スペシャリストとして、世の中に働きかけていく
社会課題をビジネスで解決する
「学び考える」動物園へ。
MBAを独自の強みに、
動物福祉を追求。
「見て楽しむ」から「学び考える」動物園へ
井出さんは天王寺動物園の飼育企画として働いていらっしゃいますが、具体的にどのようなお仕事をされているのかお聞かせください。
一昔前は「レジャー施設」としての側面が強かった動物園ですが、最近では「希少動物の保護」や「生態に関する教育」などの社会的な役割が重要になっています。そのため、飼育や展示方法も「いかに人を楽しませるか」という人間目線ではなく、「いかに動物が健やかで幸せに暮らせるか」という動物目線で見直しを図る動物園が増えています。天王寺動物園でも現在、こうした動物福祉の考えを柱に20年がかりの大規模なリニューアルを進めているところです。
そうした中、私たち飼育企画は、天王寺動物園で暮らす動物たちのQOL(Quality of Life)を上げるために、さまざまな取り組みを行っています。
例えば、飼育員とともに動物の行動を日々観察して、ストレスの要因を取り除いてあげたり、多様な行動をとる機会が増えるように、新しいおもちゃや器具を用意したり。また、来園者の皆さんに野生動物の現状を伝え、どうすれば動物が幸せに暮らせるのか考えてもらうイベントを企画・運営することも飼育企画の役目です。単に動物を見て楽しむ施設だった動物園を、動物について学び、考える施設に変えていく。問題意識を持つ人を増やしていくことも、これからの動物園の使命だと思っています。
動物福祉を広めて、動物園から世界平和を
動物のQOL向上のために、多岐にわたる取り組みをされているんですね。大変なお仕事だと思いましたが、井出さん自身はどういった想いや志を持ってこの仕事に取り組まれているのでしょうか。
実は私、「動物園から世界平和をつくる」という志を掲げています。我ながら随分思い切った目標だと思うのですが、日々、動物福祉を追求しているとあながち不可能ではない気がしています。と言うのも、動物福祉とは究極の利他行動だからです。
動物福祉の世界では「動物が選択する行動はすべて正しい」という考えが大前提。だから、動物自身は何も頑張る必要がなく、周りの人間が「どうすれば、動物たちが幸せに暮らせるか」を考え、環境を整えます。相手を喜ばすことが目的なので、動物たちからの見返りなんて求めません。もし、この動物福祉の考えが飼育員だけでなく来園者や社会にも広がっていけば、世の中から戦争をなくせるかもしれない。
そんな想いを反映させたのが、2022年4月にリニューアルオープンした「ふれんどしっぷガーデン」です。以前は、来園者が動物にふれ、直接ごはんをあげるアトラクションでしたが、動物にとってはストレスや食べ過ぎの原因にもなりかねません。そこでリニューアル後は、あえてふれられなくしました。その代わり、来園者は飼育員と一緒にヤギやヒツジのごはんを準備して、動物が食べたり遊んだりする様子を観察します。単にごはんをあげて、なでて「かわいい」で終わるのではなく、どうすれば動物が喜ぶのか、何が動物の幸せなのか、みんなで考えるんです。そして、来園者は動物園で学んだことを、家に帰ってワンちゃんや猫ちゃんなどのお世話に役立てる。さらに動物だけでなく、周りの人に対しても同じ気持ちで接する。その輪がどんどん広がっていくことを期待しています。
人生を変えた、3ヶ月のオーストラリア研修
確かに動物福祉の考えが広がると、優しさで満ち溢れる世界になりそうですね。井出さんは初めからそういう想いを持って、この業界に入られたのでしょうか。
いいえ、もともとは動物と関わりたいという動機でこの業界に入りました。子どものころから動物が好きで、自分のお小遣いで初めて買った本も「犬の図鑑」でした。ムツゴロウさんにあこがれて、物心ついたときには「自分も動物に関わる仕事に就く」と決めていましたね。
少しでも早く就職したくて、高校卒業後は専門学校に進みました。印象的だったのは勉強がすごく楽しかったこと。「興味を持って知識を得ることが楽しい」という感覚は、今日にも活きています。
