社会に新しいプラットフォームを作る

テクノロジーで今までにないサービスを作る

日本企業に
チャレンジの場を作る。
それが、心から
やりたいことだった。

株式会社マクアケ

共同創業者/取締役

木内 文昭さん

グロービス経営大学院2011年卒業

「アタラシイものや体験の“応援購入”サービス」という新たなコンセプトで、ほかのクラウドファンディングプラットフォームとは一線を画す「Makuake(マクアケ)」。これまで28,000件以上のプロジェクトをサポートしてきました。共同創業者の木内文昭さんは創業以来、SONY「FES WATCH」プロジェクトを皮切りに「大企業の新商品・新事業創出時に「Makuake」を活用する」という新たな仕組みづくりを推進。企業の研究開発テーマから具体的な商品・事業を生みだす「Makuake Incubation Studio」の責任者やIPO準備の責任者を経て、現在は経営企画業務のほかに、ユニークなデータ活用を行う「Makuake データ Lab」の責任者として新しい価値の提供に取り組んでいます。

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かっこよく働く、
あの大人たちのように

これまでいくつもの新規事業の立ち上げを経験されてきた木内さんですが、新卒で入社したリクルートでの仕事はどのようなものだったのでしょうか。

新卒で入社する前に、リクルートや大手出版社でアルバイトをしていました。今でいうインターンのようなものでしょうか。そこで出会った方々が、とにかくいきいきと格好よく働いていたんです。自分たちの仕事で世の中を変えるんだ、という想いがあふれる現場で「自分もあんな大人になりたい」と思ってました。それが働くことに対する最初の想いでした。

そのこともあり、就職活動では「その人らしく、いきいきと幸せに働ける世の中を作る」仕事に携わろうと思いました。「いきいき」あるいは「幸せ」ってなんだろうと考えたときに、自分の中では「好きな人とおいしいご飯を食べているとき」と「いい仕事をしているとき」だったんです。飲食業か、人に関わるビジネスか。最終的には、後者を選び、リクルートグループに就職を決めました。

少し背伸びをした環境に身をおくことで早く成長できるだろうと考え、「一番厳しい部署に配属してください」と願い出ました。配属されたのは営業のアウトソーシングを行う新規事業部署。お客さまは、大手通信会社や精密機器メーカー、文具メーカーなどで、役職者の方が中心でした。「きみは営業が下手だなあ」とお客さまに笑われながらも、1年目から何かと気にかけていただきました。はじめは営業としての配属でしたが、4年目からは職種がかわり、プロジェクトマネジャーとして受注した案件を運用する側になりました。その間、事業部自体は年商10億円から100億円事業にまで成長し、3年目に個人で全社表彰なども頂いたのですが、5年目ぐらいの時に自分はまだまだと感じることも多く、せっかく信頼して発注してくれたお客さまに、それだけの価値を提供できていないと感じることが多くなりました。一生懸命やっても、それだけの結果を残せない。本を読んで、見よう見まねでやってみても、その通りにいかない。これは、本格的に学び直さないと駄目だと考えて、グロービス経営大学院の門を叩きました。

本当に心からやりたい
と思えることをやる

グロービスを卒業後は転職もされたそうですが、経験を積む中でご自身の中で芽生えた価値観とはどのようなものだったのでしょうか。

2007年、法改正のからみもあって、残念ながら思い入れを持って推進してきたアウトソーシング事業の撤退が決まりました。私は別の部署へと異動しましたが、このまま続けていても駄目だと思い、転職を決意しました。転職先のBtoBマーケティング会社で経営企画を担当していた時、学生時代にお世話になった方から「サイバーエージェントで、新しい事業を立ち上げる。事業責任者としてきてくれないか」と声がかかり、2009年、サイバーエージェントへ入社しました。

新規事業としてアフィリエイトモールの立ち上げを担当することになりましたが、メンバーは私ひとりだけ。確かに、間違いなく事業責任者でした。4年半かけて、メンバー10名、売上で数億円の規模にまで育てましたが、最終的には事業譲渡しました。

