スペシャリストとして、世の中に働きかけていく

社会に新しいプラットフォームを作る

世界最先端の研究を、
戦略面で支援。
科学技術イノベーションを
生む日本へ。

国立研究開発法人科学技術振興機構

研究開発戦略センター(CRDS)

永野 智己さん

グロービス経営大学院2013年卒業

日本はかつて技術大国と称され、現在まで多くのノーベル賞受賞者を輩出しています。しかし科学の成果が広く認められるにはタイムラグがあり、評価対象となる研究は、多くの場合10~20年以上前のものであるという事実を忘れてはならないでしょう。近年、日本の研究力低下が危ぶまれています。背景にあるのは、諸外国に比べて増加が見られない研究開発投資、研究人材の不足などの問題です。日本が研究力を高めイノベーション創出でリードするために、日本にしかできない戦略を打ち立て、研究開発にゲームチェンジを引き起こす。そうした想いを胸に、シンクタンカーとして国家の研究開発戦略に携わる永野さんにお話を聞きました。

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20年先を見据え、
国の研究戦略を立てる。

永野さんはシンクタンクにて日本の研究開発を支援されているとのことですが、具体的にどのような仕事をされているのか教えてください。

私は、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)のシンクタンク部門である研究開発戦略センター(CRDS)に勤めています。JSTはファンディングエージェンシーとして、全国の大学や国の研究機関、企業などが取り組む研究開発から政策目標に合致する研究テーマを募り、研究資金を戦略的に配分する役割を担っています。ファンディングエージェンシーはJSTの他にもいくつかありますが、基礎研究などのアカデミックなテーマをベースに技術的なイノベーションを育もうとする点が特色です。そのため、20年、あるいはさらに先の社会を見つめ、未来の社会に必要とされる研究に対して投資を行います。

こうした研究開発投資によるプロジェクトのマネジメントがJST本体の主な役割なのですが、私が属するCRDSではシンクタンクとして、国内外の研究開発や政策に関する調査・分析を行い、日本がこれからどのような研究開発に取り組むべきか、中立的な立場から戦略を提案します。例えば、アメリカでは現在こういう政策のもとに、こういう研究を進めていて、EUではこんなテーマに注力していて、中国の技術レベルはどうかなど、世界中の研究開発動向を徹底的に調査。その結果から日本の取るべき戦略を立案して各府省庁へ提案します。

世界中の動向を逃さず捉えるために「環境・エネルギー」「ナノテクノロジー・材料」「ライフサイエンス・臨床医学」「システム・情報科学」の4分野に、「海外動向」「科学技術イノベーション政策」の観点を加えた6つのユニットを軸に調査・分析を進めています。私も以前は「ナノテクノロジー・材料」の分野のユニットリーダーを担当していましたが、現在は6ユニットのリーダーを統括する立場にあります。さらに最近は、外交や安全・安心、異分野を横断・融合する視点から戦略を立案するグループも設け、「研究開発のDX」「専門人材の育成・確保」など、特定のユニットが対応しきれないテーマや、全ての分野に共通する問題に対して、ユニットを横断して日本の取るべき戦略を練ることが今の私の役割です。

シンクタンクを根付かせ、 日本のイノベーション創出の確率を上げたい。

科学技術の発展には、研究者だけでなく調査・分析、戦略立案を行うシンクタンクの役割も非常に重要なのですね?

科学論文をひとつ書くのであれば、知的探究心に任せて研究を進めていけば良いのかもしれません。でも、研究開発から生まれる価値をいち早く社会に届け、産業の進展や豊かな社会の実現に結びつけるために欠かせないイノベーションの視点で考えた場合、多様な人々が共通の課題を見つめ、力を結集させる必要があります。

特に日本の場合、官民合わせた研究開発費はアメリカや中国などに比べるとおよそ5倍もの開きがあり、研究人材も不足している状況。限りあるリソースを、どのタイミングで、どの研究テーマに投入するのか。何を問題として、どのような方策でどんな成果を、どのような役割分担によって目指すかなどを具体的に示し、産学官が連携して取り組んでいく必要があります。その際、戦略というのはイノベーション創出の確率を上げるうえで極めて重要な役割を果たします。