また、在学中に体験した3ヶ月間のオーストラリア研修は、ひとつのターニングポイントでした。同じ動物園でも、日本とオーストラリアではまったく違っていたんです。まず驚いたのはスケールの大きさ。当時の日本の動物園では動物を檻に入れて展示するスタイルが主流でしたが、オーストラリアでは柵の存在を感じないほど広大な敷地で動物を飼育している。野生に近い環境で快適そうに暮らす動物たちを目の当たりにして、衝撃を受けました。
そして、動物園の社会的な認知の違いにも驚きました。もう15年以上前のことですが、当時からオーストラリアでは「動物園は学びに行くところ」だと考えられていたんです。まさに動物園のあるべき姿がオーストラリアにありました。3ヶ月の体験では満足いかなかった私は、卒業後日本のサファリパークに就職したものの、2年後にワーキング・ホリデー制度を利用して再びオーストラリアを訪れました。
2度目のオーストラリアで気づいた、日本の飼育レベルの高さ
オーストラリアでは2年間滞在されていますが、どのような経験を積まれたのでしょうか。
当てもなくオーストラリアに渡ったので、まずは動物関連の施設に手当たり次第、履歴書を送りました。そしてボランティアとして、動物園2箇所と野生動物の保護施設2箇所、あとは乗馬クラブでも働きました。
得るものもたくさんありましたが、最大の気づきは日本の飼育レベルの高さだったかもしれません。確かにオーストラリアは動物園の規模が大きく、組織力もある。でも、いろいろな環境がそろっているが故に、飼育員が介入する必要は多くありません。対して日本は環境が整っていないからこそ、飼育員がきめ細かく管理しないと、動物が健康に生きられない。そのため飼育技術が発達していますし、よくよく考えてみると、環境が整っていない中さまざまな動物の繁殖に成功していることもすごいことだと思ったんです。
オーストラリアの施設からも就職の話をいただきましたが、飼育員として成長するなら日本のほうがいいと考え、帰国を決めました。
動物のQOLを高めるには、飼育員のQOLから
日本に戻ってからは、須磨海浜水族園に7年勤務されています。なぜ動物園ではなく水族館に就職されたのでしょうか。
オーストラリアから帰国後、沖縄の離島にある研究所で、ウミガメ調査の補助員を募集していることを知り、好奇心で応募しました。実は、オーストラリアに滞在中、英語の勉強がてら文献を読み漁ったことがあり、それを機に研究分野にも興味があったんです。そして3ヶ月間、沖縄の離島で住み込みで働きました。その研究所のトップが須磨海浜水族園の園長で、「うちで働くか」と誘っていただき、そのまま須磨海浜水族園への就職が決まりました。
須磨海浜水族園での7年間は、ほぼペンギンとアザラシを担当しました。動物福祉について本格的に考えるようになったのはこのときです。
当時の須磨海浜水族園ではアザラシを5頭飼育していましたが、スペース的にこれ以上増やせられなかったので、繁殖させないようにオスとメスを分けることにしたんです。ただ、場所に限りがあるので、どうしてもオスを狭いところで飼育しなければなりませんでした。「果たして、この子たちは幸せなのか」「何かできることはないか」とすごく悩みましたね。そんなときに、知り合いの研究者から、ある大学で動物福祉について研究している先生を紹介してもらいました。私にとってその先生が、動物福祉の師匠です。先生からQOLの高め方や測定方法などを教わりながら、どうすれば限られたスペースでアザラシが幸せに過ごせるのか工夫を重ねました。明確な正解があるわけではないので、常にトライ&エラーの繰り返しです。
今でもよく覚えているのは、アザラシ舎の前を通る際に、飼育員が必ずかまってあげるという取り組みをしたときのこと。魚をあげたり、氷を投げ込んであげたり、1分程度でできることを、ほかの飼育員にお願いしました。
その結果を計測すると、QOLを示すグラフが上がっていったんです。ところが、ある時点からかまってあげる回数が減っていきました。理由は、飼育員のモチベーションが続かなかったからです。みんな自分の担当業務で手一杯だったんですよね。この経験があるから、天王寺動物園では、動物のQOLだけでなく、飼育員のQOLを高めるサポートも積極的に行っています。
動物福祉×MBAを、独自の強みに
グロービス経営大学院に入学されたのも、須磨海浜水族園に在籍中ですね。どういう経緯があったのでしょうか。
