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卒業生のキャリアケース:起業

卒業生のキャリアケース:起業

日高 義雄さん

フリーのCFOとしての働き方

都市銀行、中堅事業会社を経て、独立。現在、個人事業主

日高 義雄さんYoshio Hidaka

※年齢・肩書きはインタビュー当時のもの

今までのキャリアについて

~国内外における営業や経理の経験、常務取締役を経て独立~

 大学4年生の時は、周囲の状況に流され、ただ漠然と就職活動をしました。具体的に就きたい職業というのは特に思い描けず、国際的なイメージから商社を希望しましたが、良い結果は得られませんでした。そうした中、体育会の先輩達から話を聞く機会が増えたことで、自身も身近に感じられた銀行業界に進むことを決意。都市銀行に入社しました。
入社してからは、バックオフィス、テラーを経て、法人営業を3年間担当。担当企業の財務状況を把握することで、融資を中心とした金融サービスの提案と実行を担いました。
後に年商700億の非上場小売業に転職、最初の2年間は経理部に所属し、部門別の管理会計構築や、オーストラリアに駐在して現地から本社へ月・年次決算報告を行いました。
その後、海外推進課の課長、経理部長を経て35歳から常務取締役に就任。この間、海外拠点の統括や管理会計の整備・拡充、創業以来最大規模の資金調達を伴うスキームなどを推進し、着実に成果を上げていきました。
これらの成果に加え、ビジネススクールに通う過程で、自分が担ってきた知識や経験が社外でも十分通用すると感じるようになり、そこで得たネットワークにより複数の方から仕事のお誘いを頂いたことで独立を決意。
現在の顧問先は、元々在籍した会社を除き、全て学生仲間やその紹介で関与するようになった法人です。広告宣伝は特に行わず、ビジネススクールで学ぶだけで仕事を得たと言っても過言ではありません。そこで得た互いの信頼関係は将来に繋がるものであると確信しています。
現在は、個人事業主(アウトソースCFO)として、中小企業の経理実務に従事し、資金調達、管理会計制度の構築、KPIの設定などを担っています。自分が経営者となった今、自分がしたこと、しなかったことの全てが自らに跳ね返ってくることにやりがいを感じています。働き方を自分で決められる、自分の意見を通せる。会社に従属せず、「自分で納得がいかないことはしない」という選択の幅が広がったことで、「自分の信念を貫けない場面においては契約を切られても良い」と潔く仕事が出来るようになりました。中小企業の経理をアウトソースするということでいくと、通常は税理士を想像されますが、税理士の方は税務分野の専門家である一方で、銀行の事や企業内部の事に必ずしも明るくなく、ポジショニングが異なります。実質的な競合(同業者)がいないこと、「おカネを貸す側」と「借りる側」を実際に当事者として体験して来たところが、強みとなっています。
 顧客への提供価値として意識していることは、自分の報酬以上の金額的なメリットを数字として出すことです。例えば、仮に特定の顧問先からの年間報酬が500万円として、「借入金利や為替手数料の削減で500万円以上のコスト削減効果を出す」ということです。勿論、イコールの金額では存在意義がないので、金額に換算できない点も含めて、顧客が「明らかにメリットが感じられる」ように心掛けています。
今後は中小企業のCFO業務をレギュラー業務としつつ、スポット的に新規事業に携わりたいと考えています。特に、ベンチャー企業では企画が実行に移された早い段階で、CFOが必要になり、かつ当初はパートタイムで関わってもらう方が都合が良いケースが多いと思うので、条件が合えば積極的に参画したいと思っています。又、どこかの時点で小売業の社長にチャレンジしたいという思いも抱いています。