一方で、日本ではこうした戦略を担うシンクタンク機能が育ちにくい状況があります。歴史的に見ても、海外ではシンクタンクが発達して方向づくりに重要な役割を果たしているのに対し、日本ではそれほど根付いていません。それはシンクタンクが調査・分析や戦略を立てることはできても、具体的な実行力を持たないことに起因しているかもしれません。しかし、意思決定と戦略立案の機能を意図的に分けることで、その制約があるからこそシンクタンクは利害関係やしがらみによらず、中立で公平な立場から状況を分析して提言できる。この機能を成長させていくことが、これからの日本の科学技術イノベーション、さらには社会全体の発展において非常に重要だと私は考えています。だからこそ「公平な視点で最適な戦略を提言できるシンクタンクを日本に根付かせる」ということを「志」にしています。

「戦略」という武器を身につけ、 自分の価値を発揮したい。

その「志」を抱くようになった背景を教えてください。

私がこうした「志」を抱くようになったのはグロービスに入学した後からのことです。そもそもシンクタンクに関わるようになったのも偶然で、初めからそこに強い想いを持っていた訳ではありませんでした。

私は大学時代、分子分光学の研究室で、物質に強力なレーザーを当てた際の反応や挙動について研究していました。当時は、純粋にサイエンスとして不思議な自然現象に好奇心を抱いていましたね。周りはその好奇心を特定の分野に向けて高め、同級生の中には研究者や技術者になる人も多くいました。けれども私自身はひとつの研究テーマに没頭するよりも、次々に生まれる新しい科学や技術全体に幅広く触れることに喜びを感じるタイプでした。それで大学卒業後は研究者の道ではなく、JSTへの就職を選んだんです。

入社したころはまだCRDSがなく、しばらくはさまざまな研究プロジェクトのマネジメントを担当していました。大学や企業から研究テーマを募り、資金を配分し、研究メンバーを集め、契約書の締結や特許の交渉なども経験しました。その後CRDSが設立され、上司から「君にはシンクタンクで頑張ってほしい」と告げられて配属転換になったんです。異動は予想外でしたが、シンクタンク部門では、自分の狭い専門にとらわれず、あらゆる分野の研究開発動向を俯瞰して幅広く調査・分析することが求められ、まさに私の願っていた環境がありました。

それで、「シンクタンカーという新しいポジションで、日本の科学技術に貢献したい」という想いが日に日に湧いてきたのですが、現実は厳しかったですね。CRDSのメンバーは私以外、研究実績の豊富な人ばかり。元研究者や大学の教授、企業の研究所で何年も研究者や技術者として活躍してきた専門人材が集結していましたが、私には何もなく、無力でした。このメンバーのなかでは、各々が持つ技術的な専門性では太刀打ちできない現実を受け入れ、何か自分の武器を持ちたいと考えた末に「戦略のプロになろう」と決意しました。

研究開発の戦略を教えてくれるところはどこにもありませんでしたが、世の中には戦略と名のつくものがたくさんあります。とりわけ戦略の体系化が進んでいるのは、ビジネスや経営の世界。そこで戦略を学べば、研究開発戦略にも応用できると考えて、グロービスに通うことにしたんです。

ケースメソッドで身につけた、 意思決定のプロセス。

実際に学んでみて、MBAの知識は研究開発戦略に応用できましたか?

もちろんです。ただ、最初はMBAの内容は分からないことだらけで戸惑いました。何しろこれまで企業に属したことがなく、マーケティングや経営の用語にまったく触れたことがなかったので、初めは何も理解できませんでした。それでも、知らない言葉を地道に調べ、大学院の講師や仲間に教えを請いながら学んでいきました。経営の世界は実践知としての体系化が進んでいて洗練されたものが多く、用いる戦略の概念やスキームは私にとって新鮮でたくさんの学びがありました。ビジネスと科学とでは、そもそもの対象が人か自然かの違いこそあれ、戦略論としてみれば実は共通点も多く、うまく適用すれば科学技術の分野でも戦略のプロフェッショナルになれるかもしれないとの道筋が少しずつ見えてきました。

