企業の新たな柱となる、新規事業を起こす

仕組みや商品に変⾰を起こし、組織を成⻑させる

魂をこめた開発も
普及しなければゼロ。
真の貢献をめざし、経営へシフトした。

パナソニックEWネットワークス株式会社

代表取締役社長

元家 淳志さん

グロービス経営大学院2018年卒業

情報通信ネットワーク事業を展開するパナソニックEWネットワークス(株)で、40代の若き経営者としてトップを任された元家さん。パナソニックに入社した当時は照明事業のエンジニアとして研究開発を従事。2010年には、全方位に光を放つことができる世界初となるLEDクリア電球を実現させました。その一方で、関わってきた商品や工場の撤退といった苦い経験も。技術はもちろん経営視点がなければ「モノづくりで世の中に貢献する」という「志」は実現できないことを実感。グロービス経営大学院で経営を学び、インドのイノベーションセンター所長や経営企画部長を経て、2023年4月より現職へ。ITの力で世の中をよりよくしたいという想いを胸に、新たなスタートを切りました。

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絶対に無理だ、と言われたLEDクリア電球への挑戦

世界初となったLEDクリア電球。元家さんは開発のプロジェクトリーダーを務められましたが、もともと関係者から「絶対に無理だ」と言われていたそうですね。困難な開発を成し遂げるに至った想いは何だったのでしょうか。

入社から2018年ごろまで、私は主に照明事業に関わってきました。LED電球が急速に普及し始めたのは2010年ごろ。当時のLED電球は一方向にしか光を放つことができませんでした。従来、電球はフィラメントから全方向に光を放つので、なんともノスタルジックで温かみある明かりになるわけです。

明かりは地域によって独自の文化があります。例えば日本は白色系の蛍光灯をまぶしいほど発光させますが、ヨーロッパでは透明な電球のほの暗い光が好まれます。一方向にだけ光を放つようなLED電球だと、環境負荷の削減は可能ですが、ヨーロッパのデザインや雰囲気とマッチしないために普及させることが難しいわけです。

環境と文化の両立を考えたとき、私は全方位に光を放つことができるLED電球を作ろうと決めました。周囲からは「それは無理だよ」と言われましたが、「挑戦する価値がある」と 覚悟を決め、プロジェクトリーダーとして仲間と試行錯誤を繰り返しました。

あきらめることなく挑戦を続けることができたのは、当社の創業者である松下幸之助によって記された『産業人たるの本分に徹し 社会生活の改善と向上を図り 世界文化の進展に寄与せんことを期す』という綱領の存在でした。自分たちの生みだす世界初となる商品で、世の中をよりよく変えていきたい。それが自分を突き動かす大きなモチベーションになりました。

成功の瞬間は今でも忘れられません。スイッチを入れたとき、LEDから両側に向かってきれいな光がパッと放たれたのです。夜遅い時間でしたが、実験室でみんなと大騒ぎ。まるでドラマのような時間でしたね。この成功があったからこそ、もっと世の中に貢献できる、という気持ちが強くなったのかもしれません。

ウォークマンを手にした、あの日の感動を

元家さんがモノづくりの道に進んだきっかけや、パナソニックを選んだ動機などをお聞かせください。

モノづくりの道に進みたいと思ったきっかけは、子どものころに両親からもらったウォークマン(携帯用の音楽プレーヤー)でした。家のステレオでレコードやカセットテープを聴くことが当たり前だった時代に、携帯できることで、どんな場所でも自由に音楽を聴くことができるなんて衝撃でしたね。興奮して「ぼくも、みんなが感動できるものを作りたい」と両親に言ったことを覚えています。

大学では物質工学を専攻、セラミックやガラス材料の研究を行なっていました。研究の傍ら、日本を代表するモノづくり企業を調べる中で、松下電器産業(現パナソニック)の創業者である松下幸之助が書いた書籍には 、深い感銘を受けました。ビジネス書というよりも、哲学書のようで、人間観や人生観に通ずる話が多く、当時「何のために仕事をするのか」「何のために生きるのか」と考えていた20代の感性に響いたのでしょう。自分の中で「モノづくりを通じて、世の中に貢献したい」という想いが、ますます強くなりました。

ちょうど大学院のゼミで、パナソニックと共同研究しているテーマがあり、インターンシップ生として立候補。それは、蛍光灯用のガラスに使用されている鉛に代わる新素材を開発するというものでした。鉛は蛍光灯をきれいな丸い形状に加工する際に必要な素材ですが環境負荷が高く、少しでも負荷を減らそうという背景でした。
このインターンシップをきっかけにパナソニックに入社。そのまま同じ研究を続け、入社から4年ほどして、やっと鉛に代わる新素材の開発を実現することができました。

