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シリコンバレーと日本の架け橋となるイントレプレナー

シリコンバレーで事業開発と組織改革に挑む。
パナソニックの越境イノベーターが抱く「志」

肩書はインタビュー当時のものです

「パナソニックを使いこなす、圧倒的に。」——これはパナソニック株式会社のシリコンバレー拠点で活躍する中村雄志さんのモットーだ。2004年に新卒で松下電工(現パナソニック)に入社し、生産技術・商品開発・経営企画などを経て2017年にシリコンバレーへ赴任。現在はアメリカと日本の計4部門に所属し、事業部門とコーポレート部門で、事業開発と組織変革の業務を兼任している。

「日本の大企業で新規事業が生まれにくいという課題を自らがモデルケースになって、解決するための具体的な選択肢を世の中に提示したい」。そう語る中村さんの志はどのようにして醸成されたのか。今取り組んでいるミッションや大切にしている仕事観についてお伺いしつつ、紐解いていった。

パナソニックを進化させる新規事業

2020年1月にラスベガスで開催された展示会「CES 2020」で、生活をアップデートするさまざまなプロダクトやサービスを発表したパナソニック。2018年に本格始動した「くらしの統合プラットフォーム『HomeX(ホームエックス)』」の次なるステージの発表にも注目が集まった。

「HomeX」は、家の中にある家電や住宅設備の機能を統合し、高度な分析と機械学習を通じて一人ひとりに適した生活提案を行うプラットフォーム。簡単にいえば、家電などを介して「人」と「くらし」を結びつけ、より豊かな生活を実現するというものだ。中村さんが現在携わっている事業開発のひとつである。
「HomeX」Webサイト

中村氏:私は5人家族ですが、例えば、子どものいる家庭の朝はとても忙しいですよね。家事をこなさなければならないのに、子どもが起きてこなかったり、忘れものをしたり…と細かな課題がたくさんあります。個人的には、そんな課題も解決できるようになることが理想です。HomeXの事業開発では、家庭科の授業で出てくるような「くらし」にまつわる様々な課題解決を志向しているので、プロジェクトメンバーの間では「家庭科を産業化する」「柔らかい領域を狙う」なんて形容しています。「HomeXで人々の暮らしをよくするという取り組みは、これまでに科学の進歩で明らかになってきた『幸せ』や『豊かさ』、『充実した気持ち』というサイエンスをエンジニアリングし、それをプロダクトやサービスにしてビジネスにする」という表現もしています。

CES 2020では、ユーザーの行動を自動認識するハード・ソフトの仕組みを新たに発表。「スポーツニュースを聞いていると壁に試合状況が投影される」「テーブルで食事をすると、メニュー情報やおすすめワインの情報が流れてくる」といった、生活をより豊かにしてくれるデモ展示が行われた。

中村氏:「HomeX」はユーザーのパーソナル情報を学習するので、そこに住む人たちのライフスタイルや好みに合うように提案も進化していきます。生活すればするほど毎日が豊かになっていくことが理想です。

パナソニック代表取締役社長の津賀一宏氏は、CES 2020で自社の課題と目標についてこう言及している。「アナログでの顧客接点はうまく作れているが、デジタルでの顧客接点を強化してエクスペリエンスに強い企業になりたい」。

実は中村さんは、このビジョンに近い新規事業をいち早く推進していた。2017年にシリコンバレーの拠点に赴任した当初に担っていたミッション、IoTサービス「ENY(エニー)」の立ち上げである。渡米前の中村さんの所属は経営企画部門。経営幹部とともに経営企画に携わるかたわら、サイドワークとして「ENY」の事業開発を進めていたのだ。

中村氏:パナソニックの再編で2015年にメカトロニクス事業部が発足し、成長戦略として「モノ売りからコト売りへ」という方針が打ち出されました。既存事業であるモノ売りだけを続けていても事業成長は限定的で、事業がシュリンクしていくリスクがある。組織としては、従来型の事業開発と非連続的な事業開発に加えて、リーンスタートアップによる事業開発サイクルの加速に挑戦する戦略を描き実行していくことが急務。社内にユニークな技術シーズが点在していたものの、なかなかリーンスタートアップ型の事業開発が実行されない現状を見ていた私は、経営企画の業務と並行してサイドワークとして「ENY」の事業開発を進めました。

