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「地方には宝がたくさん眠っている」個人で旅行業をスタートした宇都宮千愛が地元・阿蘇にかける想い

「地方には宝がたくさん眠っている」個人で旅行業をスタートした宇都宮千愛が地元・阿蘇にかける想い

目次

「やりたいことが分からない」
多くの若手が悩んでいます。
一方で、「キャリアの転換点の8割が、本人の予想しない偶然の出来事によるもの」とも言われています。
では、「やりたいこと」を見つけた人たちは、どのような転換点を経て今の道を見つけたのでしょうか?

今回インタビューしたのは、大手旅行代理店HISで15年務めた後に、地元・熊本県阿蘇郡南小国町にUターンし、『合同会社MOYAI』を立ち上げ、個人で旅行業を始めた宇都宮千愛さん。

HIS時代には支店長も経験し、"全力投球"でバリバリと仕事に取り組んでいた、自他ともに認める「キャリアウーマン」。
宇都宮さんが独立に至った経緯や、MOYAIを通して実現していきたい想いについて、お伺いしました。

<聞き手・文:新宅千尋>

P_1.jpg(ZOOMにてお伺いしました!)

念願の旅行業界へ。完全実力主義に苦戦

ーさっそくですが、ステキなZoom背景ですね。

ありがとうございます!
今私がいる、阿蘇郡南小国町の「押戸石の丘」の風景です。
阿蘇といえば、世界一大きな「カルデラ」をイメージされる方が多いのではないでしょうか。
そのカルデラを、北側から撮影した写真になります。

ー自然がすごく豊かですね。

そうなんです。
阿蘇は、四季によって表情が変わる場所でもあるんですよ。
夏は緑豊かな草原が広がり、秋には夕日と共に黄金の絨毯に。
そして、冬には真っ白な銀世界となり、春には「野焼き」が行われ枯草を全て焼き尽くすため、黒い景色に変わります。

阿蘇の四季の風景.jpg
(左上から時計回りに、春夏秋冬の景色)

有名な黒川温泉をはじめ、温泉もいたる所にあり、良い意味ですごく田舎。
今の事務所も山奥のさらに山奥、『ポツンと一軒家』で出てくるような所にあります(笑)。

IMG_6090 (1) (1).jpg(築150年の納屋を改装した事務所)

ー宇都宮さんは今個人で旅行業をされ、新卒ではHISに入社しています。旅行業に興味をもったきっかけは?

理由はいくつかあるんですが、1つは高校時代の修学旅行の時に出会った添乗員さんに憧れて。
男性の添乗員さんだったんですが、かっこよかったんですよ(笑)。
もう1つは、小さい頃から実家がホームステイ先としての受け入れを積極的にやっていたこともあり、自然と海外とつながる仕事がしたいと思うようになりました。

目標が決まればどんどんと進みたい性格なので、私自身は高校卒業と同時に働き始めたかったのですが、親に「大学には行ってくれ」と泣きつかれ、折衷案として観光専門学校に18歳で入学しました。
高校時代はバイトと遊びに明け暮れていたのですが、人が変わったように勉強してましたね。
総合旅行業務取扱管理者の国家試験にもパスし、20歳でHISに入社しました。

ー念願の旅行業界。HISに入社できた時は、すごく嬉しかったのでは?

そうですね、まず受かると思ってなかったんですよ(笑)。
当時、専門学校卒の枠も1~2名と、すごく限られていたので。
そのせいもあって、愛社精神はとても高かったですね。
今振り返ると、「ちょっとのめり込みすぎでは?」と思うくらい。
日々「この会社に入れて幸せ~!」という気持ちでいっぱいでした。

ー入社してからは、どのような仕事をされていたんですか?

