お使いのブラウザはサポート対象外です。推奨のブラウザをご利用ください。

モノづくりの現場から経営戦略部門へ

大変革期を迎えた自動車業界。
デンソーのグローバル戦略の担い手は、
激変の時代をどう生き抜くのか

自動車業界は今、100年に一度の大変革期に突入している。ドイツの世界的自動車メーカーであるダイムラーのCEO、ディーター・ツェッチェ氏は2016年にこの動向を「CASE」という言葉で表現した。「Connected」「Autonomous」「Shared」「Electric」の頭文字を繋げたこのキーワードは、自動車の大量生産が始まった約100年前から今日まで続いてきた自動車産業のあり方に、未曾有のパラダイムシフトが起こりつつあることを象徴している。

そんな変革の真っ只中で、世界を舞台に挑戦を続ける一人の男がいる。世界シェアトップクラスを誇る自動車部品メーカー、デンソーのグローバル戦略室に籍を置く原雄介さんだ。経営トップのすぐそばで、自社そして業界全体の未来を見据える原さんは、現在にいたるまでにどのようなキャリアを歩んできたのだろうか。

昨今、自動車の概念は急速に変化している

社長とともに頻繁に海外出張へ出かける原さん。アメリカ、ASEAN諸国、インド、EU、さらにアフリカや南米にまで足を運び、文字どおり世界を飛びまわる生活を送っている。世界に200社以上のグループ会社と17万人もの従業員を抱えるデンソーグループにおいて、原さんが在籍しているのはグローバル戦略室。社長をはじめとする経営トップの戦略スタッフの一員として、全社戦略の立案・推進を担っている。

原氏:私たちはいわば、経営陣と現場を繋ぐ架け橋のようなポジション。社長の海外出張に同行した際は、工場やR&Dラボの視察、海外の各地域本社との経営会議のサポートなどを行い、それらを現場に共有する役割を担っています。

当社は2017年に「2030年長期方針」を策定しました。またそこに到達するまでの道筋として「2025年長期構想」を、それを達成するための組織改革ビジョンとして「経営改革5本の柱」を策定しています。私は多くの仲間とともにその立案に携わり、現在はそれらの実現に向けて経営課題の検討・解決に奮闘しています。

「2030年長期方針」の策定時に重視したのは、100年に一度の大変革期を迎えた自動車業界に対する危機感と、そこに柔軟に対応していこうとする前向きな意欲。世界の市場を自らの目で見ている原さんは、自動車の概念そのものが急速に変化している現状を肌で感じている。

原氏:自動車産業に携わる我々が直面する変化を「CASE」に沿って例を挙げてみましょう。「Connected」は自動車のネットワーク化。車両が通信機能を有し、周囲から情報を得たり互いに接続されたりするようになり、新たな価値がうまれます。また、競争相手がIT業界をはじめとするさまざまな企業に変わります。自動運転化を指す「Autonomous」は、交通弱者の移動を可能にしたり、移動中に他のことができる時間的余裕を生みだしたりします。つまり私たちの生活文化を変えることになるでしょう。

「Shared」は、自動車を所有する時代から共有する時代へとシフトし、ビジネスモデルが大きく変わるということ。そして「Electric」は、電気自動車の普及により車両を構成する部品が減り、自動車業界の構造が根底から変わることを意味しています。トヨタ自動車の豊田社長が発言されたように、まさに「勝つか負けるかではなく、生きるか死ぬか」のフェーズに私たちは立たされているのです。

そんな大変革に迫られている今、デンソーはどのような戦略で生き抜こうとしているのだろうか。

原氏:当社の強みは、「メカ」「エレキ」「電子」「ソフト」という幅広い製品群を持っていること。車の部品一つひとつを知り抜いたうえで、製品単体だけではなくシステム全体での価値を訴求することができます。それは、命を運ぶモビリティに欠かせない信頼性と、時代に合わせた柔軟なモノづくりの両方を実現できるということ。さらにそれを世界中に届ける力やネットワークもあります。

