロービス経営大学院へ入学することに。たとえば大手企業の管理職の方とか、これまでの人生で出会わなかった人たちとの話は大きな刺激になりました。実は今でも「大人の同期会」と称して、グロービスの仲間たちと3ヶ月に1度は会食しているんですよ。

前例のない上場劇に、何度も跳ね返される

話を琉球アスティーダに戻すと、プロスポーツチームとして初めての上場だけに、多くの壁があったと聞いています。それはどのようなものだったのでしょうか。

まずチームの設立に当たって、当初聞いていた話と食い違うことも多くあり、ゼロからスポンサーを探さなければなりませんでした。そこで気づいたのは、スポーツにお金を投資しようという企業がとても少ないということ。これだけ夢や感動を与えるものになぜお金の循環がないのか、おかしいと思いませんか。

突き詰めて調べると、3つの課題がありました。1つ目はガバナンスがきいていない。2つ目は情報開示がなされていない。3つ目は上場会社が1社もない。適切な市場から、適切な資金調達ができる仕組みをもっていなかった訳で、その解決方法として、まず僕たちが日本のプロスポーツチームとして初めての株式上場を目指しました。

上場までの道のりはそれこそ苦難の連続でしたが、もっとも大変だったのはTリーグの規約改定で、これを実現しなければ上場は不可能だったことです。簡単にいうとTリーグには反社会的勢力が入らないように、株の譲渡制限に関する規約があったのです。プロスポーツチームを守るという観点では必要ですが、株を自由に動かせなければ株式公開はできません。Jリーグなども同じような規約があり、だから上場できないのです。

スポーツビジネスの発展を考えると、この規約はやはりおかしい。「なぜスポーツビジネスで上場が必要か」という根源から何度も話を重ねて、やっとTリーグの規約を変えてもらうことができました。

そして、上場審査へ。これがまたビジネスモデルとして前例がないため、非常に難航しました。予実管理や営業の仕組み化などさまざまな指摘を受けては改善し、細かな説明を何度も繰り返しました。そうした中で、コロナ禍の影響が出始めて業績にも陰りが出て、当初2020年に予定していた上場も伸ばされました。このままでは上場できないと考えた僕は、「東証さんと直接話をさせてほしい」とパートナーとなる証券会社に依頼。絶対に決めるという覚悟で話し合いに臨み、ついに2021年3月30日、東京プロマーケット市場への上場を果たすことができました。

有「志」有途。
まずは一歩を踏み出してみる

スポーツビジネスは儲からないなど、やりたくても諦めてしまう人が多い中で、なぜ早川さんはあきらめずにやり切ることができるのでしょうか。

ある恩師から教わった「有志有途」という言葉。これは、「志」があるところに道は拓けるという意味で、僕自身の座右の名になっています。僕は事業を起こすときに何よりも「志」が大切だと考えています。だから「志」に合うと思ったらとことんやるし、合わなければ引き受けない。卓球の話も「志」に合ったからで、やりきるのみ。スポーツビジネスだから儲からないとか上場は無理だという発想は僕にはありません。「志」があれば、必ずどこかで応援してくれる人がいて、打開策が出てくると信じています。

一例ですが、増資計画の締切り間際のタイミングで、あるベンチャーキャピタルにプレセンをしました。まだ売上が立ってもいない段階でしたが、私の想いに即断。金曜日にプレゼンして、翌週月曜日には入金されていました。数字や事業計画も大事ですが、「志」や想いが何よりも大事だと思うのです。

世の中には、「志」や想いがあるにも関わらず、行動されてない人が結構多いのかもしれません。まずはやってみるべきだと思います。そして、想いをしっかりと発信して、あきらめずやりきること。そうすれば、いつか大当たりがやってきます。いくら赤字だろうが、目先のことなんてどうでもいいじゃないですか。「志」に向かっているから、面白いし、生きがいがあるんです。何かあっても命まで取られることはないし。不安に重きをおく人生か、期待に重きをおく人生か。僕はあきらかに後者です。

「志」がまだ見えていない人は、当たり前のことを当たり前と思うのではなく、本来のあるべき姿を考えてみる。「あれ?これおかしいよね?変えた方がいいよね?」と日々考えている中で、社会課題として本当に変えていかなければならないことが見えてくるはずです。

テーブルテニスで、沖縄から「世界を獲りいくよ。」

琉球アスティーダのスローガンに「世界を獲りいくよ。」とありますが、未来に向かって成し遂げていきたいことなど、お聞かせください。

まず競技という面では、世界を狙えるチームづくりの一歩として、世界ランキング2位(2022年12月現在)の張本智和選手を獲得しました。Tリーグ発足時から4年間、彼と会うたびに「一緒に世界を獲ろう」と言い続けてきました。まずは2024年に開催予定のパリ五輪で世界を獲りたいと思っています。

ビジネスにおいては、新たな取り組みとして、ブロックチェーン技術を利用したデジタル通貨「クラブトークン」を発行しました。卓球チームとしては世界初です。チームが発行するクラブトークンの保有数に応じて、限定イベントや交流会に参加できる特典や、チーム運営に関わりを持てるサービスが受けられます。もちろん売買も可能。これによって「ファン×地域×クラブ」の一体となった応援コミュニティーを築く訳です。

これは世界を獲るための布石であって、もともと僕は世界共通の「テーブルテニスコイン」をつくろうと動いていました。コインを持つことで、たとえばドイツのプロリーグを見ることができるとか特別なグッズが手に入るなど、世界中で卓球ファンを拡大しようと考えたのです。ただ現状、日本の法律では難しいようですが、「テーブルテニスコイン」の時代は近いうちにやってくるはず。「クラブトークン」は来る日のための準備です。

ラケットとボールがあればできる卓球は、アジアやインド、アフリカを中心にプレイヤーが急増しています。確実にマーケットは広がっています。そこで我々が競技だけでなく、ビジネスでも日本で築き上げてきたモデルを基軸に世界を獲りにいく。東京でもなく、那覇でもなく、人口わずか2万人の中城村から、家賃4万8000円のオフィスを本社にする企業が世界を獲るからロマンがあるんです。どんな弱い地域であっても、世界を狙えるチームや、世界で戦える企業がつくれることを証明し、それを見て勇気づけられる人や企業を増やしたい。その実現こそが、僕のこれからの仕事です。

琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社

代表取締役会長

早川 周作さん

大学在学中から学生起業家として活躍。25歳で元首相の秘書となり政治を勉強。28歳で衆議院選挙に出馬し、次点となる。その後、東京で日本最大級の経営者交流会を主催、約90社のベンチャー企業の顧問として経営に携わる。2013年に沖縄に移住。2018年2月、沖縄から卓球のプロリーグであるTリーグに参戦する「琉球アスティーダ」やトライアスロンチーム、飲食店を運営する琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社を設立し、代表取締役に就任。2021年3月、プロスポーツチームとして日本初となる上場を果たす。グロービス経営大学院2020年卒業。

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