また、私にとって特に有意義だったのは「意思決定」の訓練を何度も行った経験です。それは、グロービスでは事あるごとに、さまざまなケースメソッドを通じて経営者やミドルマネージャーなどの立場になりきり、岐路に立たされたとき自分ならどう行動するのか、その根拠は何かという点を何度も疑似体験します。この反復を通じて、意思決定にはどのような準備が必要で、どのようなプロセスを踏むべきかが分かるようになりました。

シンクタンクの役割は調査・分析をもとに戦略の提案を行うことですが、最終的な決断を下すのは政治や行政であり、ひとつの戦略を国として策定し実行に至るまでに、様々な立場や組織間での合意形成がポイントになります。グロービスでの経験があったからこそ、産業界の行動原理を理解したうえで、政治家や行政官が意思決定をする際に、どのような準備が必要なのか、機を逃さずにどのように提案すべきかを判断できるようになりました。キャリアを積むごとに、この経験のありがたみを感じています。

グロービスの仲間を巻き込み、 大型国家戦略を構想。

グロービスでの経験が活きた戦略立案のエピソードがあれば教えてください。

ひとつ例を挙げるなら、2021年4月に日本政府が策定した「マテリアル革新力強化戦略」です。素材や半導体デバイスといったマテリアル産業は歴史的にも日本のお家芸でした。現在も日本の貿易収支の半数を支えるまさに生命線の産業です。でも今は新興国の積極的な研究開発や、価格競争の激化などを受けて、日本の国際シェアは低下しています。そうした中、革新的なマテリアルを開発し、いち早く社会に実装することで日本の研究開発と産業の国際競争力を高めようというのが、この戦略の狙いです。私は、その原案を議論するところからずっと携わってきました。

中でも私が特に注力したのは、マテリアルDXプラットフォームを戦略の柱に据えることです。この戦略の具体は、非常に微細な構造を作ることができる半導体プロセス装置や、超高精度な顕微鏡など、一機関ではそろえることが難しい最先端の研究設備を、全国の主要な大学や国研に研究インフラとして国が整備し外部にシェアするところから始まります。高価な先端設備を持たない産学の研究者は、自ら設備を購入するよりもはるかにリーズナブルな利用料でこれらの設備を利用できるようになり、また、高度な技術を持った技術者による研究サポートを受けることができます。さらに、先端的な研究インフラの利用を通じて生まれる材料データや加工プロセスのデータを集約し、日本の産学の研究者が研究開発のためにデータを利活用できるような仕組みを設けました。これにより、単に設備をシェアするのではなく、設備の性能を引き出すことのできる専門技術者が課題解決のパートナーとしてサポートするとともに、膨大なデータも含めて研究インフラのプラットフォームとして提供することで、日本の研究環境を一気に世界トップに押し上げる構想です。

一方で日本の組織文化では、自らの研究データを共有することに抵抗感があることもよく理解しています。どのような制度なら利用者にメリットを感じてもらえるのか、利用者や企業の権利を守りながら、研究インフラを通じて提供する価値の設定とともに慎重にデザインする必要がありました。そこで私はグロービスの仲間で、企業での研究開発の経験を持ち、アカウンティングやファイナンスに強い友人に協力を依頼しました。彼は会社でも非常に活躍していたので、「どうしても彼の力が必要なんです」と役員の方に頼み込んで、国家プロジェクトへ参画し助言してもらえるようにしました。さらにもうひとり、グロービスの卒業生仲間を通じて知り合ったマテリアル系の研究者で、素材業界の動向はもちろんのこと、組織間連携やコンセプトメイクに長けている人にも協力を求めました。

政府としても久々の大型戦略のもとで動き出したプロジェクトということもあり、内閣府や文科省、産業界や多数の大学、国研など多くの関係者が関与していて、多方面から意見をいただきました。その過程では困難な問題が度々生じますが、2人への相談を通じ、産業界のニーズを具体的に捉えることで、先端研究と産業貢献のバランスを取りつつ、戦略の策定から実行へと移すことができたと感じています。今はまだ戦略の実行フェーズで真の成果はこれからですが、グロービスで得たMBAのスキルに加えて、人的ネットワークが活きた事例として心に残っています。