2030年長期方針では、これまでも重視してきた「環境」「安心」に加え、「共感」というキーワードも追加しました。いくら環境に優しく安心なモビリティ社会を実現しようとしても、それが押しつけになってしまえば普及はしません。

今、当社が注力すべきことは「仲間づくり」。社会に共感いただけるモビリティの形は、国や地域、状況によって多種多様です。それぞれが抱える課題を解決していくために、自動車メーカーをはじめ、異業種、ベンチャー、大学の研究機関など、さまざまなパートナーと連携を進めているところです。

現場経験で育まれた、
モノづくりに対する愛情

今や全社戦略を担う立場にいる原さんだが、新卒でデンソーに入社してから約7年間は生産技術部門に所属していた。大学では制御技術を専攻していたが、任されたのは塑性加工(材料に大きな力を加えて変形させ、理想の形状に加工すること)の新技術を開発する仕事。畑違いの分野に戸惑いながらも奮闘し続けた当時を振り返り、「モノづくりの仕事をこんなに好きになれたのは生産技術に携わったおかげ」としみじみと語る。

原氏:2年目のとき、独創的な技術にもかかわらず量産がうまくいかない生産ラインの立て直しに携わりました。はじめは本社の若手社員の言うことに誰も耳を傾けてはくれませんでしたが、問題を見える化し、まず自ら率先して行動することをひたすら繰り返した結果、徐々に現場の協力を得られるようになりました。1対1のコミュニケーションと、共通問題を可視化してお互いに問題に向き合うこと。プロジェクトマネジメントに不可欠なノウハウを学んだ貴重な経験でした。

モノづくりは、「開発して、製造して、クライアントに届けて、ユーザーからフィードバックをもらう」という一連の作業の中で多くの仲間とともに、いかに付加価値をつけていくかが勝負。それを一気通貫でマネジメントする仕事には、言葉では言い表せない達成感がありました。一人では得られないその達成感こそが、モノづくりの最大の魅力だと思っています。

その後、試作部の開発試作課に異動し、新製品とそれを製造する設備の開発に従事。専門性も社歴も異なるメンバーたちを束ね、ユーザーとなる開発部の意見を聞きながら、画期的なアイデアをスピーディに形にしていく役割を担った。そして入社16年目を迎えた頃、タイのアジア地域本社への赴任が決まった。

原氏:私のミッションは、アジア地域の生産拠点が抱える経営課題を解決するための戦略立案・推進。タイをはじめ、インドネシアやベトナム、カンボジアなど、各国の工場を飛びまわる日々を送りました。当時の工場は手作業中心のラインで、それだけ従業員も多く抱えていたため、各国の経済成長にともなう労務費の増加が懸念点でした。賃金が上がることは、その国にとっては素晴らしいこと。その中でいかに生産性を高め、ローカルスタッフにも自社にも有益な状態をつくるかが最大の課題でした。

解決策として着手したのは、工場のセミオートメーション化。タイだけでも複数の工場あり、それぞれが何百本ものラインを有する中、ローカルスタッフと一緒に1本ずつ調べて、自動化すべきラインと手作業にすべきラインを判断していきました。また工場としてありたい姿を明確に掲げ、物流や工場レイアウトの改善、従業員のモチベーションアップなども推進しました。

異国の地に家族で住まわせてもらい、ローカルスタッフと一緒に仕事をしていると、「地域のために」という思いが日に日に強くなっていきます。勢いと活気にあふれるこのアジアに少しでも貢献したい。そう思いながら毎日がむしゃらに働いていました。

そんな原さんが日本の本社に戻ることになったのは、タイに赴任してまだ2年というタイミング。全社の経営戦略を担う新部署に参画せよという、本社社長からの直々の指示だった。

原氏:アジアでのミッション達成にはまだほど遠い段階での、突然の辞令でした。後ろ髪を引かれる思いとはまさにこのこと。急遽引き継ぎを行って帰国し、具体的に何をするかも明確ではないまま経営戦略室(現在のグローバル戦略室)に着任しました。今でこそ20〜30人いる部署ですが、当時の専任メンバーはわずか4人。帰国早々、社長からの膨大な宿題に対応する日々に突入して、今にいたります。