その事業自体や携わってきたプロセスには、価値があったと思います。しかし、振り返ってみたときに、本当に自分の心の底からやりたかったことかと言われると、イエスと言い切れない部分もありました。当時、グロービスの「企業家リーダーシップ」の授業を受講していたのですが、授業では自身の「志」が問われるんです。当時は、「インターネットビジネスで世の中を変える」とプレゼンした覚えがありますが、今から思えばぼんやりとしたものでした。おそらく当時は「世の中をよりよく変える」ことよりも「新規事業の責任者」というポジションへの憧れの方が強かったんだと思います。自分の中で「本当に心からやりたいと思えることをやる」。明確になった価値観は、この先の新規事業を立ち上げるときの大切な柱となりました。

日本の企業が、チャレンジ
できる場をつくりたい

いよいよ「Makuake」の立ち上げとなるのですが、当時、すでにさまざまなクラウドファンディングが世の中へ出てきていた中で、どんな差別化を考えられたのでしょうか。

心からやりたいことは、なんだろう。そう自問自答する中で、やはり私がやりたいことは「人がいきいきと働く世の中を作ること」なのだと改めて思ったんです。アフィリエイトモール事業が落ち着いたころ、グロービスの教員の方と飲む機会があり、「木内さんはどんなビジネスに興味があるのですか」と聞かれ、「クラウドファンディング事業に興味があります」と答えました。周囲の応援や資金援助を得ながら自分のやりたいことを事業にできるクラウドファンディングは、「人がいきいきと働く」ことにつながるのではないかと思ったのです。ときを同じくして、サイバーエージェントに入社当時同じ部署にいた中山(現:マクアケ代表取締役)から、「社内でクラウドファンディング事業を立ち上げるから、一緒にやらないか」と声がかかりました。なんたるタイミング。本当に偶然のような必然のような不思議な話ですよね。「これが自分がやりたい事業だ」と心から思ったことをよく覚えています。

2013年、現在の株式会社マクアケを創業しました。クラウドファンディングという言葉は「群衆から資金調達する」という意味ですが、マクアケの事業はそれ以上の提供価値や面白みがあります。資金調達という観点だけではなく、エンドユーザーが応援したものがヒットしてブランドになることもそのひとつですし、企業の研究開発技術の新規事業化やマーケティング活用など様々な価値があると考えています。だから私たちは、クラウドファンディングではなく、「応援購入サービス」と掲げることにしました。

当時すでにいくつかのクラウドファンディング が立ち上がっていましたが、その多くは地域活性や個人の支援が主なマーケットでした。でも、私たちがやりたいことは、「産業を創ること」や「企業の成長に役立つこと」です。今もそうかもしれませんが、当時の日本は、なかなか新たなチャレンジが生まれにくい環境でした。もし、失敗が許されないことで足踏みしているのであれば、成果報酬の形で資金や支援が集まることで、チャレンジするハードルを下げることができるのではないかと考えました。心理的な、あるいは投資のハードルの低いプラットフォームを創ることで、企業のチャレンジが増える。その結果、企業が成長して、人がいきいきと働き、収益と雇用が生まれ、地域が発展する。そんな元気な日本を実現したい、と思ったのです。

実績ゼロから、
どうやって
収益化するか

「Makuake」の立ち上げにおいて、一番の壁はどのようなものだったのでしょうか。また、その困難をどう乗り越えられたのでしょうか。

新規事業の立ち上げに困難はつきものですが、一番の難所は、PMF(プロダクト・マーケット・フィット)にどう到達するかです。良いものをつくっても市場に受け入れられなければ意味はありません。お客様に価値を認めてもらい、再現性を持って拡大していくことは非常に難しいところです。「Makuake」の場合は、たくさんのプロジェクトがプラットフォームに掲載され、そこにエンドユーザーが集まる構図なので、最初は企業に対して「Makuake」の価値をお伝えすることから始めました。その際、大事にしたポイントは、企業の経営課題に対して、どのように「Makuake」のサービスが課題解決につながるかを提示することです。まだ実績がない段階では、共感いただけるよう「こういう世の中を作りたいんです」と「志」をお話しするしかありません。そうして、ひとつふたつと事例が出てくる中で、エンドユーザーが集まってきて、形になっていったんです。売れる、売れないが判明する中で「Makuake」のPMFは、企業のビジネスプロセスの中で“マーケティング課題を解決する”点にあると明確になりました。