規模で劣るなら、 研究開発の進め方でリードする。

最後にこれからの目標について教えてください。

日本は人口が減少し、テクノロジーが趨勢を決するようになってきた現代の産業においても国際的に非常に厳しい状況にあります。日本の研究開発の在り方は、変わらなければなりません。研究開発から生まれる価値を、いかに迅速かつ効率的に社会の価値に変えていけるかが、これからの研究開発には問われます。いわば、科学技術イノベーションのエコシステム形成が必要なのです。

その具体として挙げられるのが、研究開発のDXです。例えば、現在日本が国を挙げて推進している全固体電池の開発を例に見てみましょう。従来の電池は電気を生み出すための部材の一つである「電解質」というものが液体ですが、全固体電池はこの電解質を含めすべてが固体でできています。これにより、液体の場合に生じるような発火リスクを回避できるほか、エネルギー密度を大幅に向上させ、超急速充電を可能にするなどの多大な利点があり、電気自動車やモバイル用途を中心に注目を集めています。

全固体電池の開発で重要なのは、電解質や電極にどのような材料を使用するか。無数の元素による複雑な結晶構造の組み合わせから、優れた電気特性を持つ新材料をいかに速く見つけ出し、電池として技術を確立するかがカギとなります。その新素材を求めて、今世界中が研究を進めていますが、投資と人材の規模で勝る中国やアメリカと同じ手法では日本に勝ち目はありません。そこで日本は、国のプロジェクトを通じて様々な可能性を追究しています。その一つに、東京大学・東京工業大学の一杉太郎教授(写真上、右側が一杉教授)らとともに開発した、AIを活用して自律的に物質探索を行う研究ロボットシステムがあります。(写真右:AIとロボットを活用し、全自動かつ自律的に物質探索を行う様子)

AIやロボットを用いることで、人の手よりも遥かに高速かつ正確に研究を進められるようになりつつあります。また、これまでの研究では、研究者がまず仮説を立て、その仮説をひとつひとつ検証していましたが、AIとロボットを用いると最初に大量のデータを集め、そのデータの傾向やパターンから新材料の候補を見つけるという、仮説設計や予測の新たなアプローチ「マテリアルズ・インフォマティクス」が可能になります。これにより、人間の脳では想像の及ばない元素の組み合わせや新構造を発見できます。高速処理と新しいアプローチにより、諸外国に対して時間的優位を取れる。この種の研究開発は激しい国際競争のなかにありますが、電池材料などを自動合成する装置はまだ世界で日本にしかなく、機器メーカーとアカデミア、そして研究成果をもとに開発する産業界とが相互に乗り入れた連携体制をとることで、イノベーションを起こすための試行錯誤を高速で回しています。このような研究システムは、日本にとって戦略的な強みとなり得るものです。

AI、マテリアルなどを分野ごとに縦割りで研究するのではなく、さまざまな分野の研究者が共通のビジョンと戦略のもとに新たな融合領域を形成する。さらに研究と産業の枠も超えて一丸となって取り組めば、社会への実装も加速する。研究開発のDXを通じた新たなイノベーションエコシステムの形成です。物量や規模で劣るなら、研究の進め方そのものに革新をもたらすことこそが、日本の強みとなると私は確信しています。

20年後の未来、私たちの子供が大人になった次世代の世界で、日本がより輝くために、今できる最善の戦略を打ち出し、日本の科学技術イノベーションに貢献し続けていきたいです。

国立研究開発法人科学技術振興機構

研究開発戦略センター(CRDS)

永野 智己さん

大学時代は理学部で物理化学を研究、卒業後は科学技術振興機構(JST)へ入職。マテリアル分野における研究プロジェクトのマネジメントを担当。2007年よりJSTのシンクタンク部門である研究開発戦略センター(CRDS)へ。ナノテクノロジー・材料ユニットリーダーを経て、2018年より総括ユニットリーダー、JST研究監になる。シンクタンカーとして国の研究開発に関する調査・分析、戦略提案に従事する傍ら、文部科学省技術参与も兼務する。グロービス経営大学院2013年卒業。

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