店頭のカウンターセールスで接客や旅行手配を行っていました。
ただ、現実はそう甘くなくて...。
HISは実力主義の会社で、人事評価も基本的に業績中心。
「同期の誰にも負けたくない!」と意気込んでいたのですが、思うように業績を伸ばせずに、自信が持てない日々が続いていました。
業績が悪かったり、ミスをするたびに、大きく落ち込んでいましたね...。

でも、4年目の時に転機が訪れました。
元々いた店舗よりも、小規模の店舗に異動したんです。
それまでの私はどちらかといえば不器用なタイプで、目の前のお客様に一生懸命になって、1件あたりにかける時間が長いこともあり、数をさばけなかったんですね。
異動してからは、職場の雰囲気も合っていたおかげが、自分のペースで仕事ができるようになり、リピーターもついて、毎月安定した業績を出せるようになりました

順調に進み始めるも、うつ病で1ヵ月休職

ー職場の環境って大事ですよね。

そうですね。
結果、年間優秀賞を受賞することもでき、少しずつ自信を持てるようになってきました。
ただ、案件を取ってきてる分残業も多く、徐々に気持ちに体が追いついていかないことへの戸惑いが出てきました。
とりあえず会社には行くんですよ、職場での人間関係は一切悩んでいなかったので。
でも、連日の残業で体が本当にきつくて、思うように仕事が手につかないことが増えてきました。
上司も「がんばりすぎだよ」と心配してくれて。
人事部から「無期で休んだらどうか」と提案を受け、1ヵ月間休職しました。
今思えば、軽度のうつ病だったんですね。
休職中は、入院もしました。

P_2.jpg(一時は退職を真剣に検討するほど、追い詰められていたそう)

ー気持ちに体が追いつかない。つらいご経験ですね...

実は、結果として「よかったなあ」と思うこともあるんですよ。
復職後は、気分の波がなく楽観的な考え方もできるようになり、上手くメンタルコントロールができるようになったんです。
それまでは、朝からひどく落ち込んでいたり、逆にハイテンションだったり、感情の乱高下が激しかったんですね。
そういった感情の波をできるだけ無くそうと意識しました。
ミスしても、「なんとかなるよ。命までは取られまい」と考えるようになりました(笑)。
そのスキルを身につけてからは、だいぶ心も楽になり、精神的にもタフになりましたね。

パワーアップして復帰。一度は諦めた夢が叶う

ーパワーアップして戻ったんですね。

また元気にバリバリを働き始めたのですが、6年目の時にショックな出来事がありました。
ライバルであり、最も仲の良かった同期が、上司になったんです。
もう「悔しい」の一言。
プライドもズタズタです。
心の中では嵐のようなザワザワした感情が渦巻いていたのですが、それを見せるのもなんだか悔しく、「今は人間性が試されている時だ」と自分に言い聞かせ、彼女の支援に徹しようと思いました。
その頃から「社会人として、組織の一員として、どう振る舞うべきか」を強く意識するようになりました。

そして、彼女はそんな私を評価してくれたんですよ。
翌年、地元・熊本の大規模店へ異動し、支店長代理に昇格することができたんです。

ーちゃんと宇都宮さんのことを見てくれていたんですね。

そうですね。
支店長代理は、NO.2のポジション。
うつ病で入院した時には、「支店長になる夢はあきらめなければいけないのかな...」と思っていたので、すごく嬉しかったですね。
でも、ここから2~3年はとにかく激務。
自宅の部屋も構っている余裕はないので、ちらかり放題(笑)。
当時一緒に働いていた人たちは、いわば「戦友」で、今もすごく仲が良いですね。
「あの時すごかったよね~」と笑い話にしています。

そして、激務ながらもメンタル的にやられることはなく、9年目の29歳の時に支店長に抜擢されました。
入社時「30歳になるまでに支店長になりたい」と思っていたので、1つ夢が叶った瞬間でしたね。

P_3.jpg(試練を乗り越えて強くなる。まるでドラゴンボールのような世界です)