当初の「ENY」は、ワンタッチホームオートメーションというコンセプトでした。ボタンを押すだけで信号がクラウドに届き、室内の照明が切り替わったり、天気予報が表示されたりします。

学習機能もついており、部屋の壁に設置すれば押すたびに快適な生活を実現してくれるというサービスです。

もともと日本で始めた事業でしたが、2016年にオースティンの世界的イベントSXSWにパナソニックとして初のブース出展をし、シリコンバレーでもハッカソンも開催し、そこでの顧客反応に手応えを得ました。それにより、ビジネスの価値検証の場をシリコンバレーに決めました。2017年には、シリコンバレーで、「eny home」サービスとして、シリコンバレーでコンシューマー向けにリリースして顧客価値を検証するために渡米させてもらいました。最初は期間限定の予定だったので、家族は日本に残して一人で赴任。その後、本格的にシリコンバレーで事業開発を進めるべく、2018年には一家でアメリカへ渡りました。

その後「ENY」は進化を遂げ、現在は「ENY feedback」という名称で複合施設向けに展開されている。「Awesome!」「Good!」「Bad」といった3種類のボタンを施設内に設置し、顧客に押してもらうだけで、商品やショッピング体験に対する好みや満足度を集計できるデバイスだ。
「ENY(エニー)」Webサイト

中村氏:「ENY feedback」は、顧客体験や感情をデジタル化してフィードバックします。ハードの顧客接点に加えて、デジタルでの顧客接点を強化し、ユーザーエクスペリエンスに強い企業になるという自社のビジョンを、まさに体現するプロダクトです。リテール、スタジアム、イベント会場等の顧客体験向上や、現場オペレーションの業務効率化に貢献できます。

来場者がフィードバックボタンを押してフィードバックをする電池不要のハーベスタ機能を内蔵した「データ収集ツール」、収集データをサーバーに蓄積する「サービスプラットフォーム」と蓄積データを分析・結果表示する「デジタルUI」をワンパッケージで提供。将来的には、最新利用事例の通知や、ソフトウェア機能のアップデートによりお客様へのお役立ちを進化させることも考えています。シリコンバレーからスタートしましたが、今では、アメリカだけではなく日本でも徐々に普及するサービスへと成長中です。例えば日本では、サッカーJリーグの複数のチームで、スタジアムの顧客体験向上のために利用して頂いています。お客様に対して貢献できていることが嬉しいですね。特に、今シーズンからサービスを利用して頂いているJリーグの水戸ホーリーホックは私の地元でもあるので、そこにこのような形でお役立ちが出来る事を嬉しく思います。

事業開発と組織改革の両立

日本に残って経営企画を続けるか、シリコンバレーで腰を据えて新規事業「ENY」に専念するか。決断を迫られた中村さんが「ENY」を選択した理由は何だったのだろうか。

中村氏:短期的にインパクトの大きい経営企画の仕事にはやりがいを感じていました。車載事業や海外拠点の成長戦略構築、非連続成長に向けた大型プロジェクトの提案、ベンチャー協業の推進、社外メンターの招聘、人材育成と事業開発を兼ねた社内アクセラレータープログラムの開発、など。大企業の動かし方も学べたと思います。

ただ、当時30代前半の私にはスキルと経験の両面が未熟で、思うようにいかない場面も多かったです。この仕事は自分よりうまくできる人が他にもっといる、どこかでそう感じていたのです。

一方で新規事業は、ロジカルに考えると失敗する理由しか出てきませんが、そこをリスクテイクしながら個人の打開力で突破していくことが求められます。既存事業に必要な「リスク回避のための確実性」ではなく「事業機会の可能性」に目を向け、実現するためにはどうするかを模索していく。そう考えたときに、自分の力をより発揮できるのは、自分がいなければ止まってしまう新規事業のほうだと思いました。そうやって、「自分にしかできないこと、自分のストロングポイントが最大限活かせることはなにか」を見極めて突き進んできました。