本当に世の中に貢献したいなら、経営視点は外せない

開発者として活躍してこられた元家さんが、経営を学び、また経営者への道を歩むことになったきっかけは何だったのでしょうか。

2008年、いよいよ新素材を使った蛍光灯を量産化するために、中国で工場を立ち上げました。学生時代から続けてきた努力がやっと実ったこともあり感無量でした。しかし、残念ながら売れ行きは厳しく、立ち上げた工場も閉めざるを得ない状況になったのです。LED化の大波がきた影響もありましたが、ずっと研究してきた思い入れもある商品だったので非常にショックでした。

そのことがきっかけで、本当にモノづくりで世の中に貢献していくには、技術力だけでは駄目だと肌で感じました。いい商品を作っても、普及しなければ貢献できない。そのためには、トレンドや投資タイミングの読み方、パートナーづくりなど、開発から営業まで経営全体を見渡す視点や知識が必要だ、と。同時に、自分の中で開発者として深く技術を追求するよりも、マネジメントや経営に関わっていきたいという想いがどんどん強くなってきたのです。

数年ほどは独学で経営 やマーケティングを学んだのですが、限界を感じてグロービス経営大学院に入学しました。グロービスを選んだ理由は、「志」の科目があることに惹かれたから。多くの人の共感を得て動いてもらうためには、経営知識だけでなく「志」や高いレベルでの価値観、倫理観が必要です。まさに、それらを学べるのではないかと思ったのです。

私自身は学生のころから「モノづくりを通じて、世の中に貢献する」という「志」を持っていました。それはグロービスに入ってからも変わりませんでしたが、本気で「志」を語るには、相当の責任と覚悟がいるのだということを、学びを重ねるにつれて痛感しました。

もちろん、経営の定石を学べたことは、今も大きく役立っています。扱う商品は変わっても、経営として何をすべきかの根底は同じですから。判断に迷った時の自らの軸が出来たと思います。それは、守破離の「守」と言えると思います。今は、定石を守りながらも、そこに、自分らしさを加え、独自の経営の型を作っている最中です。

国籍を超えた“人間観”をベースにマネジメント

2016年ごろから事業企画などマネジメントの仕事へと軸足を移し、2018年にはインドイノベーションセンターの所長としてインドへ赴任されています。どのような仕事を担当されたのでしょうか。

インドイノベーションセンターの使命は、「現地の人が抱えている困りごとや課題を解決するために新規事業を立ち上げる」ことでした。結果的に2022年に帰国するまで、メンバーと共に10以上の新規事業を立ち上げることができました。

例えば「E-care wiz」というサービスは、故障など修理が必要な際に、スマホに入れたアプリからワンクリックするだけで、履歴情報がサービスセンターに届き、修理スタッフが駆けつけてくれるサービスです。

このサービスが生まれた背景は、インドは日本と違って、苦労して買ったものをできるだけ長く使いたいという人が多いんですね。だから修理も多いのですが、なかなか修理する人が来てくれません。せっかく来ても修理内容と修理スタッフの技術がマッチせず、また後日に別の人に依頼しなければならないことも多く、困りごとのひとつでした。

海外で新規事業を成功させるポイントは、現地のニーズをどうつかみ取るかです。よく現地に住んでみないと分からないと言いますが、インドは多様性に富んだ国であり、更には宗教や歴史も複雑に絡み合っていることから、住んでもなかなか分かりません。日本の常識が通じない部分も多く、日本人だけの感覚で課題をつかむことは難しいと判断しました。

そこで、現地のインド人メンバーに彼ら、彼女らの感性で課題を発掘してもらい、私はその情報からビジネスモデルに仕上げるといった役割に徹しました。現場ではメンバーがアクションしやすいような環境を整える一方で、本社やトップに対しては支援を取り付けていくことで、うまくいったのではないかと思います。

現地メンバーと信頼関係を築くことができたのも大切な成功の要因ですが、そのポイントは創業者 も記しているように「確固たる人間観」を持つことです。国はちがうけれど、お客さまもスタッフも、みんな人間。まず人間を理解しないとマネジメントもヒット商品もできないんじゃないでしょうか。

私の中にある人間観は、「人間は変わるポテンシャルがある。けれども弱い生き物である」ということです。変わるポテンシャルがあるから、すぐにあきらめず信じて任せてみる。一方で弱気に流れることもあるので、しっかりと応援してあげることが大事だと考えます。