ー一度はうつ病であきらめかけた夢。ことさら感慨深いものがありますね。

これまで以上に激務になりましたが、充実していました。
会社から求められるものも変わってくるので、走りながらいろいろなことを学んでいきましたね。
店舗の営業利益がそのまま支店長の業績になるんですが、PL(損益計算書)の見方も当時全然分からず、最初の営業利益は68万円だったんですよ。
7人の店舗でみんな一生懸命やっていたのに。
「どうゆう経営したらこうなる~!?」と愕然しました。
それからは、「利益率をとにかく上げなきゃな」と考えたり、マーケットや自社の強みなどもちゃんと分析するようになって。
粗削りでしたが、とにかくがむしゃらにやっていたら結果も出てきて、その年の国内200店舗から選ばれる優秀支店賞を受賞することができました。

熊本地震の発生。突然奪われた日常

2016年は、熊本地震が発生しました。仕事へも大きな影響があったのでは...

そうですね。
地震があったのは、4月14日午後9時半。
新入社員が2週間の研修を終えて、店舗に配属された2日目とかだったんです。
「明日から3連休だし、とりあえず飲みに行きましょうよ」と部下に誘われ、みんな飲みに行ってたんですね。
「私も仕事が片付いたら合流するから~」と見送って、1人で会社に残っていた時でした。

突然きた震度5強の揺れ。
パソコンもバタバタと倒れ、本当に怖くて。
急いで部下の安否確認をし、当時の上司がたまたま東北の震災を経験していたので、「いつ物資が届くか分からないから、食料を確保しておきなさい」と指示され、コンビニへ走りました。
会社に戻ってきたスタッフたちも、みんなその日は家に帰りたくないということだったので、会社に泊まり込みました。

P_地震後の自宅の様子.jpg(宇都宮さんの自宅の様子)

翌日深夜に震度6強の本震にも見舞われ、さらに被害が広がりました。
そこからは、一人暮らしをしていた県外のスタッフは実家に帰し、有志で残ってくれたメンバーで顧客から次々とくるキャンセル処理やクレーム対応、航空会社への交渉をひたすら行っていました。
結局、1ヵ月間自宅に帰れずに、会社に寝泊まりしていましたね。
不安な日々が続き、体調を崩すスタッフも出てきたり。
売上も当然大きく下がりました。

ー突然奪われた日常。壮絶な日々ですね。

でも、私はただじゃ起き上がらない人間なので(笑)。
海外支店に協力をしてもらいながら、「30日間5万円」というキャンペーンを新たに始めました。
当時、余震が毎日20回くらいあり、住民は全く心休まる日はありませんでした。
そこで、熊本県民を対象に、北海道、仙台、グアム、バリなど、どこに行っても30日間5万円で宿泊できるセール商品を作り、新聞広告を出したんですよ。
5万円は、航空費とホテル代込みの価格です。
ほぼボランティアですよね。
考えに賛同してくださった、航空会社や宿泊施設に、ほぼ無償で提供いただいた商品です。

そしたら、次は申し込みの電話が殺到して。
スタッフたちは大変だったと思いますが、前年比10%になっていた売上が、10月末には年間売上が前年比100%を超えていました

グロービスで学ぶ仲間に感銘を受け、退職を決意

ーいろんなことが起こった怒涛の期間ですね。

徐々に日常を取り戻していったのですが、さらなる試練が訪れて。
地震発生の翌年、34歳の時に持病が悪化したんですよ。
命への支障はないものですが、激務や日々のストレスで日常生活もままならないくらいになっていて。
部下には見せないようにしていましたが、本当につらかったですね...。

またこの時くらいから、会社の方針に納得がいかないことが増えてきて。
支店長会議でもたびたび疑問を投げかけていたのですが、納得できるような上層部の回答を得られずモヤモヤがつのっていく日々でした。

営業本部への異動もあり、海外ツアー企画のミクロネシアマネージャーになったのですが、仕事量は減らず、海外出張に休日出社と、ハードな毎日。
持病のため1ヵ月入院をし、その後は体調が好転したものの忙殺され、自分がやりたいことが思うようにできずにいました。