シリコンバレーに活動拠点を移した中村さんは、「HomeX」事業を推進する「Panasonic β(ベータ)」と同じエリア内で働くことになった。Panasonic βとは、パナソニックのビジネスイノベーション本部がシリコンバレーに設立した組織。「イノベーションの量産化」を通じて企業文化を変革することを目的としている。
中村さんは赴任当初からPanasonic βで、コーポレートイノベーション担当の馬場渉参与とよくコミュニケーションをとっており、Panasonic βへのジョインのオファーも受けていたという。

中村氏:当時の私は、事業部での「新規事業開発と組織変革」のモデルケースを創ることに拘り、Panasonicβの話は断りました。その後、「ENY」の事業開発によりQUNATUM社とのリーンスタートアップ協業スキームが組織に定着しました。北米で赴任当時に担当していたテーマの一つである人体通信技術を応用したエンタメ向けビジネスは、日本で事業として立ち上がりました。自分が採用に関わったビジネススクールの友人がプロジェクトを引き継いで、パワフルに推進してくれたプロジェクトで、感慨深いものがありました。

事業部での私の経験を、パナソニックのより広い範囲で貢献したい想いが芽生え、2019年からPanasonicβでも仕事をする事になりました。これまで、工場の生産技術としてキャリアをスタートし、様々な仕事を担当してきました。最近では、スティーブ・ジョブスが「Connecting The Dots」と言ったように、離れているものが後々につながったり新しい価値になったりする瞬間がやってくることを実感していましす。Panasonicβでの活動も含めて、私がシリコンバレーでの3年弱で学び、いま拘っていることは、「リーンスタートアップ」、「シリコンバレー活用」、「チームのダイバーシティ」の3つです。

1つ目の「リーンスタートアップ」のコアの考え方であるプロトタイプを作ってユーザーに使ってもらって改善する、というユーザー中心の事業開発プロセスを組織レベルに実践可能なレベルに浸透させ、事例を増やすこと。それにより、高速でビジネスの価値検証をし、その後に大企業の組織・チャネルで事業スケールさせることが理想です。2つ目の「シリコンバレー活用」については、私が経験してきた事をパターンとして組織の資産にしたいと考えています。B2CでもB2Bでもアーリーアダプター気質の人が多く存在するこの場所は、プロダクトやコンセプトのマーケティングに適しています。また、ここに存在する多くの企業は、野心的で事業規模を狙う活動をしているため、顧客としてもパートナーとしても、事業スケールに向けて魅力的です。最後の3つ目「チームのダイバシティ」は、自分でシリコンバレーで仕事をはじめて、失敗するまでは、その力を自覚できていませんでした。

「ENY」では、ハード開発は日本のエンジニアが行い、ソフト開発とUI/UX開発はシリコンバレーのスタートアップや起業家を中心に構成しています。最先端のトレンド、プロダクト、技術を熟知していて、ユーザー中心の考え方であるリーンスタートアップやデザインシンキングに慣れ親しんでいる社内外のメンバーをを混ぜることを重視しています。それにより、ダイバーシティがある組織になり、イノベーションが生まれる可能性が高まることが期待できます。大企業の弱点と言われてるスピード不足と社内指向を是正する効果もでます。スピードも大企業単体チームよりも上がります。これらのプロセスは、実行が本当に難しいですが、選択肢として組織に浸透させ、定着させたいと考えています。

中村さんは現在、Panasonic βとの兼務に加え、ハードウェア販売を担う日本の社内カンパニー「インダストリアルソリューションズ社(IS社)」の新規事業担当、さらにアメリカ向けプロダクト販売の現場責任者という日米をまたぐ計4つのポジションを越境し活躍している。その根底にあるのは「AorBではなく、A&Bどちらもやる」というポリシーだ。