そして、誰もが「自分は人の役に立てる人間だ」と思いたい。だからその人が得意な仕事や領域を提供するなど、メンバー一人一人が自己肯定できる場面を作ってあげる。仕事で褒められてうれしい気持ちに国境はありません。これらの人間観は、今も私の経営のベースになっています。

大手企業のリソースを使えば、大きな貢献ができる

元家さんは、これまで新商品や新規事業の立ち上げに多く関わってこられましたが、大きな組織で新たな挑戦を成功させるために、何か秘訣のようなものはあるのでしょうか。

大手企業で新規事業をうまく立ち上げるには、やはり既存事業との関係性をうまく作ることが大事だと考えます。よくあるのは「自分たちこそが変革者だ」とばかりに、既存事業を否定しまうケース。これだと敵対関係になってしまいます。

例えば販売チャネルなど既存事業の持つ仕組みなど、豊富なリソースやアセットを使って世の中に大きなインパクトを起こすことができるのは、大手企業だからこその強みです。だから協力してもらえる関係性を築くのは何よりも大切と言えるでしょう。

協力関係を作るには、まず既存事業をリスペクトすること。既存事業が得てきた利益で、新規事業に挑戦できるわけですから。リスペクトがあれば、既存事業にお願いする際の接し方や言葉づかいも自ずと変わるはずです。また、既存事業はリスクの最小化を望み、新規事業はある程度のリスクは覚悟しなければなりません。その許容範囲をしっかり取り決めておくことも大切だと感じています。

私自身は、これからも大企業の持つアセットやリソースを存分に活用しながら、世の中に大きな貢献をしていきたいと考えています。

誰もがITの恩恵を受けられる世の中を目指して

2023年4月、代表取締役に就任されましたが、パナソニックEWネットワーク社をどのような会社にしていきたいですか。

パナソニックEWネットワークス(株)は、情報通信ネットワークに関する機器の開発から販売、施工まで行なっている企業です。現在(2023年4月時点)、会社としてのミッションやビジョンを作るために、まず300名ほどの従業員全員と会話をし始めたところです。

経営者の役割のひとつは「質の高い意思決定を通じて、従業員を幸せにし、世の中に大きな貢献をしていくこと」だと思うのです。それには、まず従業員のみんなが、どんな希望を持ち、どんな瞬間に幸せを感じるのかを知らないと意思決定がブレてしまいますから。

会社の方向性として、今浮かんでいるのは、ITの急速な発展でITリテラシーに格差が生まれている状況をなんとかしなければ、という想いです。例えば高齢者などITの恩恵を受けられていない人に寄り添いながら、誰もが平等に安心してITを使うことができる世界を実現していきたい。また、働き方改革が進む一方で、その恩恵を受けていない企業や事業はまだまだ多く、ITの力で、ビジネス、教育、製造等、様々な現場で働く人や、そこで過ごす人達のウェルビーイングを実現していくことが、私たちのやるべきことだと感じています。

実現していくためには、「お客さま視点、世の中視点」が大切です。お客様と同じ目線で課題に向き合い、対話を続けながら、答えを見つけ出していく。お客様から、「どうしたらいいか解らないけど、パナソニックに相談してみよう。」と、いつでも相談してもらえるパートナーとして認めて頂ける事を目指したいと考えています。
そのためには、できるだけ現場のみんながお客さまと向き合う時間を作りたい。だから「上司への説明資料は簡素でいいですよ、その分お客さまに時間をつかってください」とお願いしています。その一方で、簡素な資料でも質の高い意思決定ができるように上司は努力し続けなければなりません。勿論、私も含めて。

目指すのは、周知を集めた全員経営。従業員誰もがお客さまに向かって、フラットでオープンに仕事できる。お互いがそれぞれの役割を精一杯頑張って、「ONE TEAM ONE GOAL」で進みながら、一人一人が輝ける会社にしたいですね。

パナソニックEWネットワークス株式会社

代表取締役社長

元家 淳志さん

京都工芸繊維大学大学院時代に松下電器産業(現パナソニック株式会社)との共同研究、インターンシップを経験後、2004年に入社。LED照明やプロジェクターの研究開発、工場立ち上げに従事し、「平成25年経済産業大臣発明賞」を受賞するなど、技術発展と商品化に大きく貢献。2018年、インドへ赴任し、インドイノベーションセンター所長として10件以上の新規事業を立ち上げる。2022年に帰国、経営企画部長を経て、2023年4月よりパナソニックEWネットワークス株式会社の代表取締役社長に就任。

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