でも、「会社を変えていきたい」という強い想いがあったので、そのためには誰からみてもあの人は信頼に値する、説得力があるマネージャーを目指さなければならないと考え、ビジネススクールで学ぶことを決めました。

ーそれが、グロービス経営大学院との出会いだったんですね。

『MBA』という言葉は知っていたんですけど、それまで国内で取得できるとは思ってなかったんです。
すぐにグロービスの体験クラスに参加して、単科生に申し込みました。
そしたらもう、本当に楽しくて。
授業後の懇親会とかも、3時くらいまで飲み歩いてましたね。
仕事に関する悩みもよく相談していました。
クラスメイトのバックグラウンドも多種多様で、部長クラスの人もいます。
そういった人たちが真剣に学び、授業のディスカッション中でも果敢に発言しているんですよ。
たとえそれが間違っていたとしても。
恥じずにチャレンジし、真摯に学ぶ姿勢を見て、感銘を受けました。
これまで私はHISという会社しか知らなかったんですが、社外への興味が強くなり、15年務めたHISを退職する決意をしました。

P_4.jpg(多様なキャリアを持つグロービス生との出会いが大きな転換点に)

地方には『宝』がたくさん眠っている。個人で旅行業をスタート

ー退職後の道はどのように決められたんですか?

それまでは「仕事一筋!」という生活を送っていたのですが、退職を意識し始めてからは仕事以外にも目を向ける余裕が出てきました。
15歳の時に親元を離れて一人暮らしをしていたこともあり、親との時間がまったく持ててなかったんですね。
実家は、熊本県阿蘇郡南小国町という、いわゆる「田舎」です。
今後、地方にとって「観光」がキーワードになるのは、HIS時代からもなんとなく分かっていて。
「田舎で何かチャンスを作れるかもしれない」と考え、地元にUターンし『MOYAI』を立ち上げ、個人で旅行業を始めることにしました。

MOYAI_TOPページ.jpg(MOYAIの公式サイトより。左上のロゴは、デザイン会社に勤めるグロービス仲間が作成)

ー退職前から、独立や起業は意識されてたんですか?

そうですね。
一度組織というものから離れて、もっと自分の可能性を試してみたいと考えるようになりました。
一番の決め手は、「仕事一筋!」みたいな価値観のもと、持病を抱え満身創痍な中で働き続け、部長になり地位も権力も社内で得て、年収も上がって、「じゃあそれが自分の人生の喜びか?」と考えた時に、いや違うなと思うようになったからですね。

ー起業への不安はありませんでしたか?

もう不安ばっかりですよね(笑)。
「やっていけるのかなあ」とか。
起業したのは、2021年4月というコロナまっただ中ですし。
でも、旅行業で良かったと一番思える点は、投資がほとんどいらないんですよ。
例えば、同じ観光業界でもホテルや旅館を運営しようと思ったら、建物がいるじゃないですか。
新しく建てるか、中古で購入するか。
すごくリスクがありますよね。

一方で、旅行業の場合は無形の商材なので、初期投資に莫大な費用がかかりません。
例えば、隣のおばちゃんがやってる畑での収穫体験と、近くの温泉の旅館の宿泊をくっつけて商品化する。
旅行業の資格を取得さえすれば、これだけで販売可能なんです。
田舎のすでにあるもの同士をつなげて1つの商品にすることができるんです。

P_収穫した野菜.jpg(地元で農薬不使用にこだわる農家さんにご協力いただきながら、季節の野菜を収穫体験)

こう聞くと、非常に手を出しやすく、始めやすい業界ですよね。
もう「やるか、やらないか」という話です。

田舎でもまだまだ発掘されていないものがたくさんあるんですよ。
観光というと、建物や有形の文化遺産を観ることが多いんですが、「〇〇体験」や「〇〇作り」といった無形の体験が商品になる可能性が今後大いにあると思います

P_調理の様子.jpg(収穫した野菜は自分たちで調理し、その日の夕食に)

ー今は、どのようなことをされているんですか?