未来を自分事として捉えるようになった、
2つの出来事

国内外の現場でモノづくりに奔走していた20〜30代を経て、現在は自社の未来を切り開く立場にいる原さん。「未来」というものを自分事として捉えるようになったのは、ある2つの出来事がきっかけだったという。

原氏:まずは、生産技術開発部にいたときに起きたリーマンショック。「製造業は今後どうなるのだろう」という漠然とした危機感が拭えない中、会社から残業時間短縮を推奨されて急に時間を持て余し、戸惑いを感じました。ちょうどその頃に子どもが生まれ、社会や未来についてより深刻に考えるように。これから日本の生産年齢人口が減り、世界との競争力も低下していけば、子どもが20歳になったときには働きたいと思える職がないかもしれない。私たちのようなモノづくりの会社は残っていないかもしれない。そんな不安が頭をよぎりました。

明るい未来を子どもたちに残すには、日本企業がモノづくりの力だけでなく、ビジネス創出やイノベーションの力も備える必要がある。それを担えるだけの能力を自分でも身につけておきたい。そう考えて、仕事をしながらグロービス経営大学院に通い始めました。グロービスで学んだ実践的な経営学は、モノづくりの現場のマネジメントはもちろん、その後経験したどの部署でも活かすことができています。

グロービスには3年通いましたが、その間に東日本大震災が発生。未来への不安が再びよぎる中、被災地の力になろうといち早く行動したり起業したりするグロービス生がたくさん現れ、将来を漠然と考えて不安に苛まれても何も変わらないということに改めて気づかされました。今よりたった1%でも前向きな行動をすれば、それを100回続けた頃には威力が3倍になっている。反対に今よりたった1%でもネガティブな行動をすれば、100回続けた頃にはそのネガティブが3倍に膨れあがってしまう。不安があっても未来に向かって前向きに行動することの大切さは、この頃に実感したような気がします。

仕事でのさまざまな経験とグロービスでの学びを通じて、モノづくり+αの力を身につけた原さんには、これからも強化していきたい2つの力があるという。

原氏:1つは、独自の構図をつくる構想力。誰かのモノマネではなく、自分ならではの構想で未来を描いていきたい。ふわっとしたアイデアを因数分解し、構造化して具現化する、その積み重ねで身についていく力かなと思います。

もう1つは、実現力。構想を絵空事で終わらせないように、人を巻き込む力や束ねる力を発揮しながらリアルな世界で実際の形にしていく力です。私たちの仕事は、素晴らしい戦略を考えたからといって何かを変えられるわけではありません。現場の一人ひとりの意識や行動を変えることで、初めて状況が動くのです。

当面はグローバル戦略室の仕事に全力を尽くしたいですが、将来的には別の領域にもチャレンジしてみたい。やっぱりモノづくりが好きなので、構想から考えて、現場で実際に形にしていくところまで一貫して手がけてみたい気持ちもあります。エレクトリフィケーションシステム事業(電動化システムなどの開発・製造)とかは特に興味がありますね。モノづくりで培った経験と経営戦略で培った経験、どちらも活かしながら、自社そして日本が世界に価値を発信し続ける存在になれるように貢献していきたいと思っています。

株式会社デンソー
グローバル戦略部 グローバル戦略室 担当次長

原 雄介

埼玉大学大学院修了後、1999年株式会社デンソーに入社。生産技術開発、生産システムと工程設計、開発試作、生産供給体制企画など、モノづくりの幅広い業務に従事。ASEAN地域本社出向を経て、2016年より経営企画部門へ異動し、中長期全社戦略立案・推進を担当。「21世紀のモノづくり企業への進化」を目指して活動中。共著に『創業300年の長寿企業はなぜ栄え続けるのか』。グロービス経営大学院2013年卒業。

肩書はインタビュー当時のものです