きっかけは特別講義に行った専門学校の副学長からのアドバイスでした。当時、水族館が追い込み漁で捕獲されたイルカを購入して飼育していることが大きな話題になり、水族館や動物園に対する世間のさまざまな声を耳にしました。私自身も「水族館や動物園は、本当に社会に必要なのだろうか」「どうあるべきなのか」とモヤモヤした気持ちを抱えながら毎日を過ごしていました。
そんなある日、特別講義させていただく機会があり、そのことを副学長に相談したんです。すると副学長から「業界を変えたいなら、大学院に行って学位を持ちなさい」と言われました。
動物園や水族館の経営方針は、獣医をはじめとする学歴のある職員が中心となって決めることが多々あります。その中に加わり、対等に意見交換をするためには、自分自身も大学院を修了するべきだと。その言葉に妙に納得して、まずは働きながら通える通信制の大学で経営を学ぶことにしました。
それまでMBAは、経営のための学問だと思い込んでいましたが、学び始めて実は仕事や人生のいろんな場面で活かせるものだと気づいたんです。自分の引き出しが増える感覚が楽しくて、すっかりハマりました。同時にビジネススキルを身につけることで、動物園業界における自分自身の価値向上になるのではという考えも芽生えました。
これまでに数多くの飼育員との出会いがありましたが、私より動物に詳しい方ばかりで、「自分の強みは何だろう」とずっと悩んでいました。でも動物福祉×MBAの掛け算なら、自分ならではの強みにできるのではないか。そう考え、大学院も継続して経営学を専攻しようと、通信制の大学を卒業後にオンライン形式でMBAを取得できるグロービスに入学しました。
グロービスでは高度なビジネススキルを学びましたが、私にとって一番大きかったのは、動物園や水族館のあるべき姿がはっきりしたことです。特に「ソーシャル・ベンチャー・マネジメント」という科目を通じて、動物保護や教育という社会課題を解決することが使命だと、改めて認識しました。そして、どうすれば、持続的に社会価値を発揮できるか。どうすれば、社会的インパクトを最大化できるか。突き詰めるなかで「動物園から世界平和をつくる」という志にたどり着きました。
世界平和を一緒に目指す仲間を増やしたい
貴重なお話をありがとうございました。最後に今後の目標について教えてください。
動物福祉をテーマとした大型リニューアル「天王寺動物園101計画」は順調に進んでいて、私も関わったペンギン・アシカの新施設も、2023年4月に無事オープンしました。また、飼育員の間にも動物福祉の考えが日に日に浸透しているのを感じています。一方で、今後さらに活動を広げていくには、資金が必要です。どうすれば収益を安定化させることができるのか。まさにMBAが活かされる場面だと思います。
世界に目を向けると、多くの動物園が支援者の寄付金によって成り立っています。動物園にお金が入ると社会が良くなるということが市民の間で認められているからでしょう。それに比べると、天王寺動物園の認知はまだまだ。今後は、もっと戦略的に支援者を獲得し、寄付金を得ていくことが必要だと考えています。そこで、新たに「準認定ファンドレイザー」の資格を取得しました。具体策はこれからですが、支援者が社会課題の解決に主体的に参加し、達成感を感じられるような機会をつくっていきたいですね。
また、天王寺動物園だけでできることは限られているので、より多くの仲間が必要だと考えています。ありがたいことに、最近ではSDGsを切り口に企業や団体から「一緒にイベントをやりましょう」と声をかけていただく機会が増えてきました。その縁を大切に、うまく人を巻き込みながら、「世界平和」という大きな目標に向かって進んでいきたいです。
地方独立行政法人天王寺動物園
飼育企画
井出 貴彦さん
2006年、大阪ECO動物海洋専門学校卒業。専門学校在籍中に経験したオーストラリア研修で海外の動物園に興味を持ち、2009年に再び渡豪。現地の動物園や保護施設にて経験を積む。2011年~2019年は須磨海浜水族園にてペンギン・アザラシの飼育を担当。2019年4月より、天王寺動物園に勤務。天王寺動物園では飼育企画として、動物のQOL向上に取り組む傍ら、2023年にリニューアルオープンしたペンギン・アシカ舎のリニューアル計画をはじめ、今後のリニューアル計画も複数担当。グロービス経営大学院2022年卒業。