中村氏:企業を本気で変革するには、組織を変えるだけではダメ。売れる商品の開発、つまりユーザーへの価値創造が不可欠です。だから「事業開発」か「組織改革」かを選択するのではなく、両方に携わるという道を選びました。

現業務では、事業部門であるIS社と、コーポレート部門であるPanasonicβの両組織で、モデルプロジェクトの事業開発と組織開発に挑戦しています。極端な2つの事例を当事者として経験できている事には、本当に感謝しています。昔から人には恵まれていて、今もシリコンバレーで奮闘している社内外の仲間達には助けられてばかりです。事業部で成功事例を創り、事業部での貢献に加えて、パナソニック全体への展開も進めていきたいと考えています。それぞれで培ったものを相互に活かせるよう、まさに「Connecting The Dots」の信念で取り組んでいます。

「パナソニックを使いこなす、圧倒的に。」をモットーに、社会課題をも解決する

日本に勤務していた頃、中村さんはグロービス経営大学院でMBAを取得している。エンジニアとして開発を担当していた新商品の企画面での頓挫、松下電工のパナソニック統合による大規模赤字などを経験し、自らの手で新規事業を企画したいという思いが芽生えたことがきっかけだった。

中村氏:グロービスでの学びが実務に活きていると感じる瞬間は多くあります。まず、経営の定石を学べたことで新規事業を進めやすくなりました。ステークホルダーと共通言語で効率的に話せますし、経営資料を読めば顧客の現状や課題の大体は掴めるからです。

また、自分の「志」が明確になったことも私にとって非常に重要でした。新しい価値を生み出す仕事は、ロジカルに考えれば考えるほどやらない方がよい理由ばかりが浮かび、時々「なぜこの仕事をしているのだろう」と思い悩むことがあります。そんなときに「志」が明確だと、自分の「やりたいこと」と「やっていること」をすり合わせることができる。「志」の存在が迷ったときの支えになってくれることを何度も実感しています。

「パナソニックを使いこなす、圧倒的に。」をモットーに自らの「志」を昇華させ、事業開発と組織改革、アメリカと日本を股にかけてチャレンジし続ける中村さん。今後はさらに自社を「使いこなしていきたい」と語る。

中村氏:日本の本社からすると、シリコンバレーにある組織はPanasonicβもENY現地チームも、いわば「出島」。本社とは別のカルチャーや成長戦略があり、いろいろなことをスピーディに試せる場でもあります。大企業を一気に変えることはできませんが、新しい事業開発や人材育成のプランを出島組織で仮説検証して本社に戻すということを繰り返しながら、影響範囲を拡大させていけば、企業変革は実現できるのではないかと考えています。

また、そのノウハウを自社にとどまらず他の企業に共有していくことも、今後の目標のひとつ。大企業で責任と権限が限定的な場合でも、特定の組織や事業を変えることで企業全体を変革していくことは可能です。まずは私がモデルケースの一つとなってそれを体現し、「日本の大企業では新規事業が生まれにくい」という社会課題を解決していきたいです。

人口が減っている今の日本は、このままではどの企業も衰退の一途をたどってしまう。でも、その逆境は企業が本気になる理由になります。大切なのは「成長の可能性」を打ち出し続けていくこと。未来への可能性を信じてチャレンジをする組織や人が増えれば、日本は必ず再成長できると信じています。私たちの打ち出す可能性が、自社や世の中の企業を本気にさせるきっかけになることを願っています。

Panasonic Corporation of North America
Senior Project Manager

中村 雄志

立命館大学大学院を修了後、松下電工(現・パナソニック)に入社、伊勢工場配属。電子部品事業の生産技術、研究開発、商品開発、経営企画、商品企画を経て、2017年よりシリコンバレーの販売会社に駐在。2020年には、CTO傘下のイノベーション推進部門へ異動。グロービス経営大学院には2013年に名古屋校へ入学し、2016年に大阪校を卒業。

肩書はインタビュー当時のものです