スペシャリストとして、世の中に働きかけていく

業界に新しい風を吹かせる

出会いから学び、
何度も
壁を乗り越えてきた。
元レフェリーは、
次なる
キャリアの旅に出る。

フリーランス

當麻 政明(家本 政明)さん

グロービス経営大学院2018年卒業

サッカーでは選手の活躍に注目が集まりがちですが、ピッチの中で汗を流しているのは選手だけではありません。ジャッジひとつで試合展開を大きく変える「審判員」の存在があってこそ、試合は成り立ちます。長きにわたって最前線に立ち、これまで数多くの国際舞台やJリーグのピッチで笛を吹いてきた當麻政明さん。現在はプロフェッショナルレフェリー(以下、レフェリー)を引退され、メディア出演・講演活動・若手のコーチングなど活躍の場を広げています。

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元レフェリーとして、
未開拓のキャリアを築く。

2021年シーズン限りで、Jリーグのレフェリーを引退された當麻さんですが、現在はどのような活動をされているのですか。

レフェリーを16年経験しました。海外を含めた公式戦の担当数は1000試合以上。この経験をJリーグに還元しようと、引退後は日本プロサッカーリーグのフットボール企画戦略マネジャーとして、リーグのさらなる価値向上に努めました。しかし、だんだんと「ジャンルの異なるたち人と繋がって、より多くの人を笑顔にしたい」という想いへと変わりました。

組織を飛び出してフリーランスとなった今は、クラブの運営に関わった経験を活かして地域のスポーツマーケティングやプロモーション活動を手がけたり、最近ではメディア出演や企業研修の講師、あるいは若手審判員に対するコーチングも行っています。

特に、力を入れているのがJリーグの試合で話題に上がったシーンを取り上げて発信すること。スポーツ専門の映像配信サービスDAZNが提供する「Jリーグジャッジリプレイ」という番組に出演し、試合中に判定を下された選手・監督と、判定を下したレフェリーの心理に迫り、共演者とともに議論を交わしています。個人としても、話題に上がったJリーグの公式判定に対する見解を、SNSを通して発信。レフェリー時代、「誰もがフットボールの面白さに魅了される試合をつくる」ことを大切に笛を吹いてきましたが、今はそれをピッチの外からやっている。そんな感覚で、どんどん活動の幅を広げています。

幼少期に育まれた価値観が、 今の「志」につながっている。

「誰もがフットボールの面白さに魅了される試合をつくる」をモットーにレフェリーをされてきたとのことですが、その背景にある當麻さんの「志」はどのように育まれたのでしょうか。

「志」というのは、僕自身は「自分の喜びと社会の喜びの接点」だと解釈しています。その意味では、僕の志は「誰かの喜びや、豊かさに貢献する」こと。こう思う背景には、実は両親の存在が大いに関係しています。

僕の育った家は絵に描いたような昭和の家庭で、父は一家の大黒柱として働き、母は家計を支えるために家で内職をしていました。僕は3人兄弟の次男で、3つ上の兄と4つ下の弟がいました。そんなわが家では子どもに対するしつけが厳しく、挨拶や返事、身の回りの整理整頓といったことを両親から事細かに指導されていました。中でも、よく憶えているのは「自分だけの満足ではなく、自分と相手の喜びのために行動しなさい」と口酸っぱく言われたこと。おかげで、相手を思いやることの大切さや、相手の喜びが自分の喜びになるという価値観が気づけば身についていたように思います。

小学3年生からサッカーを始め、一日中ボールを蹴っていた当時の僕の目標は、誰よりもサッカーが上手になること。中学・高校・大学とサッカーに明け暮れる日々を過ごしましたが、持病が要因となり選手を続けられなくなりました。サッカーを続けたい。けれど選手にはなれない。ならば、サッカーを支える側に回ろうと思い、大学卒業後は、京都に拠点を構えるサッカークラブ・京都パープルサンガ(現 京都サンガF.C.)に運営現場のマネージャーとして就職しました。

選手・運営スタッフ・ファンと 戦ったことが、自分の原点。

新卒で入社した京都パープルサンガでは、具体的にどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

京都パープルサンガでの経験は、僕にとってすごく充実したものでした。現場のマネジャーとして入社した同年に、1級審判の資格を取得。「チームに所属しながら、レフェリーとしても活動しよう」と思っていたのですが、週末は試合でチームをサポートしなければならず、レフェリーとしての活動がまったくできない状況が続きました。

最初の2年間はチーム管理に専念。その後は試合運営の責任者を兼務しました。そんな中、スポンサー企業のビジネスパーソンと交流する機会に恵まれ、彼ら彼女らといろいろな話をするうちにビジネススキルを高めることの大切さに気づき、習得に力を入れました。そこで培ったスキルを活かして、あるとき、経営陣に対して自社の成長のために「経営企画室やマーケティング部の設立」を提案しました。すると前向きな返事をいただくことができ、実現に向けて「経営推進室」の責任者も任せてもらえることになりました。

ところがその頃、チームは連敗に連敗を重ね、ついには2度目のJ2降格を経験し、経営が不安定な状態になってしまいました。僕自身はクラブの仕事にやり甲斐を感じていましたが、一方で「トップレフェリーに挑戦したい」という夢も捨てきれず、悩みに悩んだ末、慣れ親しんだ京都を離れて、レフェリー一本で行くと決めました。32歳の時でした。