私自身、いくつかの新規事業を立ち上げてきた経験の中で、事業を軌道に乗せるために大切だと思うことがいくつかあります。まずは、そのビジネスに「市場の魅力」があり、「自分たちがやるべき必然性」と「心からやりたいかどうか」が明確になっているかどうかです。これらが重なっていて、社会に役立つ事業であれば、たとえ不足するものがあっても、応援したり手伝ったりしてくれる人が必ず出てきます。特に「心からやりたいかどうか」は重要で、これは「Makuake」を使って頂く企業にも同じことがいえます。なぜなら「心からやりたい」という想いに支援者は共感して集まってくるからです。もうひとつは、持てる時間とエネルギーの全てを「どうすれば実現できるか」を考え行動することに振ることです。新規事業はうまくいかないことのほうが多いので、自分の中でできないことを正当化したり、市場や環境のせいにしたくなるのですが、それは時間や労力のムダです。そもそも自分がやりたいと思ってやるのですから、その環境やチャンスに感謝こそすれ、愚痴や文句を言う時間があれば「どうすれば実現できるか」にエネルギーを割いた方が建設的だと考えています。

ユニークなデータ活用で、
顧客の創造を支援する

もうすぐ10年を迎える「Makuake」がさらなる発展を遂げるために、木内さんがチャレンジしていることや、これから成し遂げたいことなどをお教えいただけますか。

私たちは自分たちがビジネスを展開しているマーケットを「0次流通市場」と呼んでいます。小売販売を1次流通市場、中古販売を2次流通市場だとしたら、マーケットデビュー前の市場は「0次流通市場」という概念ですね。私たちが持っているデータは、本格的に世に出る前にもかかわらず、実際の顧客の購買行動を伴った非常にユニークなデータだと思うのです。このデータを活用して、感覚やセンスだけでなく、その企業らしさや実績、ほかの売れ筋などとも比較検討しながら、マーケットに喜ばれる商品を一緒に創っていくことができる可能性を秘めています。そんな想いから設立したのが「Makuake データ Lab」です。

「Makuake」を通じて応援購入をしたエンドユーザーのデモグラフィックデータはもちろん、例えば気になってはいるが買うに至っていないユーザーの行動データも私たちは保有しています。このようなリアルな顧客実態を表すデータによって、企業にとっての顧客理解や商品サービスの市場適合のチューニングを通じて新たな「顧客の創造」まで支援できるデータプラットフォームへと成長させていきたいのです。それが「Makuake データ Lab」の目的であり、私がメンバーと共に実現したいことです。そういったことを通じて新しいものを楽しみにされている消費者にもっとわくわくしてもらえると思いますし、そうなれば「Makuake」は、社会インフラとして欠かせない存在になれると思うんですよね。

企業活動とか作り手の想いを消費者にお届けすることで、たとえ広告費が潤沢になくても、共感してくれる人が買って、ファンが増え、事業が育まれていく。そんな物語が増えれば、きっとすてきな世の中になるんじゃないかと思います。

株式会社マクアケ

共同創業者/取締役

木内 文昭さん

2002年、リクルート関連会社に新卒入社し、上場企業などの法人営業に従事。その後ベンチャーに転職しメディア事業立ち上げを経験。2009年にサイバーエージェントに転職し、大手通信会社との提携事業責任者として、事業の立ち上げから譲渡までを手掛ける。2013年、株式会社マクアケの共同創業者として、設立と同時に取締役に就任。その後、「Makuake Incubation Studio」の責任者を務め、現在は「Makuake データ Lab」の責任者として従事。グロービス経営大学院2011年卒業。

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