キャリア選択のベースとなる価値観について

~主体的に動く環境に自ら身を置くことで可能性が広げられる~

 銀行で法人担当をしていた26歳の頃です。数字に追われ、実際の資金需要というより、(当時のその支店では)「銀行側で資金需要を捻出し、本来資金需要の薄い会社に何とか借りてもらう」という状況で、この様な仕事内容に疑問を持つようになりました。銀行の支店は新入行員から支店長までおり、いわば銀行員人生の縮図ともいえる組織で、その支店では誰一人楽しそうに働いている人はいませんでした。そのため、「はたして、このまま銀行にいて幸せなのだろうか?」ということを考えるに至ったのです。
そうした背景から、転職を決意。その際の判断の軸としては、銀行という巨大な組織に違和感があったことから、「若い内から責任のあるポジションに就けそうなレベル感で、大きすぎない企業」かつ、「チャレンジしたい仕事が社内で見つからないほどは小規模でない企業」を探しました。
 そんな折出会ったのが、転職を決意した会社です。自分自身が顧客であった、オーナーが一代で年商700億にまで成長させた非上場小売業の会社です。そこでの経験は、非常にチャレンジングであったと思います。幸か不幸か、その会社の経理分野は過去20年ほど特定の責任者が担う体制を取っており、結果、次の世代が育っていない状態でした。
そのため、経理部長になった2ヶ月後という右も左も分からない時にあった税務調査で責任者として対応せざるを得なかったり、多額の現預金と借入金のコントロールを任されたり、財務面においては恐らく国内でも有数の規模&複雑さのスキームを担当させて頂いたりと、30代では通常なかなか経験できないことを経験させてもらえたと感じています。
また、30歳前後で、主に海外拠点関連の案件を扱う際、「何から考えて良いか分からない」事態に幾度となく遭遇しました。社内での問題解決のノウハウは十分ではなく、オーナーのトップダウンによる意思決定でほとんどの物事が決まるような状況です。このことから、「このままではいけない」、「自らが主体的に行動しなくては」と考え始めビジネススクールへの通学を検討しました。
実務肌のオーナーからビジネススクールでの学習への賛同を得ることは難しかったものの、最終的には(週休1日でありながら)休日を利用して通い始めることができました。
その後独立に至った背景ですが、まずオーナーの下で働くことは、非常に勉強になる一方で、自分と異なる考えも受け入れねばならず、どこかで窮屈さを感じていました。
管理部門出身として考えられる最高のポジションで数年間執務出来た反面、それにより当時のポジションではその後の成長余地が限られるとも感じました。加えて、実質的な権限移譲にはまだ当分時間がかかりそうであったことや、独立をしても実際に行うことは今までとほぼ同じであり、リスクは低く感じられたことなどが重なり、独立に至りました。
退職する事による会社への影響も考慮したところ、負債コントロールの重要性が相対的に低下してきたこと、財務分野での最大の懸案事項であったスキームを終え、社内における自分の役割を果たしたという思いを抱いたことが独立の背中を押したという側面も少なからずあります。
独立にあたってこれまで築いてきたキャリアにおける地位への執着は、あまりありませんでした。最初の転機である銀行を辞める際には、当時のブランドであった「銀行」という名を捨てることにおいてそれなりに悩みましたが、同時に、社名やポジションは外から与えられたものであって、自分自身の価値とは関係ないという意識を持っていました。人間に価値というものが存在するとすれば、それは「外の力で持ち去ることができないもの」にあると考えています。つまり、ポジションや財産ではないということです。
 以上の経験から、キャリアを考える上で大切だと思うことを3つ挙げるとすれば、
・目の前の仕事に手を抜かないこと
・チャンスはいつ現れるか分からないのでその時に備えて準備をしておくこと
・良質なネットワークと、その中で「自分はこれができる」という尖ったものを持ち、それを主張していくことだと考えています。これらを愚直に繰り返すことで希望のキャリアを進むことができるのではないでしょうか。

必要なスキルと能力開発について

~キャリアを積む上で必要となる心構え、ミッション~

 ビジネススクールで得たことは、意思決定がロジカルに出来るようになったことです。
また上述の、知識や経験が社外でも通じるのかどうか、を確認できたのはビジネススクールでの人脈を通じてのことでした。
簿記や宅建は個人で学習しましたが、実践的なスキルは全て実務で身に付けました。周囲の銀行員、会計士、税理士と意見交換が出来る環境にも恵まれ、一つのイシューに対して、自分でスキームを考えて、それが技術的に可能かどうかということを専門家に聞き、解決策を構築して実践してきたことがかなりのスキルアップにつながったと思います。また、オーナーからの難題も自分で頭を捻る傍らその道の専門家に尋ね、都度自分のものとして吸収する様にも努めました。
一代で年商700億の企業を築き上げたオーナーの元で仕事ができたことは、経営者の考えを知る上で大いに勉強になりました。いかに枝葉末節を捨てて大枠を掴みに行くかという点が、元銀行員であった自分にとっては、ある意味カルチャーショック的な学びでした。そこで学んだ「経営者の考え」は、現在ではCFO業務を展開する上で強力な武器となっています。
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