奇跡的な出会いは、 人生の岐路に立たされたときに起こる。

32歳の時にレフェリー一本で行くことを決意されたとのことですが、當麻さん自身、レフェリーとして活動する中で、どのような苦労があったのでしょうか。

レフェリーになった十数年前、競技規則は聖書のような存在でした。選手とは会話しない。ピッチ上で笑顔を見せない。レフェリーにとって、選手はコントロールする対象。カードを出さなければ、評価が下がる。競技規則に沿って厳格に笛を吹いていたので、試合では選手と対立し、荒れた試合が続きました。みんなを楽しませたい、という当初の想いとはかけ離れた日々を過ごすことになります。

何のために自分が存在するのか、この道を進んで本当に正しいのか。そんな疑問を抱いていたあるとき、国内最大規模の試合の主審を任されることになりました。ここで結果を残せば、さらに上に行ける。そう意気込んで試合に臨んだのですが、結果的に「判定に一貫性がない」と試合後に厳しい批判にさらされました。世間からはバッシングを受け、審判委員会から「無期限の活動停止処分」を言い渡されました。

レフェリーの仕事ができない。この先、どう生きていけば良いのか分からない。もしかしてクビになるのか。絶望に打ちひしがれていた時期に、それでもなんとか立ち上がれたのは、人間の動作解析の専門家として名高い夏嶋隆さんのおかげでした。以前から夏嶋さんのもとで、レフェリーとして必要な動作やトレーニングを学んでいましたが、改めて、物事の本質の捉え方について教えていただき、視野を広げることができました。富士山の麓で自転車を走らせ、心理学や行動経済学、中国古典などに触れる。それが心を洗う時間にもなりました。しばらくして、レフェリーとして再起するチャンスにも恵まれ、新たなスタートを切ることができましたが、それでもまだレフェリーとしての意義を見つけられず、答えを探す日々が続きました。

自分に足りないものは、 持っている人から学べばいい。

再びレフェリーとして活躍される一方で、2018年にMBAを取得されています。MBAを取得しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

ある日、尊敬する方から「君は直感力や突破力、決断力は優れているけど、論理的な思考や説明力が不足している。だから周りと衝突が絶えない」と指摘を受けました。耳の痛い話ですが、その言葉に深く納得しました。この弱点を補うために何をすればいいのか。そのときに見つけたのが、グロービスという学びの場でした。

まずは単科生として「クリティカル・シンキング」を受講。そこで衝撃を受けたのは、教員の方や学生の皆さんの言語化能力の高さでした。その刺激を受けたおかげで、僕自身、考え方や発言の内容、行動に大きな変化が現れ、周りからもその変化を指摘されるほどでした。当時、僕はJリーグのレフェリーと国際審判員を兼務し、国内外を飛び回っている状態だったのですが、授業を振替受講できる制度やオンラインクラスがあったおかげで、無理なく学び続けることができました。これは、グロービスだからできたことだと思っています。

卒業した今も、アルムナイ・スクールで「中国古典に学ぶリーダー哲学」を受講し、現在は「デザイン思考とクリエイティブリーダーシップ」を受講中です。何気なく生活していると、つい自分と周りとを比較して一喜一憂してしまいがちですが、本当に大切なことは、自分と向き合い、自分は何を大事にして生きているのかをきちんと理解すること。そして昨日の自分よりも少しでも成長すること。かつて夏嶋さんから学んだ教訓を今、別の角度から学び直しているところです。

誰かの喜びや、豊かさのために 走り続けたい。

これからの夢や目標について教えてください。

小学3年生から今まで40年近く、フットボールという共通のテーマのもと生きてきました。選手、クラブの運営者、レフェリーとしての経験は、他の誰にも真似できない自分自身の財産です。この経歴とスキルを活かして、情報のオープン化を進め、選手・サポーター・ステークホルダーの三者がフットボールをより楽しめる環境づくりをしたいと思っています。

レフェリーを引退してから1年半が経ち、ありがたいことにたくさんのフットボール関連の仕事をご依頼いただいています。しかし、これからは、あえて自由に動き回れる状態にしておきたいです。フットボール以外のジャンルの方たちとも関わって、まだ誰も飛び込んだことのないところに足を踏み入れる。世の中の人たちが何に困っていて、何を必要としているのかを、自分の目で確かめる。そして3年ぐらい経った頃に、いくつかある選択肢の中から、最も難しいと思う選択をしたいと考えています。

その昔、元Jリーグ理事長の村井満さんから「難しい道を選ぶことが、人生を面白くする」と教えを受けたことがあります。それが僕の人生の指針となっています。自分の専門領域から一歩外に踏み出すと、未知の世界が広がっています。夏嶋さんに出会った時にもグロービスに通った時にも感じたことですが、新しい世界には、自分の人生を変えるきっかけが存在する。

時代が変われば求められることも変化しますが、それでも自分の中で不変として持ち続けている信念は、誰かの喜びや、豊かさのために走り続けることだと思っています。

フリーランス

當麻 政明(家本 政明)さん

同志社大学卒業後、1996年にJリーグ「京都パープルサンガ(現 京都サンガF.C.)」に入社。同年、全国最年少(当時)で1級審判資格を取得。9年間に渡ってチーム管理、競技運営、経営戦略、企業広報に携わる。2002年にJリーグ担当審判に登録し、2005年には国際主審登録、スペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー)に登録。国内外公式戦1000試合以上を担当。2021年シーズンをもってレフェリーを引退。2022年には、日本スポーツマンシップ大賞特別賞を受賞。現在はフリーランスとして、サッカーに関するメディア出演や講演活動など、その活動は多岐に渡る。グロービス経営大学院2018年卒業。

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