仕事というよりは、まずは勉強しながら、いろんな地域課題とか地元の人たちがどんなことを考えているかとか、探る1年ですよね。
田舎ということもあり、いろいろと紹介いただけて、行政や観光協会から業務委託を受けて、そのミッションをこなしながら食いつないでいます。会社時代の貯えもあるし、今は毎月食費さえ入れることができればいいかなと思っています。

ただ、自分で考えた企画をやる方が100倍楽しくて面白いので、来年度はそちらを重点的にやっていきたいですね。
コロナ禍ですが、日常も徐々に戻ってくると思うので、主にヨーロッパの方向けの販売を目指し、準備を進めています。
今は海外のお客様を呼べないので、国内向けに「草原の中のホテルにシェフを呼ぶ食事会」企画とかもやったりしたんですが、手応えを感じています。

P_草原の見えるホテル.jpg(標高920m、阿蘇とくじゅうのほぼ真ん中にある瀬の本高原に位置する絶景ホテル)

ーハードワークだった会社員生活から一変。今の生活はいかがですか?

本当に幸せですね、いい時間を過ごさせてもらっていると思います。
HIS時代はハードでしたが、そのおかげで今の私がいる。
何にも代えがたいものです。

両親とゆっくり話をしたり、お月見しながらテラスで飲んだり。
結婚を考える余裕も出てきて、今年はじめお付き合いをしていた人とも籍を入れました。

そういう人生のゆとりをかみしめながら日々過ごしています。

決まった勤務時間がないので、本当に自由ですよ。
ある日は朝6時からやって夕方には終えたり、一日何もしない日もあったり、深夜2時までやる日があったり。
気楽にやっています。
年中ワーケーションみたいな感じですよ。

ー最後に、やりたいことが分からず、自身のキャリアに悩む若手にメッセージをいただけますか?

社会人生活を送る中で、仕事や組織に疑問を持っている人ってたくさんいると思います。
でも、あんまり悩みすぎずに、転職や起業をしてみてもいいんじゃないかな。
「年収の高さがすべて」という価値観だったら別だと思うんですが、もし今独身で自分一人が食べることができればいいやという状態だったら、人生100年時代、いろんなことにチャレンジしてもいいのではと思います。
だって、納得感を得ずに仕事をすると、確実にパフォーマンスは落ちていきますし、何より自分をごまかしながら仕事するのは辛いですよね。

"やりたいこと"がもしあるのであれば、それをチャンスと捉え、人生100年楽しむことを優先してみるのも一つの生き方だと思います。
一歩踏み出すことで、これまでとは違う価値観や人生観に出会うこともあります。
苦労や面倒なことはたくさんありますが、人生の満足度は確実に向上するはずです。
グロービスで、私はそういった前向きな思考も自然と身に付けることができました。

ー宇都宮さん、ありがとうございました!

>>「やりたいこと」を見つけるヒント!『私の転換点』一覧は、こちら

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著者情報

新宅 千尋(グロービス経営大学院 大阪校 スタッフ)

新宅 千尋(グロービス経営大学院 大阪校 スタッフ)

神戸大学理学部生物学科卒業、京都大学大学院生命科学研究科修士課程修了。幼少期より「思考や感情の発生」に興味があり、独学で心理学や脳科学を学ぶ。一方、「内なるものの表現」にも関心があり、10年ほどアトリエ教室に通う。学士/修士課程では脳の再生の基礎研究に従事。新卒で大手総合通販会社に入社後、Webマーケティングチームに配属。心理学や行動学の知識とアトリエ教室で培った感性を融合させ、売上や購入率向上に貢献。その後、社内から「人の力」で会社を強くしていく人材教育領域に興味を持つようになり、次世代のビジネスリーダー育成と輩出を目指す、グロービスに転職。グロービス経営大学院のコンテンツメディア企画チームに所属し、自身のキャリアに悩んだ経験から、グロービスキャリアノート制作・運営に携わる。

※本記事の肩書きはすべて取材時のものです。

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